2012年03月16日

さらば『名古屋飛ばし』の初代のぞみ

今日をもって新幹線300系、通称のぞみ(初代)が現役車両としてのラストランを務めました。
新幹線300系は、新幹線0系・100系に変わる高速車両として制作された経緯があります。当時としては最速になる270km/hを達成し、東京~新大阪をこれまた当時最速の2時間半で走り抜けたことでも話題になりました。
同時に名古屋の人間にとってはほろ苦い思い出があり、いわゆる『名古屋飛ばし』がダイヤ編成の際に行われたことで、当時の名古屋市民や同経済界に感情論とも言える怒りの旋風が巻き起こったことでも話題になりました。

その経緯は、皮肉にも270km/hという最高速度と東京~新大阪を2時間半で結ぶことが原因だったとされています。
この速度を出すために、できるだけ停車駅を減らさないといけないという理由、特に1番列車に関しては朝の出張先の会議に間に合わないといけないという使命があったために、どうしても早さ優先になってしまったわけです。そのために、その1番列車に関しては、当時のひかりでは停まる駅だった京都駅とともに名古屋駅が通過駅の対象にされたにもかかわらず、新横浜駅のみ停車の対象として残ったわけです(当時は品川駅は未設置)。
人口比率から見ても、新横浜駅が停車対象なのは妥当なわけですが、当時の中日新聞をはじめとする在名メディアはこぞってこの方針に対し一斉批判東海道新幹線がJR東海、つまりは名古屋を中心として運営している鉄道会社だったこともこの批判に拍車をかけたのかもしれません。
感情論がエスカレートして、「(横浜は)街外れの田舎」・「三大都市の名古屋が、横浜ごときの田舎より冷遇されるのはなぜだ」・「目の前で乗客のいる列車が通りすぎる瞬間を見るのは初めてであり、これは名古屋に住む人達への冒涜か」という過剰な言動が飛び交い、その『異常な事態』を地元テレビ局がこぞって中継するにまで発展したのでした。
結局このダイヤは、諸所の改良により、1997年のダイヤ改正で廃止。それ以降は、新横浜駅通過、名古屋駅・京都駅停車ののぞみがメインになりました。
なお、この名古屋飛ばしのダイヤ編成の際、京都駅も通過と書きましたけど、このことに対して京都市・京都府の関係者からの抗議は一切なかったとのこと。朝一番ということで、観光客はそう利用しないだろうというのが理由ではないかと言われています。


・・・まぁ、今から思えばとんだ笑い話になるわけで(苦笑)。本当にあの頃はどうかしていると皆は思っているのかもしれません。地元の新聞の夕刊にも『「(インタビューに答えた人が)名古屋飛ばしをよく覚えている」と苦笑い』と書いてあることからもそのことが窺えるのかもしれません。

私自身名古屋飛ばしに疑問を覚え、共に憤慨した身ですから、今思うとちょっと恥ずかしいですね(汗)。でも、このことで地域埋没の危機感を感じ取れたために、その後名古屋が魅力的な街になるために四苦八苦したきっかけになったと思えば、いい経験だったのかもしれません。


ボルト落下トラブルなどもあり、『精神』・『肉体』共に苦労した20年だったかと思いますが、ともあれ長期間の運行大変お疲れ様でした。ゆっくりお休みください。


想い出の中の列車たちシリーズ さようなら100系・300系新幹線 [DVD]想い出の中の列車たちシリーズ さようなら100系・300系新幹線 [DVD]



ビコム ブルーレイ展望 新幹線 300系こだま(Blu-ray Disc)ビコム 新幹線 300系こだま(Blu-rayDVD



人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  

Posted by alexey_calvanov at 23:55Comments(0)TrackBack(0)