2016年05月07日

東北の旅2016④ 厳かながらも心温まる式典だった

さて、何とかタクシーを捕まえたはいいが、運転手はおじいちゃん。大丈夫かなと思ったものの、乗って行けば間に合わないという事態は避けられる。とりあえず、今回の目的地、厳島神社に向かうことにした。
正確には、大久喜地区にある厳島神社で、JR大久喜駅から徒歩で10分くらいのところ、大久喜漁港のそばにある。


SHV32_2478そんなところを知ったきっかけが、4/27付中日新聞の夕刊の記事
その記事によれば、東日本大震災による津波で厳島神社の鳥居が流され、アメリカ・オレゴン州に笠木だけが流れ着いたのだそうな。発見者が何か特別なものを感じて地元メディアに写真を送ったところ、偶然同州ポートランドにある日本庭園の関係者が笠木であることを告げ、後に見つかったもう一本の笠木から奉納された日付と奉納者もわかることに。
手掛かりを求めて被災地の岩手・宮城・福島を訪れたものの、一向に分からなかったところに、青森で被災したものではないかという情報が入り、八戸市博物館で鑑定したところ、厳島神社のものということがわかったわけです。
返すことが正しいのかと悩んだ時期もあったそうですけど、返還が地元の人達の励ましになるのではと思い、2015年に返還されることになりました。



さて、目的地を告げたものの、タクシーの運転手は「わかんねぇなぁ」
・・・笑うしかなかったわい(苦笑)。必死に説明するものの、配車オペレーターもわからなかったらしい。そこで、あらかじめ場所を調べる際に、検索で出てきた厳島神社の場所をタクシーの運転手に見せてやっとわかってもらうものの、運転手は初めて行く場所だったのか、おっかなびっくり状態で目的地まで向かってもらいました


SHV32_239420分くらいで目的地の厳島神社に到着。



SHV32_2399正面から見たところ。3つの鳥居と本堂があります。大漁旗がはためくのも漁師町にある神社ならではの特徴ですね。
アップにしているのでわからないかもしれないですが、ここもウミネコの繁殖地になっており、蕪嶋神社以上に密集しておりました。こちらは巣もダイレクトにあり、怖い怖い。踏ん付けようものなら何されるか。
そのこともあり、神社周辺にはフェンスが張り巡らされており、夜間は入れないようになっているのだと推測



SHV32_2396こちらが、例の鳥居。
今回再建された鳥居は一番右端と真ん中のもの。そして一番左端にあるのは、震災後に地元有志の寄付によって建立されたもの
恐らく、再建された鳥居は戻って来ないと思い作られたのでしょう。戻って来たことで、すごく立派な神社になったと思います。



SHV32_2395この神社の中には、鳥居再建の碑が建てられており、アメリカ・オレゴン州ポートランドへの感謝がつづられております。



SHV32_2397本堂そばには、やはりウミネコ(笑)。
大漁旗に何事もないのが不思議に感じられるわ。



SHV32_2400こちら、当日もらった鳥居再建式典のスケジュール
やっぱり午前10時からだった。会場場所がわからずどうしようかと思ってたら、どうも漁港のほとりで行うふうだったらしい(雨天時は近くの建物で行う予定だったのだそうな)。



SHV32_2401午前10時少し前に式典が始まる。
最初はポートランド日本庭園のCEOのあいさつから始まり・・・。



SHV32_2403厳島神社の宮司さんが神事を執り行いました。



SHV32_2408その後、オレゴン州議会議長のあいさつ、オレゴン州知事のメッセージ紹介、八戸市長のあいさつ、札幌にあるアメリカ総領事館の首席領事のあいさつと続き、近くにある大久喜小学校の演舞(ソーラン節)が行われました。
子供達のダイナミックな演舞は素晴らしかったです。



SHV32_2414最後に記念撮影。
地元の方々とアメリカ・オレゴン州の方々の微笑ましい姿が印象的でした。これがきっかけとなって新しい絆が生まれるといいですね。

この撮影後に、互いが抱擁し合って喜び合う姿も印象的でした。地元の人達だけでなく、オレゴン州の関係者にとっても、元の場所に戻り安堵したのだろうと思います。
厳かながらも、最後は皆の心を温めてくれる、いい式典になっていたと感じました。



SHV32_2415見た感じ穏やかな海原ですが、八戸市で1人(青森県全体で計3人)死亡、1人行方不明(同じく計1人)。かつ建物にも漁船にも多大な被害があったそうです。
どうしても震災と言うと、オレゴン州の方々もそうでしたけど、岩手・宮城・福島がクローズアップされがちです。しかし、あの震災は青森でも、茨城・千葉をはじめとする関東圏の一部でも被害が出ていました他にも被災地があるということを改めて知るいい機会になりました。



SHV32_2417この大久喜地区には、国指定重要有形民俗文化財の浜小屋があります。
幕末頃に建てられ、主に漁具の修繕・管理する場所として、繁忙期には食事を採ったり宿泊したりする場所としても使われたのだそうです。



SHV32_2420こちらは、報效義會(ほうこうぎかい)鼎浦丸遭難之碑
千島列島の干拓と守備のために東京・隅田川を出発した鼎浦丸が、1893(明治26)年5月下旬にこの地区の沖合で沈没したそうです。付近住民は助けようとしたものの、あまりの暴風雨のために沿岸からかがり火を焚いて乗組員達を励ますことしかできなかったという言い伝えが残っています。

なお、三沢沖でも1隻遭難し、鼎浦丸の乗組員を併せて19人が亡くなっていますが、残った隊員は6/17に無事択捉島紗那(ロシア名ククリスク)に着いたそうです。



式典が終わった後は、11時過ぎに来る電車に乗れないと、またタクシーのお世話になりかねないので、急いで大久喜駅に向かうことに。途中迷い掛けるも、何とか間に合い、再び八戸駅に戻るのでありました。


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Posted by alexey_calvanov at 23:20│Comments(0)TrackBack(0)とっくしゅ~で~す 

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