2012年04月28日

おまえの底力、見せてもらったわ

早かった。実に早かった。
今年8月に40歳になる日本ハムの精神的支柱の一人、稲葉篤紀選手が2000本安打を達成しました。
彼自身は生え抜きの選手ではないですが、既に生え抜きのような活躍を見せている選手。そして日本ハムの選手としては2人目の偉業なだけに、実にすばらしいですね。
試合そのものは、稲葉選手の花を飾れるようなものではなかった初回にその稲葉選手の2000本目になる安打がタイムリーとなって先制したものの、楽天打線の粘りと斎藤佑樹選手が楽天と相性が悪いのか逆転されてしまうことに。しかしながら、先発のヒメネス選手の後続を担った投手陣が崩壊に至って同点に追いつかれ、そのまま引き分けになってしまったのが悔やまれますね。


稲葉選手は法政大学卒業後にヤクルトに入団野村監督がほれ込んで獲得に動いた無名の選手だったのは至極有名な話で、古田さんと並んで野村ヤクルト時代を語る上では外せないエピソードの一つになっています。

ヤクルト時代にも外野の一角として活躍したものの、度重なるけがに悩まされた経歴も併せ持っています。

転機になったのは2004年にフリーエージェント宣言したことから大リーグに行こうと画策したものの、どこも手が上がらず、日本国内の球団に移籍先を求めトライアウトも試みようとしていたのですが、その際に打撃センス・守備センスを見抜いていたのが日本ハム彼が大リーグ行きに頓挫した際、真っ先に交渉しようと画策していたのだから、人を見る目が凄いし、その後(というか日本ハムが北海道に移転して以降)後にも先にもフリーエージェントで選手を取らないほどケチ・・・あわわ節制を重ねる球団ですから、よほどの決断だったことは言うまでもありません。

日本ハムに移ってからは、持ち前の打撃に長打力を加え、力押しの多いパリーグの投手陣に対応していきました2009年頃から臀部の痛みや腰痛などに悩まされるものの、日本ハムの打線の核として今でも活躍しています。


打撃面で語られることも多いですが、守備でも強肩ではなくとも技術面でカバーするという巧の一面を持っており、かつ相手の癖を見抜いて守備位置を変えてくるという策士の一面を垣間見せています。
またベテランでありながら、若手の支えにもなっている選手でもあり、主将を外れた現在でも面倒見のいい選手として知られています。先日でも糸井選手が死球となった際にも、栗山監督に外野行きを直訴したほどでもあります。
これで、稲葉選手の同僚でもあるヤクルトの宮本慎也選手そしてソフトバンクの小久保裕紀選手の尻に火が付いたんじゃないかと思いますね。負けるもんかという気持ちと俺達もやればできるんじゃないかという気持ちに駆られているんじゃないかと。


さて、今後稲葉選手には、残り1本になった250号本塁打、残り8本になった400二塁打が控えています記録への重圧はまだ残っている中、好調を維持するのは大変だと思います(実際、2011年は6月と9月以降、大きく調子を崩している)。しかしながら、ぜひとも若手の見本となれる選手としてこれからもまい進してほしいものです。そして地元北名古屋市(旧師勝町)のヒーローとして活躍されることを願ってやみません


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Posted by alexey_calvanov at 23:54Comments(0)TrackBack(0)