2012年12月25日

ゲンの魂はいつまでもいずこに

「はだしのゲン」の作者でおなじみのマンガ家中沢啓二さんが12/19に肺炎で亡くなっていたそうです。


中沢さんは、6歳の時に広島市内の国民学校(現在の小学校にあたる学校)で被爆奇跡的に校門の白壁のそばにいたことで助かったものの、家にいた父・姉・弟が家の下敷きになり、その後の火事で焼死妊娠中だった母は助かったものの、産まれた子供は戦後の混乱期に差し掛かったことが災いし、栄養失調で亡くなっています。
その後、マンガ家を目指して21歳の時に上京したものの泣かず飛ばずの日々を過ごしていました。しかし母親の死に立ち会い、遺骨を拾おうとした時、位牌の中から骨が出てこないことでますます原爆への怒りを募らせたことがきっかけで、原爆に関する短編を製作。それをきっかけにし、1973年に「はだしのゲン」を製作。以後中断しながらも全10巻にわたって連載されました。結局第1部まで描かれたのみで、その後のゲンの半生が描かれることはなかったものの、作品の内容は大きな反響を呼び、英語など18の言語に翻訳ないしは翻訳中の状況になっています。

連載やマンガ家としての活動が終わった後も、原画を描くことで原爆の恐ろしさを訴える語り部として活躍。2009年に白内障を患い執筆活動を断念した後も活躍していました。また闘病中も(被爆後の後遺症に立ち向かいながら)、福島原発の事故と自身の体験とを照らし合わせて活動したり、平和記念式典に参加したりと、ますます精力的だったとも言われています。


「はだしのゲン」は、私も小学校高学年の頃に担任の先生が持っていたものを持参して教室の中に置いてくれました。それで読んだのですが、一コマ一コマの衝撃、人が無残にも飴細工のように焼かれる様を生々しく描いた様や自身の肉親が亡くなる姿を目をそむけることなく坦々と描く様は今でも目に焼き付いて離れません。後にテレビドラマ化された際、あまりに残酷ということで配慮されたシーンとして紹介されていますけれども、原作を知る人間にとっては曲解されないか何とも言えない状態で見ていたものです

「はだしのゲン」は作者自身の体験を基に描いた作品と言われています。恐らく描いていた途中、とても辛いと思ったに違いありません。だからこそ、その一コマの重みが他の作品と違いとても重くかつ私達に訴えかけるものも段違いに大きいのだと感じます。
インターネットの普及に伴い、「はだしのゲン」の作中のセリフが半分面白おかしく使われることがあっても、中沢さんは快く寛大に見て下さったとのことです。恐らくどういう形であれ、若年層に作品の中身が広がってくれていることがうれしかったのかもしれません
まだ核兵器や原子力が無くなるということはありません。でも、彼の伝えた原爆の恐ろしさは今日の脱原発への出発点として当たり継ぐ必要があると思っています。


最後に、平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑の文言を、故人への冥福の言葉にしようと思います。

安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから。



〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻
コミック版 はだしのゲン 全10巻



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Posted by alexey_calvanov at 23:25│Comments(0)TrackBack(0) アニメ・コミック | 真面目なモノ

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