2019年05月06日

平成最後の東北に向かう⑤ 田老駅と宮古駅にて

島越(しまのこし)駅からおよそ25分、田老駅で途中下車今回の旅の中で一番行きたかった場所が、この田老地区だったんですね。


SHV39_4902田老駅から少し歩くと、ソーラーパネルの一群が。
恐らくこのあたりの電力を賄うためのものだと思われます。近くの建物には、「みなさま復興ありがとう」の一言が。



SHV39_4901そこからさらに歩くと、今回見たかった田老の防波堤のほぼ全容が見られます

田老地区は昔から「津波太郎」と呼ばれるほど津波の多かったところで、江戸時代には村が壊滅した、明治時代の明治三陸地震の津波でも壊滅した記録が残っています(その後、集団移転の話が持ち上がったものの、最終的には津波の危険が残る今の場所で再建された)
昭和三陸地震の津波後、堤防の建設が要望として出され、戦前に着工。戦争中の中断を経て、25年掛けて海面から10mの高さがある大防波堤が完成。その後着工から半世紀掛けてX字型の大防波堤を完成させます。
この防波堤は1960年のチリ沖地震の津波を防いだ(実際は3.5mほどで堤防には達しなかったものの、堤防によって損害が軽微になったと喧伝された)ことで有名になり、国内外から視察が相次いだ時期がありました。
この出来事を機に、防災の町としての意識が高まり、平成の大合併で宮古市の一部になっても継続されました。
ところが、東日本大震災では、この堤防を越える津波が襲来し、田老地区には甚大な被害が発生200人近い死者・行方不明者が出るに至ります。住民の防災意識は、かえってこの防波堤があることで過信してしまったのではないかと言われています。
漁師町という地域柄、高台への集団移転を拒んだ住民も、東日本大震災以降は集団移転を受け入れ、現在の田老地区には高台にあった家屋を除いてほとんどありません。
なお、大堤防は現在修復再建中です。取り壊そうという動きもあったそうですが、この堤防でさらに酷くなるはずだった被害を抑えることができたという評価が挙がったためです。



SHV39_4891その津波の高さを示すものが、あちこちに残っていました。
この神社は、恐らく再建されたんでしょうね。



SHV39_4900ここは、逆に高台にあったことで被災を免れたことがよくわかります。



SHV39_4893駅から歩いておよそ10分ほど。見えてきたのが、田老市営野球場宮古市が管理する野球場です。
ネスレのキットカットと三陸鉄道とのコラボで2016年に再建されました。そのため、キット、サクラサク野球場という通称が付いています
両翼92m、中堅120mとプロ仕様の野球場ですが、照明設備やスタンドの問題で、さすがにプロ野球は開催できない。



SHV39_4892右翼側には巨大なフェンスが設置されていますが、赤矢印の部分には、津波の高さを示す看板が設置されています。津波の高さは、このフェンスから見たら低いですけど、平屋の家は飲み込める高さではあります。



SHV39_4898田老市営野球場から道の駅たろうを経由して歩くこと10分位(田老駅からおよそ20分位)ですか。今回もう一つの最大の目的地であるたろう観光ホテルにやって来ました。
とはいっても、現在は営業はしておりませんホテルそのものも、渚亭 たろう庵という名称で高台に移転して再開しています。
こちらは、在りし日の姿を収めた説明書き。



SHV39_4896こちらが、現在の姿。

たろう観光ホテルは、1986年に完成した建物で、東日本大震災の時には2階までが壊滅的な被害を受けたものの、基礎と3階より上の部分の損害は軽微(津波で4階まで浸水)で、避難施設としての機能を果たしました
残すか取り壊すかの議論が起こる中で、所有者だったホテルは保存を選択し、2013年に国からの補助を受け、保存に向けての活動も行われました。その後、震災遺構第1号となり、所有者も宮古市に移って、学ぶ防災として生かされています
予約制だったので、今回は行けなかったのですが、6階部分に上がって当時の津波の惨状を記録した動画を見ることもできます



SHV39_4897その1階・2階部分。先程話した通り、壊滅的な被害を受けています。



SHV39_4894こちらは、1級登記基準点たろう観光ホテルの前にあります。
東日本大震災により南東に2.18m移動し、0.31m沈下しています。移動する前の地点も併せて設置されており、地震の脅威が伝わってくる場所でもあります。



現在この地域には新駅が建築される予定が挙がっています。新田老駅という新駅の開業によって、野球場や道の駅、さらにたろう観光ホテルへ向かうのにも便利になることでしょう。私自身も、まだいろいろと回りたいところがあったのですが、1時間20分あったのに全然時間が足りない・・・


SHV39_4905田老駅からおよそ20分。旧北リアス線の起終点である宮古駅に着きました。
今回乗っている列車は盛駅までの直行列車なので、この駅で15分停車します。
ここから旧JR山田線に入ります。最も被害が甚大で、最も復旧に困難を極めた路線でもあります。



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Posted by alexey_calvanov at 23:59Comments(0)