2014年03月11日

クリミア『独立』待ったなし

ウクライナの南部にあるクリミア半島、この半島のほぼ全域を治めるのがクリミア自治共和国というウクライナにある自治共和国です。
前にも話しましたけれども、元々はロシア領だった土地ですが、それ以前にはクリミア・タタール人というイスラム教を信仰する先住民が住んでいてクリミアハン(汗)国という国を立ち上げていました。クリミア戦争をきっかけにロシア化が一気に進み、スターリンの粛清によって、先住民であったクリミア・タタール人が強制移住させられ、残ったロシア人が主流になりました。
そのクリミア半島は、1955年にフルシチョフの『贈り物』(第2次世界大戦勝利10周年とウクライナ融和策のたまもの)によりウクライナ領に編入され今に至っているのです。

そのクリミア自治共和国は、ウクライナがソ連崩壊に伴って独立した後にも独立をしようと動いたことがありました
1992年にクリミア共和国として独立をしようとし、ロシアも支援したものの、当時同じようにロシアから独立仕様としていたチェチェン共和国の独立を認めなかったことから国際社会よりダブルスタンダードだという非難を受け、独立派の勢いが沈静化妥協案として自治政府設置ということで落ち着き、今日あるクリミア自治共和国となったわけです。


さて、今回の独立運動は、ウクライナ国内の情勢とリンクしています。
ウクライナで親欧米派の野党支持者が、ヤヌコビッチ政権(当時)のロシア寄りの政策を表明(EUとの経済提携調印を土壇場で放棄)したことをきっかけに大規模な抗議運動を首都キエフなどを中心に展開。ヤヌコビッチ政権が大規模な弾圧に至ったことで流血事態になり、この流血事態によってヤヌコビッチ政権が窮地に陥り崩壊。親欧州派による野党による政権奪取が行われました。
この事態はウクライナ人による民族蜂起に至り、ソ連(ロシア)憎悪に至っていると推測される出来事が起こりました。街の中にあったレーニン像の強制撤去です。まるで四半世紀ほど前に起こった東欧革命をタイムスリップして見ているかのように相次いだのです。
これを見たロシア系(ロシア人およびロシア語を母語にするウクライナ人)住民は危機感を覚え、特にロシア人の多かったクリミア半島へロシア軍(と思しき自衛組織)が展開されたのです。

その後、クリミア自治共和国は先鋭化し、議会占拠・一方的とも取れる将来の方向性を決める住民投票の決定にまで至り、その住民投票も、5月の大統領選挙と同日だったのが、3月末、さらに3/16にまで前倒しを重ねる事態になっています。既成事実を積み上げることで、ロシア領であることをことさら強調したくなったのでしょう。

そして今日(3/11)、自治共和国の議会が独立宣言を行いました。これもロシア領であることを強調したい一環で行ったのでしょう。追い返していた欧州安保協力機構の選挙監視団を受け入れるとまで言い出しましたし。


今後、クリミアでは独立がほぼ圧倒的に支持される結末になるでしょう。少数派の意見は抹殺される可能性が高いです。状況によってはロシア系とウクライナ人・タタール人による内戦になる可能性も否めません(それでもロシア系の軍備によって圧倒される可能性が大ですが)。


もはやウクライナを1つに保つには、連邦制の導入も視野に入れなければならないのでしょう。西部・東部・クリミアによる連邦制を敷き、ボスニアのような政治体制を採らなければ、ロシアによって東西分割は避けられない事態になっていると思います。
国際社会も手をこまねくだけでなく、三者を交渉のテーブルに着かせるよう配慮しなければならないでしょう。日本はこういう時にしゃしゃり出ないで何でしゃしゃり出るんだと。ここでロシアに恩を打っておけば、今後の交渉事に有利に働くのではないかというのに・・・。


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Posted by alexey_calvanov at 23:50│Comments(0)TrackBack(0) 真面目なモノ 

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