地下鉄東西線からバスで15分ほど。終点の旧荒浜小学校に到着しました。
荒浜小学校は1873年に設立されたものの、東日本大震災がきっかけで生徒数が激減。今年の3月末で廃校になり、144年の歴史に幕を閉じました。その後は、震災遺構としての保存活動が進められ、4/30から一般公開を開始しています。
写真は、それを記録するために設置された碑。旧荒浜小学校の校歌が記されています。
校庭には、津波で流された二宮金次郎像が置かれています。
元々南西角に置かれてきたものが、津波で流され、8か月後に学校から南西100mほどのところで見つかったそうです。
見ただけで、その破壊力と威力がわかるものです。
下層階の写真。
見てもらうとわかるように、2階の一部まで津波が押し寄せています。そして、津波が引き寄せたがれきなどがぶつかって、鉄柵がひしゃげています。
側面に回っても同じように、鉄柵がひしゃげ、津波の威力・がれきの破壊力がよくわかります。
ちなみに、現在でもこの建物は、被災時の緊急避難ビルとしての役割を担っています。
中に入ると、がらんどうな部屋が続きます。
こちらは1階の教室。1年生の教室になっていました。今でこそがらんどうな部屋になっていますけれども、震災当日の津波の押し寄せた後は、奥に車が詰め込まれるほどの力が掛かっているのです。
その先は非公開部分になっていますが、天井のはがれている姿を見て、その凄惨さを伝えています。
2階に上がってみます。
先程、側面で見ていたあのひしゃげた部分を間近で見られるばかりか、コンクリートの壁も破壊されていることがわかります。
2階には、津波到達ラインというものがあります。証言の中にもあるのですけれども、足元まで津波が迫ってきたというのがあります。それを示す証拠でもあります。ただ、どうしてもわかりにくい。写真で見てもわかりにくいことでしょう。
では、こちらをご覧下さい。
職員室に置かれていた用具入れが津波をかぶり、そのかぶった跡だけがさびついているのです。
こちらははっきりと目視で確認できるので、津波がここまで来たのかとわかりやすいのではないのでしょうか。
次回も荒浜小学校を取り上げていきます。