2014年11月23日

たった一人のせいでもたらした大失態

名古屋市中村区、堀川のほとりに立つ老舗鶏料理店だった鳥久。経営不振に伴い今年の3月に閉店していたそうです。
この店は個人的にもよく知っていて、もちろん行ったことはないですけど、昔働いていた会社の関係でここの名前が出てくることがあり、実際一緒に働いていた人が出向だったかで鳥久に働くことになったという話を聞いていますヘマをすると「鳥久で働かせるぞ」という話もしばしばだったので、相当厳しい仕事環境だったのだろうと。

その鳥久の建物は江戸時代末期からあるとされる木造建築物(地上2階・地下1階)で、戦前は料亭として著名な作家が訪れたとのこと。鳥久自身有名な鶏料理店でしたからね。


その鳥久の建物を所有する会社が、閉店した建物を取り壊し、マンションにしようと計画し、市に取り壊しのための道路所有の許可をもらおうとしたところ、それに待ったを掛けたのが河村たかし市長。何でも貴重な木造建築物なので保全してほしいと働きかけていました。実際市の担当者が代替地を所有会社に示していたものの、折り合いが付かないばかりか河村市長の独善的な判断で占有許可は期限を迎えても下りなかったため、遂に道路占有がなくても取り壊しができる手作業での取り壊しを始める事態になりました。
その数日後、つまり11/22の深夜に建物が全焼。まだ失火なのか放火なのかはわかっていないものの、ここ数日は建物内外でのいたずらが絶えなかったということです。


今回の一件は明らかに河村市長の怠慢が招いた結果で大失態ですよ。自分の勝手な想いだけでここまで至らしめたのだとしたら、河村市長は生活の掛かった人間を追い詰める結果になっただけでなく、自身が思っていた重要な建物を焼いてしまった『犯罪人』ですよ。
鳥久が建物解体にこだわったのは、お金が稼げるだけではなかったはずです。周囲の建物は実際ビル群の中に埋もれるような形で残っており、正直そこだけ浮いているようにも感じます。そのため、河村市長の挙げる保存の構想は正直無理があります。仮にそこだけ保全しても、街作りの中で堀川全体を江戸時代なり明治時代の古い建物を集める形にしなければ意味がないと思います。代替地の案もろくすっぽに相手していたのではないのでしょうか。金額と場所の折り合いが付かないのも場所柄を考えれば、提示場所によりますけれども納得です。しかも、河村市長は折れると踏んでいたフシがあったようで。どこまで人間を舐めているんだと。


本気で保存を検討していたのならば、移築で対応できたはず。わざわざビルの建っている中で保存するのではなく、きちんと保全された市の所有地に移して当時の趣を再現させた方がより生きるのではないかと思います。


しかしいたたまれないのは所有業者。生活のために壊していたらこの火事。状況次第では別に支払いが発生しないか心配でなりません。ここまで舐められたのなら、今回の一件は徹底的に市と争うべきだと思います。早いこと移築なり取り壊しなりを示していれば、こんな結果にならなかったのですから。


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Posted by alexey_calvanov at 23:18Comments(0)TrackBack(0)