2013年07月29日

現役復帰断念とジャーマン引退

今日が丁度支配下選手登録関連の最終週にあたるため、試合のない今日に重大な発表をする選手が出てきました。


まず、ソフトバンクの斉藤和巳リハビリコーチが現役復帰を断念し、退団することになりました。

斉藤コーチは恐らくホークスが福岡に移転して以来、最強の投手の一人と言ってもいいほど印象深い選手でしょう。本格的な右腕投手として名を馳せ、20勝(2003年)・プロ野球記録タイの開幕15連勝(2005年)・最多勝・最優秀防御率・沢村賞をそれぞれ2回(いずれも2003年・2006年)を記録しています。
しかし、2007年に右肩を痛めて以来、投球に精彩を欠くようになり、翌年には投げられなくなる状態に陥りました。もっとも、斉藤選手は右肩を何回も痛めていた経緯があり、2007年に痛めたのが致命傷になったのだろうと今となっては思う次第です

今年まで支配下選手再登録のために必死になってリハビリを行ったものの、1軍の戦力になるイメージが沸かなくなったということで涙の引退会見になりました。

正直すごい選手だったので、ケガがなければ・・・と思ってしまい、本当に惜しいです。何らかの形で残ってほしいものでしたが、とりあえず今はゆっくり休んで下さい。お疲れ様でした。


そして、もう一人、現役最年長野手でもある中日の山崎選手も引退を表明しました。地元では引退の意向というのがお昼のニュースで流れたほど大騒ぎとなっていました。

山崎選手は中日に入団した当初は泣かず飛ばずで、9年目でやっと開花しました。10年目になる1996年に本塁打王を獲得し、以後中日の打線の要として活躍していました。
ところが、ナゴヤドームに本拠地を移して以降、広い守備範囲に適用できなくなり、打撃成績もその広さが仇になり、徐々に下降線をたどっていました
2002年には当時の監督とのいさかいによって事実上干された状態になり、この年のオフにオリックスに移籍になりました。

しかし、オリックスにいた2年間もある種不遇の時期とも言え、2004年には引退も考えたそうです。それでも、山崎選手は工藤さんと家族の説得で新球団として誕生した楽天に移籍します。

楽天に移籍以降は、当時の監督だった田尾さん・野村さんの指導の下で復活を果たし、2007年に本塁打王・打点王を獲得し、再びピークを迎えます。40歳になった後も2ケタ本塁打をマークするなど、中年の星の一人として数えられるようになりました。

その山崎選手も2011年、奇しくも東日本大震災でこれから東北を盛り上げようとしていた矢先で戦力外通告を出され、現役の執念を燃やしながら移籍先を探していたところ、古巣の中日が手を上げ、復帰するという運びになりました。
一時はスタメンを実力で勝ち取ることもあったものの、年齢による衰え・相次ぐケガなどで出場機会が減少し、7/27に一軍登録を抹消されたことをきっかけに引退を決意しました

楽天時代に辞めていればとか昨年のうちに辞めておけば・・・とか色々思うところもあったのですけど、本人が完全燃焼したという思いがあるのならば、(引退会見では少々未練のあるような言い方をしていますけれども)恐らく悔いはないと思っています。何せ記憶に残る選手であることは間違いありません。特に楽天で復活した彼の雄姿を見た中日ファンの人達は驚いたことでしょう。強烈なインパクトを残して去って行こうとしています。
まだ山崎選手は時間があります。頑張れば1軍に上がれると思います。今後の動向を見守っていきたいと思います。ゆえに、まだお疲れ様とは言いませんまだやれると信じて見守っております。


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Posted by alexey_calvanov at 23:37Comments(0)TrackBack(0)