2015年07月13日

岩田くん・・・

ゲーム業界の巨星が一つ落ちたような気がします。


7/11に任天堂社長である岩田聡さんが胆管腫瘍(胆管がん)で亡くなりました。55歳ですよ、まだ。早過ぎますって。再び窮地に陥った任天堂のこれからを救ってくれると思ったのに・・・。


岩田さんは、北海道生まれ。高校時代からゲーム開発に没頭し、ゲーム会社に売り込んだほど。
大学進学をきっかけに上京してからは、いわゆるマイコンを購入し、ますますのめり込むようになり、遂にはアルバイトで入ったHAL研究所にそのまま入社するまでに至りました。ちなみに、親は北海道室蘭市の市長などを歴任した重鎮でしたが、息子の入った会社が海千山千な会社だったと見られ、しばらく口もきかない関係になったとのことらしい。

HAL研究所時代は90年代までは主にプログラマーとして参加。任天堂で発売された「バルーンファイト」・「ゴルフ」・「ピンボール」などのプログラミングを行っていました。
転機になったのは、バブル崩壊前後。HAL研究所が和議申請を行ってからは、当時の任天堂の社長だった山内溥(ひろし)さんに見初められ、社長として就任。経営に携わりながらも、後の人気作になる「星のカービィ」や「大乱闘スマッシュブラザーズ」の開発に携わり、開発会社として立て直したばかりか、桜井政博さんなどといった優秀なクリエイターを育てていきました


その後、山内溥社長の推薦で任天堂に入社し、2002年には42歳の若さと山内家以外からの選出という二つの意外性を発揮して社長に就任しました。
その当時に任天堂はニンテンドウ64・ニンテンドーゲームキューブの事実上の失敗で売り上げが大きく落ち込んではいたものの、ゲームボーイアドバンスのヒットで何とか持ちこたえていたという時期でもありました。「ゲーム売り上げ減少はゲームがマニアック化したのが原因」と結論付けた岩田さんは、その対極である新しいゲームユーザー獲得のために腐心し、その結果としてニンテンドーDS→ニンテンドー3DS・Wii→Wii Uという斬新な操作性を持ったハード開発に至ったのでした。直感をベースにした新感覚の操作性は、コアユーザーだけでなくライトユーザーにも受け、さらにはその操作性を利用した新しいゲームの開発にも繋がり、ゲーム業界再興に繋がっていったのです。

ただ、ここ数年はその神通力も切れてきたところに、スマートフォンをはじめとするスナック感覚で楽しめるライトなゲームや課金制を敷いたゲームが主流となり、任天堂はそちら方面に向かうのかどうかという過渡期を迎えておりました。その時に流れたこの訃報は、任天堂にとっても非常に辛いものなのではないかと思われます。


で、普段は岩田くん岩田くんとなれなれしく、茶化すような感じで呼んでおりましたけれども、HAL研究所の実績・任天堂社長に就任してからの実績のすごさは本当に尊敬に値する人でもあるんですよ。そんな人が早死にしてしまうなんて、神様は何と意地悪なお方だと申し上げたい。世の中には拾う神が本当にいるのかねぇ・・・。
今後、任天堂はしばらくの間社長不在で回していくのだそうです。ただ『社長代理』と言える人は据えられるようで、その役割を果たすのが、ファミコンソフトのバッテリーバックアップやファミコンの特殊メモリを積んだカセットの開発に携わった竹田玄洋さんと「スーパーマリオブラザーズ」などに携わった、岩田さんが尊敬していた宮本茂さんです。


しかし、山内さんも想像していなかったでしょうね。ここまで早く逝ってしまうだなんて・・・。あの世にやって来た岩田さんに何と言って出迎えるんでしょうか。ご苦労様と言うのか、まだ早く来すぎじゃと言うのか・・・。でも、どちらにしても、横井軍平さんと一緒に山内さんの趣味でもあった囲碁に付き合わされるんでしょうね。


最後になりましたが、ご冥福をお祈り致します。あなたの功績は忘れません。
ありがとう、お疲れ様でした岩田くん。そして、さようなら岩田くん・・・。


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Posted by alexey_calvanov at 23:59│Comments(0)TrackBack(0)ゲーム系 | 真面目なモノ

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