ひめゆりの塔から数km離れたところにあるのが、沖縄平和祈念公園。糸満市の東端にあり、その隣にある八重瀬町とにまたがってある国定公園の沖縄戦跡国定公園の一つです。ちなみに、この前紹介したひめゆりの塔も沖縄戦跡国定公園の一つなのです。
写真は、沖縄平和祈念公園そばに建つ沖縄県平和祈念資料館。今回は時間が無いために入らず。
坂道を下っていくと、大きな広場がありました。この広場が平和の広場。中央の泉にあるモニュメントには、慰霊の時期になると火が灯されるそうです。
このあたりは摩文仁というところで、沖縄戦の激戦地だったところ。摩文仁は日本軍の司令官が自決したところでもあるため、(一応)終結の地でもあるのです。
恐らく写真に写る浜も、アメリカ軍との戦闘が行われ、血の海になっていたかもしれません。今見ると、そんなふうには思えないほどきれいな海なんですけどね・・・。
さて、平和の広場のそばには、平和の礎(いしじ)と呼ばれる慰霊碑があります。6/23の沖縄県の休日になる慰霊の日になると、このあたりの映像が放送されるので、よく見た場所ではあります。
しかし、実際にその場所に立つと、その姿に圧倒されます。
視野に入るほぼ全てが慰霊碑で埋め尽くされるのです。まるで団地が建っているかのように、整然と慰霊碑が蛇腹で並んでいるのです。
ここには、満州事変から太平洋戦争終結までに亡くなったおよび終戦後1年以内(原爆被爆の場合は現在も対象)に先述の戦争が原因で亡くなった沖縄県出身の方々と沖縄戦で亡くなった沖縄県外の出身者(アメリカ軍など外国兵問わず)の名前が刻まれています。前にも書きましたが、沖縄戦は当時の県の人口の1/4が亡くなっているため、先祖の誰かが沖縄戦に関係しているとも言えるのです。沖縄の春の彼岸(4月上旬にあるシーミー(清明))・お盆と並んで家族が先祖の供養をする日となっているのでしょう。ただ、中には一家全滅で供養する人もいないそうですが・・・。
テレビで見た映像では体感できない、威圧感というのか、何かを訴えるような切実な姿を見えないのに感じました。夏の暑さの幻では片付けられない、沖縄戦の凄まじさを感じたのではないかと思います。時間の都合でそんなに長くはいられなかったのですが、短い滞在時間でもその圧を感じるのですから。これは行かないとわからないでしょう。
また行かなければと思います。今度は沖縄県平和祈念資料館にも行きたいものです。
この後は、再び那覇市に戻ります。沖縄を象徴する場所に向かうからです。