2016年09月20日

ハマの番長、引退

横浜DeNAベイスターズがクライマックスシリーズ進出を決めた次の日、長い間横浜を引っ張ってきた三浦大輔選手兼投手コーチが選手としての引退を発表しました。


三浦選手は1991年のドラフト6位で横浜大洋ホエールズに入団。翌年には1試合中継ぎでの登板を果たしています。この年で横浜大洋ホエールズが当時の親会社だった大洋漁業がマルハ(現マルハニチロ)に社名変更されたことで、球団名を横浜ベイスターズに変更したため、大洋での先発は一度も行っていないのです。

ベイスターズに変わってからは、先発としてのキャリアを積み上げていき、1997年に初の2ケタ勝利(10勝3敗)、翌年には12勝(7敗)を挙げ、リーグ優勝に貢献しました。しかしながら、その後は低迷期と重なったことから負け数が多いないしは負け越すこともあり、辛酸を舐めることに。その後優勝した時のチームメイトが相次いで移籍・退団し、後から入った新人選手達も一部はフリーエージェントによって移籍にかじを切る中、三浦選手は低迷期のチームを支えていました
2005年には優勝の年と同じ12勝(9敗)を挙げたものの、その年がピークとなり、徐々に下降線をたどっていきました。負け越しの年も多くなり、不振やケガに立ち向かうことも多くなってきました。

そして、親会社がTBS→DeNAと変遷し、いつの間にか現役最年長選手となった今年。三浦選手は8月になっても1軍に呼ばれなくなったことから引退を決意したとのことだそうです。実際ピッチングをダイジェストながら見る機会があったのですけれども、往年のピッチングとは・・・と思えるほどで、あれだけバカスカ打たれてしまっては引退止むなしだろうなぁと思っていた矢先に出た引退だったので、自分のピッチングができなくなっていたと悟ったんだなと思って引退会見を見ておりました


三浦選手は数多くのエピソードを残している人でもあります。
まずはトレードマークになったリーゼント。これは矢沢永吉さんの影響を受けて始めたとのこと。これがきっかけで、「ハマの番長」という名前を頂くほどになりました
また長年横浜一筋に過ごしていただけでなく、ベイスターズ時代には他のどこの球団にも移籍しなかった唯一の選手、そして最後の横浜大洋ホエールズ出身の選手でもありました。彼の引退で昭和の球団がまた一つ消えました。
実は三浦選手は打者としての成績で記録を残しており、24年間連続でプロ野球の投手が打者として連続最多安打を記録した選手ということで、今年ギネス新記録に登録されました


今後は野球に関わる仕事をしていきたいとのことですが、横浜のスタッフとして残るのかは不明です。また背番号18は本人の希望で、ふさわしい選手が出るまで球団預かり(準永久欠番)扱いになるそうです。


通算172勝183敗。一見すれば負け越ししている投手という見方になるでしょうけど、この敗戦の中には、勝ちを拾えた試合もありました。そんな中でも腐らず折れず約四半世紀プロとしてやっていけたのは、三浦選手も述べていましたが、ファンありきだからなのかもしれません。逆境の中でも自分を信じてくれたファンに多大な感謝を述べていました。


三浦選手、まずはお疲れ様でした。クライマックスシリーズに出るかどうかはわかりませんが、もしかしたら何かしらの形で出場することもあるかもしれません。それまで頑張ってもらいたいですね。


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Posted by alexey_calvanov at 22:39│Comments(0)TrackBack(0) スポーツ 

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