2013年05月11日

2013年、今年も東北に向かう③

石ノ森萬画館から石巻でもう一つ行きたいところへ向かおうと思ったものの、その石ノ森萬画館で結構な時間を食い、さてどうしよう・・・となっていたわけです。
頻繁ではないものの、タクシーを捕まえられないか、もしくはバスがないかなと思ってさまよっていたら、奇跡的に空車のタクシーを発見。乗ることになりました。


ISW11F_0433今回の旅で是非とも向かいたかったところ、それは石巻市門脇町にあるこのモニュメント石ノ森萬画館から直線距離で約3・4kmほど。歩いたら「ひと山(日和山を)越えないといけない」(乗ったタクシーの運転手)そうな。

元々はここで営んでいた配管工の会社があったところ。震災後、流された自宅兼会社の中から見つかった工具とがれきから作りだされたのが、このモニュメントなのだそうな。奇跡的に生き残った製作者でこの家の主と仲間達が、生きようという思いの中で生み出したのだ。
ちなみに、その下には、「復興するぞ!」という力強いメッセージが書かれています



ISW11F_0434丁度この時期は、こどもの日が近いということもあって、鯉のぼりが掲げられていました。
昨年(2012年)は津波の高さまで上げて掲げられたそうです。



ISW11F_0435被災地のがれきを集め、それを種火にした慰霊の灯篭。



ISW11F_0436あの日の被災地の写真が掲載されていました。改めて、被害の甚大さがわかります。そして、この場所も・・・。
石巻市は沿岸のほとんどが津波で流されています。流されなかったのは、駅前周辺と石ノ森萬画館のような頑丈な建物のみでした。



ISW11F_0437当時の自宅兼会社の中で残った基礎の柱。実際の津波の高さを記したシールと当時の自宅兼会社の写真が貼られています。



ところで、この時タクシーに乗っていったのですが、色々話を伺うことができました。
写真には収めていませんが、途中門脇小学校を通りましたそこは津波には耐えられたものの、途中流れついた車の中に残ったガソリンによって火災が起こり、門脇小学校は半焼したそうです(実際2階より上が真っ黒焦げになっている)。この地にあるモニュメントといい、いまだこのあたりはむごたらしい記憶が生々しく残っています。
ただ、壊すのは簡単です。辛いのもわかります。賛否両論ある中、それらが簡単に無くなるのはいかがなものなのでしょう。震災の記憶がたった2年で風化していっているのが報じられましたが、それを加速させそうな気がしてならないのです。


タクシーのおかげで、無事に石巻の目標の場所は回れ、再び石巻駅に戻ってくることに。
乗りたかった電車にも乗れ、次の目的地である松島海岸に向かいます。


ISW11F_0438仙石線は仙台にあるあおば通りから石巻までを結んでいるのですが、高城町(たかぎちょう)~陸前小野まではいまだ不通。復興は2015年の予定だそうです。
写真は、その石巻側の終点の一つ、矢本駅。
陸前小野から先にはレールがあっても電車は走れない。



それゆえに、高城町駅・松島海岸駅までは代行バスが走っていました。再度乗れるかどうか心配でしたが、今回は希望者全員乗れました。
しかしこのバス、高城町から先、つまりは松島海岸駅までが非常に混んでました
理由は簡単、観光客でごった返しており、観光バスも含め車がたくさん来ていたからです。


次回は松島海岸とその先の紹介をば。


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Posted by alexey_calvanov at 23:26│Comments(0)TrackBack(0) とっくしゅ~で~す 

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