2018年01月07日

さらば、燃える男。さらば、闘将。

元中日ドラゴンズの選手で、中日・阪神タイガース・東北楽天ゴールデンイーグルスの監督も務めた星野仙一さんが、すい臓がんのため1/4に亡くなっていたことがわかりました。まだ70歳。これから野球の世界で貢献して頂きたかった・・・。


星野さんは岡山県生まれ。産まれる前に父親が亡くなり、母一人で育った母子家庭の選手でもありました。後のドラフト会議で母子家庭生まれの選手を優先的に獲ったのも、このことがあるからなのではないのでしょうか。

明治大学に進学し、そこで永遠のライバルとなり友となる田淵幸一さんや山本浩二さんと出会います。そして、1969年にドラフト会議で中日に入団します。
実は、巨人から入団の誘いがあり、巨人指名を確実視されたものの、当日になって指名相手が島野修さんに変わるという出来事が起こったのです。後に「島と野の字を書き間違えたのではないか」というエピソードまで残ったほどです。しかし、この出来事が生涯続く反巨人を貫く原動力となったわけです。

現役時代には先発で中日のエースになったものの、すぐに調子を崩すという欠点も持っていた・チーム事情のため、度々抑えに回されることもあったそうです。そのため、最多勝は無いものの、当時設定されたばかりのセーブ制度で、初代セーブ王になっています当時は燃える男として巨人打倒を掲げ、通算34勝(31敗)という成績を残しています。巨人打倒に燃えるあまり、「日本シリーズは邪魔」と言い除けた話も有名です。
なお阪神にも強く、同じく36勝を上げています

1982年に引退後、解説者などを経て1987年に戦後初のプロ選手からの監督として就任。当時40歳というのですから、若いねぇ・・・。
中日の監督時代から、闘将とか鉄拳制裁と言われるほど厳しい指導を行う監督として有名だったものの、厳しく指導した選手には、その後優しいフォローを加え、ハッパを掛けたとも言われています。柔軟な監督だったとも言えるでしょうねぇ。
また、大規模な入れ替えを行うことでも知られており、1987年就任時には大型トレードを成立させ、阪神監督時代の2002年にはベテラン選手を大量に退団に追い込んだことも知られています。若手育成の上手さも定評がありました。
中日監督時代は通算11年(1988~1991、1996~2001)で2度のリーグ優勝に導き、8回のAクラス入りを果たすなど、強竜時代を作りだした人物として語られています。圧倒的な投手陣が特徴だったように思います。

2001年に中日の監督を退任した後、野村克也監督(当時)が奥さんの脱税事件を機に退任に追い込まれた阪神から監督要請を受けることになりました。どうも、野村さんが退任される時の条件として星野さんを指名したようです。ともあれ、これにより阪神の監督になることに。
阪神時代も、野村さんの基礎を上手く活用し、2003年にリーグ優勝を果たします。しかしながら、持病だった高血圧症が悪化し、それを理由に退任を余儀なくされます

その後は、阪神のオーナー付シニアディレクターや北京オリンピックの監督を務めた後、2011年から楽天の監督に就任します。この時もやはり、勇退した野村さんの後を務めることになったのです。
監督就任直後に東日本大震災を経験し、東北の人達に少しでも元気にしたいという思いを抱えながら、懸命に采配し、創設9年で本人としても最初で最後の日本一を達成することになります。しかし、2014年には腰痛(後にヘルニアと判明)が悪化し、最終的には退任することになります。

その後も楽天に残り、球団の副会長として奔走するものの、2016年に急性すい炎からすい臓がんが判明2017年は病状が進む中でも安定した容体だったそうですが、年末になって急速に悪化し、今年の1/4に亡くなったそうです。


とにかく、現役時代を知らない私でも、『星野は燃える男』という代名詞はよく知っていました
気迫あふれるピッチングで相手をなぎ倒し、巨人のV10を自分の投げるマウンドで阻止したというのは、彼の打倒巨人を示すうえで一番のエピソードになるんじゃないのでしょうか。監督時代の荒っぽいとも言える采配も彼の代名詞でしょう


しかし、本当の星野さんは野球を愛し、選手のことをよく慮る人だと思っています。ミスをしても基本的にすぐに交代させずに次の機会を与える、選手の窮地の時にはいち早く駆け付ける情に厚い人でもあります。また、中日を離れても自分が投げてきた・最初に采配した中日のことを気に掛けており、観客動員数の伸び悩みを我がことのように心配していました野球がオリンピック競技に戻るように奮闘していた一人だったこともよく知られています。
奥さんを亡くした中、母親を亡くした中でも気丈に振る舞うその姿は、芯の強さを感じさせ、亡くなった時も大きくしたくないというのも、その強さを感じさせることになりました。
あと2年に迫った東京オリンピックで野球の解説をしてほしかったなぁ・・・。もっと色々と野球の話を伺いたかったなぁ・・・。本当に惜しいです。


最後に、選手として監督として野球を盛り上げてくれた星野さんに心からご冥福をお祈り致します。


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Posted by alexey_calvanov at 23:59│Comments(0) スポーツ 

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