2010年01月17日

あの日から15年

阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)が起こって今年でもう15年。今でもこの時期が来ると、何とも言えないいたたまれない気持ちに襲われます。私自身は震源地から遥か離れた地域にいましたが、あの日のことは忘れられません。


あの日、午前5時46分。名古屋でも震度3の揺れがありました。
しかし、あの時の3の揺れは、いつも感じるような揺れではなく、縦に突き上げるような揺れだったことを覚えています。その後テレビのニュースを見たら、相当な被害があったという事実を知り愕然とした記憶があります。

(当時学生だったので学校に行った後)家に帰ってからは、テレビのニュースや家から非常に入りやすかった兵庫にあるラジオ局のラジオ関西の震災情報を聞いて、神戸の状況の悲惨さを改めて知ったものでした
なお当時、神戸にあった放送局は壊滅的な打撃を受けたそうで、その中でもラジオ関西は全壊の局舎(後に仮設スタジオに移設)の中、69時間にわたって生活情報などを送り届けていました。また当時独立局(現在はJFN(全国FM放送協議会)加盟局)だったKiss-FM KOBEも外国語を駆使しての生活情報を重点に放送していました兵庫県にあるテレビ局サンテレビも、朝8時過ぎから長い間生活情報などを終夜流していました。


15年経った今、一つの区切りとして一部の事業は終わろうとしていますが、被災者にとっては恐らく自らが亡くなるまで、いや亡くなったとしてもその『区切り』というのは訪れないのかもしれません
そして最近、震災の記憶を思い起こさせたいかのように、中米のカリブ海に浮かぶ島国ハイチでも大規模な地震が起こりました


地震というものは、いつか必ず自分達のところにやってくる可能性があるのです。一生のうちに来なかったことは逆に奇跡だと思えるくらいなのかもしれません。特に地震の起こりやすい国日本では他人事では済まなくらい身近だということを忘れてはいけないのです。



Posted by alexey_calvanov at 21:32│Comments(4)TrackBack(0) 真面目なモノ 

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この記事へのコメント
やすやすさん>あの日の映像は今見てもいたたまれない気分になります。
その場にいない人間でも、自身のすさまじさ恐ろしさを肌で感じ取れるくらいですから、実体験をした人には計り知れないものだと思います。本当ならば、展示イベントを改めて見に行きたいのですが・・・(まだ名古屋でも写真展があるので見に行く予定でいます)。

1/17を国民の休日にするよりも、今ある災害とボランティア週間の徹底を図るべきだと思います。
そしてもっと言うならば、あくまで祈念(もしくは追悼)日であって、余暇を楽しむためのものではないわけです。
いみじくも、「はだしのゲン」の中の原爆投下記念日で主人公が言っていた言葉が参考になるのかもしれません。

それでもなお、休みにというのであれば、兵庫県内のみ、もしくは大阪と兵庫内での休みにするというふうでもいいかと思います(実際沖縄には沖縄戦に対する慰霊の日があるので、それを参考に設定することもできなくはないかもしれません)。

ただ、関東大震災の起こった日が休日にならなかったように、阪神淡路大震災の起こった日が休日になることは非常に難しいと思います。
Posted by アレックス at 2010年01月19日 01:14
wara☆さん>遠い名古屋でさえ、突き上げるような揺れが来たのですから、当時の神戸およびその周辺は想像を絶するものだと思います。
それこそ、高速道路の橋脚があめ細工のように曲がったなんて信じられませんでしたよ・・・。唖然としたものです。

日本そのものが地震の巣窟の中に浮かんでいる限り、避けられない運命だと思っています。そうはいうもののやはり、何も準備のできていない自分自身を思うと、いかんともしがたいものがこみ上げてきます・・・。
だからこそ、次の世代に伝えることが重要だとこの日を迎えると思うのです。
Posted by アレックス at 2010年01月19日 00:50
こんばんは
私自身、大阪府吹田市で新聞配達中に震災に遭遇しましたが、確か体感震度は5だったと思います。
帰ってからテレビをつけて目にしたのは、あまりにひどい神戸の惨状。建物が全半壊したり、火災という二次災害ありでした。
震災以後しばらく関西の放送局は全て特別編成。しかもCMなし。これは昭和天皇崩御以来のことだと聞きます。
しかしセンバツは予定通り行われ、兵庫県勢3校は全て初戦を突破。被災地に夢と希望をあたえました。(優勝したのは観音寺中央)
15年たった今でも、1.17は国民の祝日ではありません。もしあの日が祝日だとしたら、連休となっていたようですが、このためには法律の改正が必要になってきます。
今一度、1.17を再考してみては如何でしょうか?
Posted by やすやす at 2010年01月18日 00:47
本当にそうですよね。
自然には逆らえない、どうしたってかなわない…そう強く感じました。
小さな地震だと、車や電車に乗ってる人は気付かないって、よく言いますが、この地震の時にはたくさんの方が『地面が波打っていた』と言いますもんね。
体感の揺れだけじゃなく、視覚でもわかる地震(照明器具が揺れたり棚の物が落ちたりって言うのではなく、普段動かないはずの物まで動く)なんて、そうそうありませんから、やはりあの地震の激しさを物語っているんだと思います。
いつか自分達にも…そう思いつつ、その時に対する備えをいったいどうしたらいいのか…正直、考えれば考えるほどわからなくなるんです
Posted by wara☆ at 2010年01月17日 23:58

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