2012年05月12日

1年経った被災地を巡る 南三陸 -仙台から90km- 後編

ISW11F_0310柳津駅行きのバスが来るおよそ15分前に志津川駅に着く。JR気仙沼線の駅で、現在運休中。そのため、代行バスが走っている。
志津川駅といっても、もう何も残っていない。
それが駅とわかるのは、高架上にある駅のプラットホームのみだ。それ以外では、プレハブで作られた仮設の待合所とバス停、津波で残った駅関連の施設、そして、仮設トイレ
この仮設トイレには一過言あるのだが、ここで書くのは少々はばかられるので、「続きを読む」に書いていこうかと。



ISW11F_0314こちらは町内を巡回するコミュニティバス
日本赤十字社の支援で運営されているもの。JR代行バスを乗り継ぐために、到着およそ10分くらい前に着いたもの。



ISW11F_0315志津川駅は3ホームある駅で、快速も止まる大きな駅の部類になる。ある意味町の大動脈とも言える駅の復旧はいまだ不明瞭だ。

そのホームに立つ。上り・下りのあるホームになる。
写真は柳津駅方面を撮ったもの。



ISW11F_0316同じホームから歌津駅方面を撮ったもの。



ISW11F_0317同じホームから北(北西)側を撮ったもの。
先日の大雨で辺り一帯が水浸しになっている。恐らく田畑ではないはずだ。



ISW11F_0319同じホームから南(南東)側を撮ったもの。
辺りは何もなく、残っていてもほとんどが骨組みだけ。写真やや左側にある低い骨組みだけ(平屋か2階建てと思われる)の建物は、上れるようになっていたようで、親子が残っていた階段を利用して屋上にあたる部分に上っていた
さらに左端の方には、防災対策庁舎が見える。右側には公立志津川病院跡が。

高台に立つと、本当に何もないことがよくわかる。悲しくてやりきれない。



11:05にバスが来る予定だったが、数分ほど遅れて到着。
しかし乗っていたのは、私と近くの高校に通っていると思われる女子高生の2名のみその女子高生も陸前横山駅前にあるバス停で降りてしまい、終点の柳津駅まで乗っていたのは私だけ。
土休日運行ゆえのものなのか、平日でもこういう状況なのかはわからないが、この状況が続いてしまえば、ただでさえ少ない昼の便はさらに削られてしまうのだろう
今の南三陸町では正直何もできないのが現状だが、もし訪れるなら、車でではなく代行バスのような公共交通機関で来てもらいたいものです。


その後、柳津駅で今回唯一のJR(鉄道)に乗り、最終目的地である石巻に向かうのであった。


次回は石巻の話をしていきます。


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Posted by alexey_calvanov at 23:42Comments(0)TrackBack(0)

2012年05月11日

1年経った被災地を巡る 南三陸 -仙台から90km- 中編

南三陸町役場(災害対策庁舎)から海側に向かう。途中ひっきりなしに車が通る2車線の道を渡ると、思わず息をのむ光景に出くわす。


ISW11F_0298がれきの山。
遠くから見ても、その量が尋常ではないということがわかる。
NHKの報道によれば、日本で一番がれきの残る町という位置付けにあるのが、南三陸町の現状なのである。もちろん、福島第一原子力発電所関連で入れない地域は除かれている



ISW11F_0301沿岸部にて。
防波堤はあの日の津波で無残にも破壊され、今は土のうが積まれて何とか波を食い止めているというふうなのだろう。
荒れた天候だった昨日(5/4)のようだったら、町中一帯は見事に冠水してしまうだろうと思えてならない。



ISW11F_0304そして、このがれきの山から見える公立志津川病院跡。
現在、志津川病院は隣町の登米市に移転し、南三陸町で医者にかかりたい患者は、震災直後にイスラエルの医療団体から贈られたプレハブの診療所を利用するというふうになっています。
現在は元ある場所ないしは町に戻れるように思案中のようです。
なお、志津川病院跡の前では、大勢のボランティアが復旧作業に取り掛かっていました



ISW11F_0305さて、沿岸にあるがれきの山。
そこには、横倒しになっている鉄の塊が。
よく近寄ってみてみると、何とSL。後で調べてみると・・・。



ISW11F_0307そう、このがれきの山が置かれている場所とは、松原公園という沿岸部に広がった公園だったのだ。
それゆえに、あれほど大量のがれきが置ける、悪く言えば残されてしまったわけだ。
先述のSLも、公園内の敷地に置かれていたモニュメント的なものだったのだが、津波で流され、横倒しになってしまったのが、今そのままになっているというふう。

津波の圧倒的な力は、物を倒す・壊すだけでなく、人の心理状態にまで大きな深手を残すのか。
改めて、津波の力に圧倒され、適当な言葉が出ない



ISW11F_0299時間的にも少々厳しくなってくるので、一路志津川駅に。
八幡川の右岸にある骨組みだけの建物。
そこには、「よみがえれ故郷 ふんばれ南三陸町」の言葉があり、胸に刺さる。
あれだけの惨事に遭いながら、必死に前に進もうとする住民達の精神的な強さと、何も進まない町の復興に絶望しそうな中で、ともすれば空虚になりかねないスローガンに。
みうらという店の建物に掲げられているこのスローガン、ぜひとも前者になってほしいものだと心から願う。
みうらの店主は恐らく無事だったのだろう。だからこそ、店主や町の人々に月並みな言葉ながら一言申し上げたい。進まない復興に負けないでほしい、頑張ってほしい。



次回は志津川駅周辺の様子を書いていこうと思います。


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Posted by alexey_calvanov at 23:59Comments(0)TrackBack(0)

2012年05月09日

1年経った被災地を巡る 南三陸 -仙台から90km- 前編

2日目、朝早くに宿泊先のホテルをチェックアウトし、前日と同じ8:10に宮城交通高速バスターミナルから南三陸に向かうことになる。
気に掛ったのは、前日通行止めで迎えなかった南三陸方面が向えるかどうか。さすがに不安だったので、バスターミナルの案内で確認したところ、無事運行しているとのこと。それを聞いて自動券売機で切符をあらかじめ買っておいて、バスに乗り込む。


ISW11F_0285今回のルートは、三陸道に乗るのは同じだが、途中降りるのが桃生(ものう)津山インターチェンジに変更されている点。これが正規のルートらしく、インターを降りると山道を駆け抜けることになる。
しかしながら、写真のように、津波の影響が徐々に表れ始める。これは津波によって流されてしまったJR気仙沼線の一区画



バスが南三陸町の沿岸部に差し掛かると、周りの景色が急に開けてくる。
いや、開けていると書くのはおかしいのかもしれない。正確には何も無くなってしまっているのだ。
ご存知の通り、南三陸町は東日本大震災による津波で沿岸部が壊滅そこで残った建物は数件レベルで、残った建物も全壊ないは半壊と言っても過言ではないだろう。これから紹介する写真にもいくつか写っていると思うので、確認して頂ければと。


バスは南三陸町中心部の最寄り停留所になる志津川十日町に着く。
しかし、そこも何もないただバス停だけがそこにあるだけ。


ISW11F_0287そんな何もない中にも、信号だけは復旧させていた
その信号機は、電気が復旧していないため、太陽電池が設置されている。恐らく雨の時にはディーゼルなどで自家発電をして点灯させているのだと思われ。



ここでの最大の目的地は南三陸町役場。正確には防災対策庁舎に向かうわけだが、その建物は意外にもあっけなく見つかる
しかし、そこへ向かう道のりが容易ではない川向になるのでどうしても最寄りの橋を渡らなければならず、その肝心最寄りの橋が流されており、少々遠めの橋(最寄りの橋から約数百m)から渡らなければならないのだ。


ISW11F_0290その道すがらから撮った、沿岸部でほぼ唯一と言っていい、残った建物。
報道でも有名になった公立志津川病院跡とスーパー。およびアパートなど。



ISW11F_0308南三陸商工会会場。
建物のあったと思われる場所には、何も残っていない。




ISW11F_0292津波によって欄干が押し流されている八幡橋。
あの日、大量のがれきが八幡川を中心に押し寄せたばかりか、黒い津波が町の沿岸部を覆い尽くした。それは沿岸部に建っていたあらゆる建物が流されてしまったのだ。



欄干の曲がった八幡橋を渡ると、いよいよ今回の目的地の一つだった南三陸町役場(災害対策庁舎)にたどり着く。


ISW11F_0288川向から撮った全景。
見てもらうとわかるが、周囲の建物はほとんどない
周囲には町役場の本庁舎等もあったようだが、先述の津波で全て押し流されている。
残ったこの庁舎も骨組みだけだ。

当日は大勢の人がここを訪れていました。南三陸町のボランティア(周辺案内)の方も見えたようです。



ISW11F_0293庁舎正面。
あの日は骨組みだけになった庁舎に大量のがれきが突き刺さり、無残な姿になっていたそうです。



ISW11F_0295庁舎側面。
非常階段は津波でひしゃげている。
あの日、避難した職員が一気に非常階段から屋上に駆け上がったものの、庁舎のほぼ全体が水没避難した職員達は必死に屋上の欄干やアンテナにしがみついたそうだ。それでも大勢の人が亡くなっている。それだけ津波の力のすさまじさがわかる。
そして、必死に逃げるようアナウンスした『天使の声』はここから発せられていたのだ
その彼女も、津波襲来数分前に非常階段を駆け上がったものの、間に合わず命を落としたという。



実際この建物を見た時、思った以上に小さかったことに驚いたのと同時に、よくここまで耐え抜いたものだと感心さえもした
周辺の建物があるというのを後に知り、実際の建物はそう小さくないのかもしれない。でも、これを見る限りでは12畳くらいの大きさしかないんじゃないかと思えるほど小さいのだ。

しかしながら、失われた命と生き延びた命、共にそれを語る上では非常に重要な建物とも言えるのは間違いない小さいながらも生死を分けた館になったのだ。

献花台の前には多くのお供えが置かれていた。もし、お供えを置く際に注意してもらいたのが、お金を添えるのは控えてほしいという点だ。もしお金をお供えしたい場合は、山麓に移転している仮設の町役場へ渡した方がいいのかもしれない。恐らく具体的な注意事項が献花台の前に書かれていたはずです。


ここで起こった全ての事象を心に留め、深い哀悼の意を捧げたのは、言うまでもない。心に刺さり、今でも辛い。


ISW11F_0296ちなみに、町役場の周辺は地盤沈下が起こっていたようで、前日の大雨で道路が冠水していた
迂回できる道が無ければ、足元はびしょ濡れになっていたに違いない。



この後、一旦JR代行バスの場所を確認するために周囲を徘徊志津川駅の場所がわかり、それと同時にバス停の場所も確認できたため、時間まで町内を見て回ることにした。


次回は、その町中の様子と志津川駅の様子を伝えていく予定です。


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Posted by alexey_calvanov at 23:10Comments(0)TrackBack(0)

2012年04月23日

2012年の大型連休の計画を練り始める

今年も大型連休(ゴールデンウィーク)が近付いてきました。
今年は大型連休が前半3日、後半4日という編成になっているので、上手く有給がもらえれば9連休となるようで・・・。まぁ、関係ない話ですが(苦笑)。


とりあえず、今回は後半の4日間のうち2日間(夜行で乗って帰るので実質3日間)使って回っていくつもりです。
その回っていくところは、東北の被災地、特に被害が甚大だったとされる陸前高田・気仙沼・南三陸の3ヶ所と昨年回った石巻の計4ヶ所です。
ホントは行きも夜行バスで回って行ければよかったものの、既に完売状態。仕方なく、今回は岩手県の花巻市から入ることにしました。いわて花巻空港からならば、一関市まで新幹線で乗っていかなければならないものの、宮城県気仙沼市や岩手県陸前高田市にも一気に回れるようになる・・・んですけど、その接続の悪さと、接続できてもギリギリな部分もあるため、正直今回はかなりの綱渡り。そのため、今回だけは慎重に調べてスケジュールを組み立てて動くことになりました


初日で陸前高田市・気仙沼市を回って仙台市に。2日目で南三陸町と石巻市を回って仙台市に帰るという予定で動きます。

陸前高田では一本松を、気仙沼では杉ノ下地区に行って来て慰霊碑を見に行って来ます(気仙沼に関しては市街地を回れる時間ができそうなので、それなりに見て行けそう)。
南三陸では津波で壊滅的打撃を受けた町役場を見て参ります。あれほどまでの衝撃を生で見て、津波のすさまじさを感じてくる予定です。
石巻に関しては、去年見に行った石ノ森萬画館周辺を見に行きたいと思っています。ただ30分ほどしか滞在できないので、正直どこまで見て行けるのかわかりません


被災地を見て、現状を噛みしめ、復興が進んでいるのかを実際に見ていこうかと思います。


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Posted by alexey_calvanov at 23:56Comments(0)TrackBack(0)