2016年06月07日

ボスニア、よく戦えり

キリンカップの決勝が今日、大阪・吹田にある市立吹田サッカースタジアムで行われ、豊田スタジアムで行われた前哨戦でそれぞれ勝ち上がった日本代表×ボスニア・ヘルツェゴビナ代表が戦うことになりました(ちなみに、負けたブルガリア代表とデンマーク代表は決勝戦の前に行われた3位決定戦を戦っています)。
実は私は普段国際試合は見ない人間。国際試合そのものもそうですけど、ナショナリズムの出やすい国際試合があまり好きではないというのが主な理由で、なるべく見ないようにしていたのです。ところが、今回はボスニアが出るということで、国際大会へ本格的に復帰し、ワールドカップにも初出場したことで今勢いのあるチーム。是非見てみたいと思ったからです。仕事がなければ、前座戦も見に行ったのになぁ・・・(苦笑)。


試合は、速いテンポで進行し、双方ゴールを脅かすも点に繋がらないというふうでしたけれども、前半28分に清武弘嗣選手がゴールを決めたその直後、ミラン・ジュリッチ選手が速攻で同点に。後半もボール支配では日本代表は上回ったものの、要所要所で速攻の決まったボスニア代表に押し込まれるようになり、後半21(66)分に選手交代を上手く生かしたボスニア代表によって再び決められてしまいます(得点者はミラン・ジュリッチ選手)。そのまま試合は1-2で終了。ボスニア代表が初優勝を果たしました。


正直、日本代表にはスタメンから外れていた本田圭佑・香川真司両選手が出ていても、ボスニア代表の勢いは止まっていなかったでしょういいところで引き分け→PK決戦になっていたと思います。それだけ、FIFAランク20位のボスニア代表は舐めてかかれない相手だったということです(日本は同57位)。それゆえに、先制点を取ったことは立派だったとは思いますけれども、その後守勢に上手く転じれなかったことが課題になったのではないのでしょうか。


それにしても、ボスニア代表は実に素晴らしい試合運びをしていたと思います。
ボスニアという国を知っている人なら、ここまで来たことの苦労と重要性はよくわかるのではないかと思います。
ボスニアは、1992年旧ユーゴから独立を果たすものの、主要民族であるセルビア人とクロアチア人・ボシャニク人(ムスリム人とも。イスラム教徒のボスニア国民)との内戦に突入し、4年の間にたくさんの人達が亡くなっています。その後、連邦国家として再出発を果たすものの、ボスニアのサッカーは民族毎のサッカー協会が発足し、統一した協会設置は、3民族の相互不信によってなかなか実現しませんでした

このままでは国際大会にも出られなくなってしまう・・・。それを憂い、統一したサッカー協会設置に尽力したのが、あのイビチャ・オシム氏だったのです。各民族の代表を説得し、何とかボスニアのサッカー協会を立ち上げ、ワールドカップ予選にも参加できるようになりました。そしてオシム氏が思い描いた本選出場という夢を叶えたのです。それはボスニアが再び一つになるための試金石でもあり、和解への一歩になりました。そしてオシム氏の行動が間違っていなかったことも立証されたのです。
ワールドカップは惜しくも一次予選は通過できなかったものの、強豪相手に善戦したと思います。それがFIFAランクの20位であり、今回の優勝だと改めて訴えたいです。彼らの目指す方向が最高の形で結実したとも感じています。ボスニア代表の皆様、おめでとうございます。


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Posted by alexey_calvanov at 23:12Comments(0)TrackBack(0)

2014年06月26日

ドラゴンズ大健闘

この表題を見て中日ドラゴンズだと思った方々、残念でした(ギャハ)。現在開催中のサッカー・ワールドカップに出場しているボスニア・ヘルツェゴビナ代表のことです。このチームのシンボルキャラクターがドラゴンなんですね。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、今大会唯一の初参加国。普通だったらそこで終わりなのですが、この国を取り巻く環境は、それだけで終わらせてくれません


世界史で習った方もいるでしょうかの国、ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年旧ユーゴスラビアから独立したものの、独立の際にそこに住んでいたムスリム(ボシャニク)人・クロアチア人・セルビア人との間で武力抗争が勃発。以降3年間血で血を洗う民族紛争(ボスニア内戦)になったのです。当時、首都のサラエボがセルビア人勢力に囲まれ、郊外の丘からムスリム人やクロアチア人をスナイプする姿各都市から見つかる大量虐殺の跡は、昨日までの仲良き隣人が、今日になったら殺し合うという人間としてあるまじき異常なものを見た・・・そんな感覚を持っている方も多いのではないのでしょうか。


そんな内戦がアメリカやEUの仲介によって終わった後も、国はムスリム人とクロアチア人が集う地域とセルビア人が集う地域とに分割。その象徴として民族ごとに設立された国内サッカー協会がありました。国家としての体は何とか保ててはいたものの、国の中のベクトルは全くもってバラバラになっていたのです。当然過去の大会は全て予選落ち、あまつさえ前述の出来事であわや予選も出場できない事態に陥ったのです。

その事態を打開しようと粉骨砕身したのが、元日本代表監督でもあるオシムさん。彼は国の有力者などにも掛け合い、統一された国内サッカー協会の設立を訴えて回りました日本代表監督中に脳梗塞に襲われ、半身が一部マヒ状態という身体なのにもかかわらず、それを押して回ったのです。その背景には、やはり民族で振りまわされた旧ユーゴスラビアの末路を最も感じ取っていたからなのでしょう。
かつてオシムさんは旧ユーゴスラビア代表監督を務めていた時もありました。その頃の旧ユーゴスラビアは、民族自決の動きが活発化し、民族主義の台頭と国家の崩壊の危機にありました。それをサッカーを通じて何とか変えようとしたのですが、その思いとは裏腹に民族主義はより先鋭化し、遂には国家崩壊に突入しました。そしてオシムさんの故郷であるボスニア・ヘルツェゴビナが内戦に突入した際、それに抗議して代表監督を退任したのです。ゆえに、民族の意識を薄めさせ、国家の融合のためにできることをサッカーを通じて託したのです。

その努力とオシムさん自身がボスニア・ヘルツェゴビナの英雄ということもあり、統一された国内サッカー協会は設立。無事に代表は予選に出場できるようになりました。そして、オシムさんの想いが伝わったのか、予選では攻撃力の高いサッカーで勝ち進み、見事に予選を突破。ブラジル行きを掴んだのです。3民族の障壁を乗り越え、3民族の想いを一つにして勝ち得たものでした。


ワールドカップ本戦、予選1次リーグはアルゼンチン・ナイジェリア・イランという強豪の中で争うことになりました。勝ち進むのは難しいという下馬評通り、予選通過はなりませんでした。
しかし、アルゼンチン戦ではメッシ選手にほとんど仕事をさせず、オウンゴールさえなければ引き分けで終わっていたのではないかという健闘した試合になりました。
ナイジェリア戦は不運なオフサイドで勝ちを逃してしまいました。これも判定がオフサイドとならなければ引き分けの可能性もありました。動きは終始よろしくなかったものの、ナイジェリアを苦しめたのは否めません。
そしてイラン戦では実力以上の力を出したのではないかと思います。サッカーを知らない人間でさえも、過去2試合よりも動きにキレがあり、持ち味である攻撃的サッカーが行えていたのではないかと思いました。終始イランを圧倒していたと思います。これまでの想いをぶつけて掴んだ歴史的1勝。ボスニア・ヘルツェゴビナが一つになるための第一歩となる勝利だと思います。


ボスニア・ヘルツェゴビナのサッカーはこれからだと思います。
今後も民族が互いに手を取り合い、次の大会に進めるよう努力を積み重ねてほしいものです。なので、今こそ民族で見るのではなくボスニア・ヘルツェゴビナ国民として見られるように国内が変わるべき時なのです。ふがいないからと言って再び分裂の危機に陥るようなことになってほしくありません。なぜなら日本代表でも成し得なかった初出場で初勝利を挙げられたのですから、これを誇りに糧に生きてほしいのです。やればできるのだと。


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Posted by alexey_calvanov at 23:54Comments(0)TrackBack(0)