2013年02月21日

時代の寵児、逝く

ゲームクリエイターでもあり、アーティスト活動などマルチメディアで活躍もしていた飯野賢治さんが心不全のため2/20に亡くなっていたことがわかりました。まだ42歳。早過ぎる死というのは彼のようなケースを言うのでしょうなぁ・・・。


飯野さん(よく呼ばれた通称はイノケン。以下イノケン)は、高校中退後からゲーム開発に取り組むようになり、その後自身で会社を興します。彼の興したワープから発売された「Dの食卓」は全世界で100万本売れるヒット商品となり、彼の名を一躍有名にしました。
ワープ時代には、「エネミー・ゼロ」・「リアルサウンド ~風のリグレット~」・「Dの食卓2」を発売し、スマッシュヒットを飛ばします。しかし、実力と発言が伴わないとしばしば言われることが多くなり、自身も挑発的な発言をしてよくも悪くも有名になりました
一例として、PSの制作発表会の際、プレゼンテーションで登場した時にいきなりセガサターンへの移籍を発表したり、自身の作品のレビューが芳しくなかったことがしゃくに障ったのか、「俺の作品は10点か評価不能のどちらかにしろ」とぶちまけたこともありました。鈴木みそさんのマンガ「おとなのしくみ」の中でイノケンのインタビューを掲載していた時にも、ファミ通のクロスレビューへの不満を(そのファミ通の中で)語っていました。

売れっ子になっても、経営はかなり苦しかったそうで、ワープはスーパーワープ(後にフロムイエロートゥオレンジに社名変更)に変わり、ゲーム制作よりもコンピュータ関連の会社に変遷を遂げていました。またイノケン自身もゲームクリエイターよりも小説家・ティーン向け人生相談の回答者・バンドのメンバーといったマルチクリエイター的な路線にシフトしていました。
それでも、iPhone向けゲーム「newtonica」(2008年)やWiiウェア向けゲーム「きみとぼくと立体。」(2009年)で、ゲームクリエイターとしての存在感をアピールしていました。しかし、それらの作品が彼にとって最後の作品になってしまいました。


結局、300万本売れると豪語したRPGもイノケン自身が作りたかった3DO版の「Dの食卓2」も日の目を見ることなく、彼の頭の中だけで完結してしまいました。これでよかったのかよくなかったのかは正直わかりません。ただ、あふれんばかりの情熱とエナジーが、かつて元気だった1990年代のゲーム業界の中でひときわ輝いて見えたと今思えば感じています。そして、現状のゲーム業界をどう思っていたのでしょうか。そして彼ならどう変えるつもりだったのでしょうか


奇しくも亡くなったことが発表された日は、PS4が発表された日でもありました。イノケンはどう思って見ていたのでしょう。かつての宿敵でもあり憎き相手としてなのか、懐かしいあの頃を思い起こしながら、新しい企画を考えていたのか・・・。


ご冥福をお祈り致します。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  

Posted by alexey_calvanov at 23:27Comments(0)TrackBack(0)