2023年11月19日

仙台で一時を過ごす

仙台におりまして、朝ご飯を頂いて、これから盛岡に向かいます。そうです、大事な試合です(ニヤニヤ)。<この時期になったら、いつも大事な試合だろ!
やまびこでゆっくり向かいますわ。だって盛岡に早く着いても、スタジアムに行く列車に乗れる(はず(爆))だもの。


ともあれ、仙台は晴れてきましたけど、盛岡が心配なんだよなぁ・・・。昔、全国的に天気が良くても、岩手県の盛岡とか北上とか花巻とかは天気が悪くて無茶苦茶寒かったんだよね・・・。昼から晴れるようですけど、心配です。


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Posted by alexey_calvanov at 08:01Comments(0)

2021年03月20日

5強って揺れじゃなかったな

今日(3/20)、宮城県を中心とした東北地方で大きな揺れを感知しました。
マグニチュードは7.2、最大震度は宮城県で観測した5強で、同県沿岸に津波注意報が発令されています。発生から時間が経過していますけど、津波注意報解除までは海や河川に近付かないようにしましょう今回の津波は最大1mの予想なので、そんなのが来たらひとたまりもありません。例え数十cmでも足下を波で引っ張られて流されるから、かつ規模の大小はあれど何度も津波は押し寄せるからです。

地震発生の映像をテレビで見ていたのですが、東日本大震災の時まではいかないものの、先日発生した地震並の揺れ方をしていたんじゃないかと思います。あの時の地震は震度6強だったのですが、あの時と同じ揺れ方でしたよ・・・。

この地震で、関東圏など広範囲で震度3を観測し、名古屋でも震度2ほどの揺れになったようです。実際に数分遅れてやって来て、最初はやんわり揺れたかと思ったら、下から少し突き上げる、勢いはなかったものの、のっしのっしとした揺れでした。


これも恐らく東日本大震災の余震なんでしょう。もしかすると数週間前に起こったニュージーランドの沖合にある無人島を震源とした地震とリンクしているのでしょうかねぇ・・・。遠い場所の地震も、これから注視した方がいいかもしれません。


明日は東北では雨が予報されています。建物を見る限り大丈夫そうですけど、念のため雨漏り対策をするといいかもしれません。


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Posted by alexey_calvanov at 19:20Comments(0)

2017年05月19日

東北へ行く2017⑤ 震災遺構 荒浜小学校 後編

SHV32_0811ここから一般公開されていない3階を越え、4階に。
現在交流活動室として使われている5年生の教室に残されている予定表。最後の月である3月の予定が書かれているところを見ると、この学校が最後まで学校としての役割を果たしていたことがわかります
ここでは、荒浜地区の震災前後の姿をNHKのアーカイブ映像から偲ぶことができます



SHV32_0813こちらは、3.11 荒浜の記憶(音楽室)に置かれている津波をかぶった時間で止まっている体育館の時計体育館は、津波で流されています。
その体育館は、かつては避難場所として考えていたものの、チリ沖の大津波が来た時に、大津波が来ることを考慮して、当時の校長が避難対象から外したのだそうです。
ここでは、荒浜地区の震災発生から住民救出までの約2日間のドキュメンタリー映像を見ることができます。当時の緊迫感が伝わる非常に貴重な資料です。



SHV32_0814荒浜の歴史と文化 荒浜小学校の思い出(6年生の教室)では、かつての荒浜地区の姿をジオラマで、かつ小学校の歴史を見ることができます。
この中の荒浜地区のかつての姿を見て、森の中に囲まれた穏やかな場所で、夏は海水浴場の入口としてにぎわっていたんだなぁと。仙台市内にあるとは思えない、のどかな場所だったんですね。



SHV32_0812本当は、屋上から撮ればよかったのですが、そんなことはつゆ知らず、4階から撮った景色。
見てわかるのは、建物という建物はほとんど残っておらず、残っているのは墓だけという、何とも言えない皮肉。



まだバスが来る時間ではないものの、荒浜小学校はもう閉校の時間に。
荒浜小学校は10:00~16:00までで、月曜および第2・第4木曜が基本的に休みになります。他は年末年始や祝休日も休みになります。早くに閉まってしまうので、訪れる際には十分にご注意下さい。


SHV32_0815バスが来る時間まではそんなにないものの、どうしても行きたい場所があるので、小走り気味に向かうことに。
その途中にあるのが、貞山堀(運河)そばにある荒浜の歴史を示す碑。震災前後の荒浜の歴史を知ることができます。



SHV32_0816今回向かいたかったもう一つの場所、それがこの東日本大震災慰霊塔。大きな観音像が建立されています。かつては八大龍王神社という神社がありました。今は鳥居のみ残っています。
この観音像の高さは約9m。この地区に襲った津波と同じ高さになっています。そのそばには、この地区で犠牲になった192人の慰霊碑が置かれています。



SHV32_0817ここには、かつて深沼海水浴場という仙台市唯一の海水浴場がありました。しかし震災以降、沖合がどうなっているのか調査が進んでいないこともあり、現在でも泳ぐことができません。そして、大きな防波堤も作られ、将来近くで防災林や避難施設建設も行われます。
ここの姿も大きく変わることになるでしょう。



SHV32_0818こちらは、荒浜記憶の鐘鐘の正面にも石が置かれており、そこから鐘まで13.7m(津波の最高到達点になる)あるそうです。
場所は、海辺の図書館のそばにあります。



2日目は、仙台市の端から端まで移動するのに膨大なエネルギーを使ったのかなと思っています。朝早くに着いたと思ったのに、気が付いたらもう夕方だったもの。
その膨大なエネルギーは宿泊先に向かう時にも発揮され、バスで旧荒浜小学校から荒井駅まで戻り、そこから再び仙台駅まで。その後は福島県で宿泊先を決めていたので、目的地の郡山市まで新幹線で向かえば早いのですけど、もったいないので、のんびりと在来線で行くことに。
ところが、郡山まで一気に行けるわけではなく、福島を乗り換えて行くことになるわけで。じゃあそこで、福島名物の福島餃子でも・・・と思ったものの、人が多すぎてとてもじゃないけど食べられそうにない乗り換え時間も余裕があったと思ってたのに、あっという間に時間なので、泣く泣く郡山に向かうことになりました。まぁ、郡山で美味いものが食えたら無問題ですけど。


次回は、いよいよ初上陸の福島県を本格的に旅します。


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Posted by alexey_calvanov at 23:10Comments(0)TrackBack(0)

2017年05月18日

東北へ行く2017④ 震災遺構 荒浜小学校 前編

SHV32_0799地下鉄東西線からバスで15分ほど。終点の旧荒浜小学校に到着しました。



SHV32_0800荒浜小学校は1873年に設立されたものの、東日本大震災がきっかけで生徒数が激減今年の3月末で廃校になり、144年の歴史に幕を閉じました。その後は、震災遺構としての保存活動が進められ、4/30から一般公開を開始しています。
写真は、それを記録するために設置された碑。旧荒浜小学校の校歌が記されています。



SHV32_0802校庭には、津波で流された二宮金次郎像が置かれています
元々南西角に置かれてきたものが、津波で流され、8か月後に学校から南西100mほどのところで見つかったそうです。
見ただけで、その破壊力と威力がわかるものです。



SHV32_0801下層階の写真。
見てもらうとわかるように、2階の一部まで津波が押し寄せています。そして、津波が引き寄せたがれきなどがぶつかって、鉄柵がひしゃげています



SHV32_0804側面に回っても同じように、鉄柵がひしゃげ、津波の威力・がれきの破壊力がよくわかります
ちなみに、現在でもこの建物は、被災時の緊急避難ビルとしての役割を担っています



SHV32_0805中に入ると、がらんどうな部屋が続きます。
こちらは1階の教室1年生の教室になっていました。今でこそがらんどうな部屋になっていますけれども、震災当日の津波の押し寄せた後は、奥に車が詰め込まれるほどの力が掛かっているのです。



SHV32_0806その先は非公開部分になっていますが、天井のはがれている姿を見て、その凄惨さを伝えています



SHV32_08072階に上がってみます。
先程、側面で見ていたあのひしゃげた部分を間近で見られるばかりか、コンクリートの壁も破壊されていることがわかります



SHV32_08092階には、津波到達ラインというものがあります。証言の中にもあるのですけれども、足元まで津波が迫ってきたというのがあります。それを示す証拠でもあります。ただ、どうしてもわかりにくい。写真で見てもわかりにくいことでしょう。



SHV32_0810では、こちらをご覧下さい。
職員室に置かれていた用具入れが津波をかぶり、そのかぶった跡だけがさびついているのです。
こちらははっきりと目視で確認できるので、津波がここまで来たのかとわかりやすいのではないのでしょうか。



次回も荒浜小学校を取り上げていきます。


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Posted by alexey_calvanov at 23:24Comments(0)TrackBack(0)

2017年05月04日

いたたまれない

仙台市街から荒浜地区に行ってきました。
詳細は後日書いていきますが、本当にいたたまれない、その一言に尽きます。同じ浜にある蒲生地区も燦々たるところでしたが、ここも学校と墓以外はほとんど残ってない。

ここを故郷としていた人は、今でも辛いのだろうなぁ・・・。


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Posted by alexey_calvanov at 16:33Comments(0)TrackBack(0)

物差しでもスケールでもありません!

定規です、定規(ギャハ)!
・・・じゃなかった定義です(汗)。

というわけで、先程仙台駅に着き、これからバスで定義山こと定義に行ってきます。着くまで推定80分(苦笑)、滞在約数時間(爆)。ゆっくりしていきます(笑)。


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Posted by alexey_calvanov at 07:21Comments(0)TrackBack(0)

2016年11月22日

5年半経っても、震災の余震が起こっている

今日午前6時頃に福島県を中心とした北海道南部・東北・関東・東海・北陸・関西と鳥取県で地震が起こりました。中でも、福島・茨城・栃木で震度5弱の強い地震が発生しています。周辺の県でも3ないしは4の地震が起こっています。
今回は津波も発生しており、仙台港で1.4mを観測するなど1m前後の津波が襲い掛かっています


今回は、防災意識がある人ない人の差が激しかったように思われました。
過去に凄惨な目に遭った人には、強い危機意識を感じたようで、すぐに最寄りの高台や防災ビルなどに避難するというふうに迅速な行動が取れたようです。しかし、避難しても徒歩で避難した人よりも車で避難する人が多かったようで、道路が渋滞して素早く逃げられないということもあったようです。
お年寄りのいる人・身体の不自由な人・車が無いと遠くに逃げられない人など様々な理由があるのでしょうけど、こんな時ほど、近所の人達に声を掛け合い、相乗りで避難するか、出す車を限定する、バスなどの大型車に乗せて逃げるということもやれるようになれればと思いましたね。ただ、そんなのっぴきならない事情を除けば、できることなら車を使わないで逃げる手段を考えてもらいたいものです。ゆえに、避難ビルのような高層施設を性急に方々に建造すべきでしょう。

また、今回の地震でも大丈夫だとのん気に構えて非難しなかった人もいたようです。しかも津波が押し寄せる川のそばを平然と歩いている姿も目撃されていたようで、改めて危機意識を持たせることの課題も浮き彫りになったと思います。もちろん、船の様子が気になるからと港に向かうのはもってのほかです。


なお、今回はメディアも素早く動いていました。
NHKと民放3局(TBSテレビ・日本テレビ・フジテレビ)がインターネット上に同時配信を行い、現地でテレビを見られない人でもYouTubeや専用サイトで見られるように対応しておりました。また「津波、逃げて」のように、大きな文字ではっきりと非難意識を植え付けさせていました大きな文字での訴えは過去に行われていましたけれども、今回もちゃんと的確に行われていたと思います。特にNHKは音声でも東日本大震災の教訓を忘れず、すぐに避難するよう呼び掛けていました。毎度のことながら、NHKの姿勢は緊急報道時のいい見本だと思います。


まだ毎年余震が起こっている東北。いまだ余震域と呼ばれる区域は活発なのだと認識させてくれました。そして、まだ震災が終わっていないことも痛感させられました
今年はおろか来年以降もまた起こるという意識を持って、非常時に何をすべきか考えるようにしましょう。


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Posted by alexey_calvanov at 23:44Comments(0)TrackBack(0)

2015年05月03日

2日目は行き当たりばったり

まぁ、昨日もそのようなもんでしたけど(苦笑)。
今日は絶対ここに行くという箇所を2つだけ設定して、後は風の向くまま気の向くままな旅をしております。そんなふうなので、基本滞在時間は短めですが、濃密な時間は過ごせているなと思っています。


で、その向かった場所はどこなのか?秋保温泉以外に必ず行っておきたかった場所はどこなのか?そいつぁ後日紹介予定だ(ニヤニヤ)。


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Posted by alexey_calvanov at 15:00Comments(0)TrackBack(0)

2014年05月02日

今年(2014年)も東北に行って参ります。

今年もこの時期になりました。
今日の夜から夜行バスで仙台に行って来ます。とはいうものの、今回早く手を打たなかったがために、直行のバスが取れず、やむなくですが東京(新宿)経由で東北に向かうというふうになります。
ここまでして・・・思うかもしれませんが、まずはできるだけ東北の現状を見ておきたいというふうに、さらに東北に行くことで何かしらの貢献が少しでもできればとも思っているからです。

これまで宮城県では、閖上(ゆりあげ)・塩釜・松島・石巻・気仙沼などを、岩手県では陸前高田を見てきました。いまだに地域間で復興の差が大きいことを痛感しています。
今回は仙台を中心に見ていく予定ですが、仙台に関してはまるで何事もなかったかのようになっていることでしょう。そういった意味合いがあるわけではないのですけれども、今回の東北を見る時は、明るい部分を伝えていければと思います。もちろん、現状に目を背けるためではなく、いいところを十二分に伝えたいためです。意図的な意味もミスリードさせるというふうでもありません。

今回仙台中心にと思ったのは、丁度今年の冬(1~3月)に「Wake Up, Girls!」が放送されたというのもありまして。仙台を舞台に繰り広げられるアイドルグループの青春群像劇に使われた場所を見て行きたいというのもあって、今回は仙台に絞っております。既にアプリを落として下調べができる準備もしております。


今回はPCを持って来ずにスマホだけで更新する関係上、写真の更新などが遅れがちになることをご了承下さい。また記事の更新もいつも通りできるかも不明です。重ねてご容赦下さいませ。


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2013年03月11日

3.11 東日本大震災について話そう

もう震災から2年経つんですね。
メディアなどでは風化の心配が起こり始めていると訴えています。また住民の中には、見たくない・悪いことは思い出したくないという理由で震災遺構の取り壊しが起こっています


正直風化というのは起こるべくして起こるというものです。しかし、あれほどの未曾有の出来事、被害は無くとも相当な揺れを感じた場所も多かったと思うのです、が起こっているにもかかわらず、のど元過ぎれば・・・となってしまっているのがとても情けなく感じていますたとえ仕事で忙しくて黙祷ができなくても、常にこの日があったことだけは忘れてはいけないと思います。

私達がこれから必要なことは、防災意識だけではなく、風化との戦い。つまりは、あの日何が起こっていたのか、震災を体験した人達が今こそ率先して語ってほしいのです。辛い経験を掘り起こすことになるのかもしれませんが、私達が聞かなければならないことは、その辛い経験から自らを身を守るための教訓を得るためなのです。
そして、私達は被災地が抱えている問題をもっとよく知る必要がありますこの中で挙がってきた問題が将来我々に降りかかってくるのかもしれないのですから・・・。

そして、何より目を背けてはいけないのが原発問題です。いまだ廃炉にどころか放射能との戦いが巻き起こっています帰りたくても帰れない人達がまだまだ大勢いるのです。そのことは決して風化させてはいけない出来事なのです。原発をどうするのかを改めて考えるべき時ではないのでしょうか。またこういう人達を増やしてしまうことになってもいいのか。逆にこの『人柱』を教訓にして、より安全な原発事業を起こすのか・・・


今年も5月に東北に行く予定です。まだどこに行くか具体的には考えていませんが、間違いなく行きたいところがあります。

まずは宮城県石巻市ようやくリニューアルした石ノ森萬画館に是非とも訪れたいです。そしてできることなら、「がんばろう石巻」という立て看板の建っているあの場所に行ってみたいです。どうもそのあたりが区画整理で公園になるとのことらしいので、区画整理が進む前に見ておきたいところだなと思っています。

また前回は近くまでしか寄れなかった岩手県陸前高田市の奇跡の一本松に行ってみようと思います防腐処理の行われた後の松ですが、もう一度見に行きたいと思っています。
そして、岩手県はもう少し沿岸を回ってみたいと思っています三陸沿岸域になると思いますが、できるだけ色々な場所を回ってみたいです。


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2012年06月18日

1年経った被災地を巡る 高速路線バスの悲哀編

1年経った被災地を巡る、最後は代替や元々あったルートで活躍する高速路線バスについて思ったことをば。


震災から1年経過したとはいえ、鉄道の復旧はおよそ半分くらいで、中には数年以上復旧が難しいのではないかといわれる路線や、このまま廃止になるのではないかという路線もあります。
そんな被災地を巡る際、お世話になったのが高速路線バスと代替バス仙台からもいくつか出ているので、気仙沼と共に拠点として活躍しました。


しかしながら、その高速路線バス・代替バスともお世辞にもいいものとはいえない部分が散見されました

まず高速路線バスは、乗合制であり事前予約なしで乗れるという点一見事前予約なく乗れるというのはいいことに見えます(実際、飛び込みで乗れるので、煩わしさがないのはメリットでもある)
しかしながら、元々の本数が非常に少ないため、序盤で満員ないしは8割型埋まるという事態になってしまうため、後から乗りたくても乗れないという事態が多かれ少なかれ発生しているようです。
実際、それを痛感したのが帰りのバス
この際、石巻駅からではなく、1つ前の中央三丁目から乗ったのですが、その後の石巻駅で大量の待ちが発生しており、補助席を使っても取りこぼすという事態になっていました。そのため、もう2つ停車して乗せるはずが全く乗せられないという事態になり、時間のロスばかりか、乗りたかった人が乗れないというふうにもなっていました。
中でもイオン石巻で待っていた女性は2本(時間にしておよそ1~2時間ほど待たされる格好になる)乗れなかったらしく、係員に詰め寄るシーンも垣間見ました
たまたま休み時だからこうなったという側面も否めないものの、もう少し考えた運行をすべきだと思います。石巻~仙台の直通ルート(鉄道)がない今、細やかな代替ルートを設定して、なるべく復旧した鉄道へ誘導する(その際、乗り継ぎ券で安く抑えるという点も追加して言わなければならないかも)というのも一つの手ではないのでしょうか。

もう一つは、全く乗っていない代替バス。特に南三陸町から乗ったバスは2人という、どう見ても採算取れてないだろうと思えるほどの有様でした。
バスの人を増やす方法はなかなか難しいものがありますが、積極的に運行情報を住民に知らせることと、他の代替バスとの連携を深めて、できるだけ多くの人を運べるようにした方がいいのではないかと思います。


公共交通機関の偏りは、同時に復興への妨げにもなりかねません。できることなら、需要の多い便は時期に合わせて臨時便や細やかなルートを増やしてできるだけ捌けるようにすればいいですし、需要の少ない便は単純に減らすのではなく、いかに増えるように持っていくかを考えなければならないでしょう。


1日でも早く、東北の復興が進みますように・・・。


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2012年06月16日

1年経った被災地を巡る 食べて復興支援編

ISW11F_20120604_205027お久しぶりのこの特集。
いよいよプロローグに向けて進めていこうと思います。

最終章へ向けての第1弾は、被災地支援もあって、色々とお土産を買ってきました。別枠で紹介するのもありますけど、それはまた後日。


まずは、石巻市(石森萬画館)で買ってきた「絆 石巻被災企業・復興企画商品」
石巻市内で被災された企業が共同で製作した企画商品で、全部で7セットある(石巻元気復興センターで通信販売も可能)のですが、今回のモノは萬画館で売るために作られたお試しセットのようなものなのかもしれない。価格は2000円ほど。
ビニル手提げ袋に入っており、「絆」と書かれたシールで留められておりました。
中身は、左から、わかめ用ドレッシング・かつおぶし「希望」・さんまこぶ巻き「リアスの詩(うた)」・塩蔵わかめ

どれも美味しいんですが、オススメは、さんまこぶ巻きさんまが脂っこくなくて、昆布とみりん・醤油・砂糖などで作られた調味液に漬けられているせいもあってか、旨味がよく染みていますよ。ご飯が進みます。



ISW11F_20120609_195114もう一つは、別売りで買ってきた即席みそ汁「絆 石巻被災企業・復興企画商品」のセットの中にも入っている場合があります。
フリーズドライされたもので、5袋(仙台みそ(赤だしに当たるもの)3袋と白みそ2袋)入り。
これも、どちらも味噌の風味が生きたものでした。個人的には白みそかなとも。



ISW11F_20120616_073508最後は、気仙沼駅前のNEWDAYSで買ってきた三陸海宝漬
結構高い物ですけど、物産展でもなかなか手に入らない代物なので、せっかくだからと買ってきましたよ。

前にも書いた通り、このNEWDAYSは本当によく利用させてもらいました。土産も買ったし、家まで送ってもらったし、お菓子とかも買ったな、テレビ見がてらで口寂しかったので。



ISW11F_20120616_093553中はこんなふう。
・・・うわぁ、海の宝石箱やぁ、というセリフが似合うくらいにキラキラしておりましたよ。
めかぶ・いくら・ししゃも、そしてアワビが入った豪勢なものです。
味は文句なし。ご飯が3杯も進みましたよ。美味くないわけがないよね、これは。



次回は最終回、交通事情だけは言っておきたいので、書いていこうかと。


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2012年05月18日

1年経った被災地を巡る 石巻 -仙台から55km-

ISW11F_0322柳津駅からJR気仙沼線に乗り、前谷地駅へ。そこからJR石巻線に乗り換え、やって来たのが石巻駅。
ここだけは唯一東日本大震災後に訪れた場所だっただけに、2度目の来訪になる。

昨年は電車が走っていなかった状態だったが、この日は石巻線も仙石線もほぼ全線(石巻線は渡波(わたのは)駅~女川(おながわ)駅間のみ、仙石線に関しては高城町駅~陸前小野駅間のみ共に未再開)再開していました。
駅前の窓口も開いており、駅構内のNEWDAYS(JR東日本の運営するコンビニエンスストア)も営業しており、表面的にはかつての日常を取り戻しているように思えました。

写真は、石巻駅ホームにある仮面ライダーとサイボーグ009のキャラ像



ISW11F_20120505_132549石巻駅そばから石森萬画館付近(中央3丁目)まで伸びる商店街(通称マンガロード)。
がれきの山だった商店街周辺はボランティア達の協力で片付けられ、汚泥や据えた臭いが漂っていた地域も何事もなかったかのような状態にまで回復していました。
しかしながら、一部はシャッター通りと化しており、まだ取り壊しの進んでいない半壊の建物も残っていました
これは気仙沼の時にも言えた状況ですが、半壊の建物が残ったままな理由は、解体業者が解体に追いつかず、順番待ちになっているため。それ以外にも所有者がいまだ行方不明で連絡が取れないというのもあるのでしょう。いずれにしても、倒壊している建物が残っていることで、一部地域ではまだまだ復興が進んでいないといういびつな状況にもなっているふうでした。

それでも、確実に復興への一歩を歩んでいます
コインパーキングの土地を利用して、復興商店街が開かれており、半壊ないしは全壊したお店がそこに出店し、かつてのにぎわいを取り戻そうと奮闘していました。


思うに、現在復興をしている店と仮設で復興をしていこうとする店、この2軸が協調し一体となることで、初めて大きな盛り上がりになるのではないかと。元気さをアピールすることがこれからの課題だと思っています。



ここでは、昨年行こうと思って躊躇していた笹かまぼこの店へ寄り、土産を購入お昼ご飯を食べようと思ったものの、時間的にだんだん難しくなっていくというふうでした。
ちなみに、石巻焼きそばの店が近くにあったのですが、長い行列ができていたので絶望した


中央3丁目のバスターミナルを抜けると、私が見た中で最も酷かった北上川の中州辺りにたどり着く。


ISW11F_20120505_134605この川岸はいまだに震災の跡が残っている。
まるで神戸のメリケンパークにある神戸港震災メモリアルパークのような感じというとわかりやすいのだろうか。



ISW11F_20120505_134753橋を渡り石森萬画館に。
萬画館にかかる橋は掛け直しは行われていないものの、壊れた欄干は外されていました。


さて、石巻萬画館は来年3月の再開に向けて復旧工事に取り掛かるということで、その前に現状を知ってもらうツアーが組まれていました。
時間の都合でどうしようかうじうじとしていたら、定員に達してしまい、見て回ることはできなかったものの、イベントの行われた萬画館は大勢の人が訪れていました
写真隅に映っているテントは、グッズや石巻周辺の名産品を扱っているお店がありました。
そこでもお土産を買って、もらった袋はそれ以前から買っていた土産でパンパンに。お釣りに関しては、微々たる額でしたけど、萬画館の復旧工事の資金として寄付してきました。何もできなかったせめてもの報いだと思って。


来年は、復旧した萬画館を訪れたいものです。



時間的にはまだ少々余裕があったものの、急いでバス停に向かう。
仙台へ向かう帰りのバスは、石巻駅で乗るか中央三丁目で乗るか迷ったんですが、早く乗れるならと後者に結果的にはそれが功を奏しています。
なお、高速バスに関しては色々と思うことがあるので、別項で詳しく書いていこうかと。


帰りのバスに乗ったはいいが、停留所の乗車で上手いこといかず時間はどんどん遅れるばかり。あまつさえ、三陸道の渋滞、仙台市内の地下鉄工事による渋滞が追い打ちをかけ、目標の時間に乗れずに途方に暮れる

それでも何とか4時過ぎのやまびこに飛び乗り、6時過ぎに東京駅に着どうにかこうにか6時半に集合の某サイトの管理人のオフ会の待ち合わせになる四ッ谷駅に着ける・・・かと思いきや、今度は中央線が遅れてる。結局数分程度ではあるものの、遅れっぱなしになったのでした。
思えば、中央三丁目のバスが遅れていたのがケチのつけ初めだったのかもしれない。


その後は、オフ会になだれ込み、新宿からの夜行バス(これもディズニーランドから伸びた渋滞で遅れに遅れる)に乗って、名古屋に帰るというふう。さすがに今までの疲れと酒の酔いとで新宿から爆睡で、気が付けば名古屋というふうでした。


ISW11F_20120505_132040最後に。
本屋だった場所は、三越百貨店(仙台三越)のサテライトショップになっていました。



次回は買ってきたお土産の紹介や先述の高速バスの件を進めていこうかと。


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2012年05月12日

1年経った被災地を巡る 南三陸 -仙台から90km- 後編

ISW11F_0310柳津駅行きのバスが来るおよそ15分前に志津川駅に着く。JR気仙沼線の駅で、現在運休中。そのため、代行バスが走っている。
志津川駅といっても、もう何も残っていない。
それが駅とわかるのは、高架上にある駅のプラットホームのみだ。それ以外では、プレハブで作られた仮設の待合所とバス停、津波で残った駅関連の施設、そして、仮設トイレ
この仮設トイレには一過言あるのだが、ここで書くのは少々はばかられるので、「続きを読む」に書いていこうかと。



ISW11F_0314こちらは町内を巡回するコミュニティバス
日本赤十字社の支援で運営されているもの。JR代行バスを乗り継ぐために、到着およそ10分くらい前に着いたもの。



ISW11F_0315志津川駅は3ホームある駅で、快速も止まる大きな駅の部類になる。ある意味町の大動脈とも言える駅の復旧はいまだ不明瞭だ。

そのホームに立つ。上り・下りのあるホームになる。
写真は柳津駅方面を撮ったもの。



ISW11F_0316同じホームから歌津駅方面を撮ったもの。



ISW11F_0317同じホームから北(北西)側を撮ったもの。
先日の大雨で辺り一帯が水浸しになっている。恐らく田畑ではないはずだ。



ISW11F_0319同じホームから南(南東)側を撮ったもの。
辺りは何もなく、残っていてもほとんどが骨組みだけ。写真やや左側にある低い骨組みだけ(平屋か2階建てと思われる)の建物は、上れるようになっていたようで、親子が残っていた階段を利用して屋上にあたる部分に上っていた
さらに左端の方には、防災対策庁舎が見える。右側には公立志津川病院跡が。

高台に立つと、本当に何もないことがよくわかる。悲しくてやりきれない。



11:05にバスが来る予定だったが、数分ほど遅れて到着。
しかし乗っていたのは、私と近くの高校に通っていると思われる女子高生の2名のみその女子高生も陸前横山駅前にあるバス停で降りてしまい、終点の柳津駅まで乗っていたのは私だけ。
土休日運行ゆえのものなのか、平日でもこういう状況なのかはわからないが、この状況が続いてしまえば、ただでさえ少ない昼の便はさらに削られてしまうのだろう
今の南三陸町では正直何もできないのが現状だが、もし訪れるなら、車でではなく代行バスのような公共交通機関で来てもらいたいものです。


その後、柳津駅で今回唯一のJR(鉄道)に乗り、最終目的地である石巻に向かうのであった。


次回は石巻の話をしていきます。


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Posted by alexey_calvanov at 23:42Comments(0)TrackBack(0)

2012年05月11日

1年経った被災地を巡る 南三陸 -仙台から90km- 中編

南三陸町役場(災害対策庁舎)から海側に向かう。途中ひっきりなしに車が通る2車線の道を渡ると、思わず息をのむ光景に出くわす。


ISW11F_0298がれきの山。
遠くから見ても、その量が尋常ではないということがわかる。
NHKの報道によれば、日本で一番がれきの残る町という位置付けにあるのが、南三陸町の現状なのである。もちろん、福島第一原子力発電所関連で入れない地域は除かれている



ISW11F_0301沿岸部にて。
防波堤はあの日の津波で無残にも破壊され、今は土のうが積まれて何とか波を食い止めているというふうなのだろう。
荒れた天候だった昨日(5/4)のようだったら、町中一帯は見事に冠水してしまうだろうと思えてならない。



ISW11F_0304そして、このがれきの山から見える公立志津川病院跡。
現在、志津川病院は隣町の登米市に移転し、南三陸町で医者にかかりたい患者は、震災直後にイスラエルの医療団体から贈られたプレハブの診療所を利用するというふうになっています。
現在は元ある場所ないしは町に戻れるように思案中のようです。
なお、志津川病院跡の前では、大勢のボランティアが復旧作業に取り掛かっていました



ISW11F_0305さて、沿岸にあるがれきの山。
そこには、横倒しになっている鉄の塊が。
よく近寄ってみてみると、何とSL。後で調べてみると・・・。



ISW11F_0307そう、このがれきの山が置かれている場所とは、松原公園という沿岸部に広がった公園だったのだ。
それゆえに、あれほど大量のがれきが置ける、悪く言えば残されてしまったわけだ。
先述のSLも、公園内の敷地に置かれていたモニュメント的なものだったのだが、津波で流され、横倒しになってしまったのが、今そのままになっているというふう。

津波の圧倒的な力は、物を倒す・壊すだけでなく、人の心理状態にまで大きな深手を残すのか。
改めて、津波の力に圧倒され、適当な言葉が出ない



ISW11F_0299時間的にも少々厳しくなってくるので、一路志津川駅に。
八幡川の右岸にある骨組みだけの建物。
そこには、「よみがえれ故郷 ふんばれ南三陸町」の言葉があり、胸に刺さる。
あれだけの惨事に遭いながら、必死に前に進もうとする住民達の精神的な強さと、何も進まない町の復興に絶望しそうな中で、ともすれば空虚になりかねないスローガンに。
みうらという店の建物に掲げられているこのスローガン、ぜひとも前者になってほしいものだと心から願う。
みうらの店主は恐らく無事だったのだろう。だからこそ、店主や町の人々に月並みな言葉ながら一言申し上げたい。進まない復興に負けないでほしい、頑張ってほしい。



次回は志津川駅周辺の様子を書いていこうと思います。


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2012年05月09日

1年経った被災地を巡る 南三陸 -仙台から90km- 前編

2日目、朝早くに宿泊先のホテルをチェックアウトし、前日と同じ8:10に宮城交通高速バスターミナルから南三陸に向かうことになる。
気に掛ったのは、前日通行止めで迎えなかった南三陸方面が向えるかどうか。さすがに不安だったので、バスターミナルの案内で確認したところ、無事運行しているとのこと。それを聞いて自動券売機で切符をあらかじめ買っておいて、バスに乗り込む。


ISW11F_0285今回のルートは、三陸道に乗るのは同じだが、途中降りるのが桃生(ものう)津山インターチェンジに変更されている点。これが正規のルートらしく、インターを降りると山道を駆け抜けることになる。
しかしながら、写真のように、津波の影響が徐々に表れ始める。これは津波によって流されてしまったJR気仙沼線の一区画



バスが南三陸町の沿岸部に差し掛かると、周りの景色が急に開けてくる。
いや、開けていると書くのはおかしいのかもしれない。正確には何も無くなってしまっているのだ。
ご存知の通り、南三陸町は東日本大震災による津波で沿岸部が壊滅そこで残った建物は数件レベルで、残った建物も全壊ないは半壊と言っても過言ではないだろう。これから紹介する写真にもいくつか写っていると思うので、確認して頂ければと。


バスは南三陸町中心部の最寄り停留所になる志津川十日町に着く。
しかし、そこも何もないただバス停だけがそこにあるだけ。


ISW11F_0287そんな何もない中にも、信号だけは復旧させていた
その信号機は、電気が復旧していないため、太陽電池が設置されている。恐らく雨の時にはディーゼルなどで自家発電をして点灯させているのだと思われ。



ここでの最大の目的地は南三陸町役場。正確には防災対策庁舎に向かうわけだが、その建物は意外にもあっけなく見つかる
しかし、そこへ向かう道のりが容易ではない川向になるのでどうしても最寄りの橋を渡らなければならず、その肝心最寄りの橋が流されており、少々遠めの橋(最寄りの橋から約数百m)から渡らなければならないのだ。


ISW11F_0290その道すがらから撮った、沿岸部でほぼ唯一と言っていい、残った建物。
報道でも有名になった公立志津川病院跡とスーパー。およびアパートなど。



ISW11F_0308南三陸商工会会場。
建物のあったと思われる場所には、何も残っていない。




ISW11F_0292津波によって欄干が押し流されている八幡橋。
あの日、大量のがれきが八幡川を中心に押し寄せたばかりか、黒い津波が町の沿岸部を覆い尽くした。それは沿岸部に建っていたあらゆる建物が流されてしまったのだ。



欄干の曲がった八幡橋を渡ると、いよいよ今回の目的地の一つだった南三陸町役場(災害対策庁舎)にたどり着く。


ISW11F_0288川向から撮った全景。
見てもらうとわかるが、周囲の建物はほとんどない
周囲には町役場の本庁舎等もあったようだが、先述の津波で全て押し流されている。
残ったこの庁舎も骨組みだけだ。

当日は大勢の人がここを訪れていました。南三陸町のボランティア(周辺案内)の方も見えたようです。



ISW11F_0293庁舎正面。
あの日は骨組みだけになった庁舎に大量のがれきが突き刺さり、無残な姿になっていたそうです。



ISW11F_0295庁舎側面。
非常階段は津波でひしゃげている。
あの日、避難した職員が一気に非常階段から屋上に駆け上がったものの、庁舎のほぼ全体が水没避難した職員達は必死に屋上の欄干やアンテナにしがみついたそうだ。それでも大勢の人が亡くなっている。それだけ津波の力のすさまじさがわかる。
そして、必死に逃げるようアナウンスした『天使の声』はここから発せられていたのだ
その彼女も、津波襲来数分前に非常階段を駆け上がったものの、間に合わず命を落としたという。



実際この建物を見た時、思った以上に小さかったことに驚いたのと同時に、よくここまで耐え抜いたものだと感心さえもした
周辺の建物があるというのを後に知り、実際の建物はそう小さくないのかもしれない。でも、これを見る限りでは12畳くらいの大きさしかないんじゃないかと思えるほど小さいのだ。

しかしながら、失われた命と生き延びた命、共にそれを語る上では非常に重要な建物とも言えるのは間違いない小さいながらも生死を分けた館になったのだ。

献花台の前には多くのお供えが置かれていた。もし、お供えを置く際に注意してもらいたのが、お金を添えるのは控えてほしいという点だ。もしお金をお供えしたい場合は、山麓に移転している仮設の町役場へ渡した方がいいのかもしれない。恐らく具体的な注意事項が献花台の前に書かれていたはずです。


ここで起こった全ての事象を心に留め、深い哀悼の意を捧げたのは、言うまでもない。心に刺さり、今でも辛い。


ISW11F_0296ちなみに、町役場の周辺は地盤沈下が起こっていたようで、前日の大雨で道路が冠水していた
迂回できる道が無ければ、足元はびしょ濡れになっていたに違いない。



この後、一旦JR代行バスの場所を確認するために周囲を徘徊志津川駅の場所がわかり、それと同時にバス停の場所も確認できたため、時間まで町内を見て回ることにした。


次回は、その町中の様子と志津川駅の様子を伝えていく予定です。


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2012年05月07日

1年経った被災地を巡る 陸前高田 -仙台から150km-

陸前階上(はしかみ)駅そばにあるタクシー停留所から気仙沼駅に向かう。
ところどころ震災の爪痕がまだ生々しく残っているものの、概ね市街地に関しては復旧している感じだった。タクシーの運転手いわく、このあたりは鉄骨(やコンクリート)の建物が多かったからじゃないかと。しかしながら、その市街地でさえも数mの津波が押し寄せたというのだから、そのすさまじさに閉口しっぱなしだった。


タクシーが気仙沼駅に着き、岩井崎から乗り損ねたバスの時間分はカバーできたここから岩手県交通のバスに乗って、陸前高田へ・・・と思っていたその時、再び思っても見ないことが起こる。
気仙沼駅より100mも歩かないところに停留所があるのだが、その停留所には「大雨の影響で、今日のバスの便(注:1日2便しかない)は上下線とも運休」の旨の張り紙が・・・。これは宮城交通のバスにも言えたことなのだろう。


困った。完全に当てが外れた。
でも何とかして行きたいと思い、困った時にはタクシーの運転手・・・とばかりに相談をしてみることに。
価格面では微妙なところ(片道でおよそ6500円)だが、もしかしたら二度と見られない可能性があるとなると、この金額でさえもケチるのが惜しい。清水の舞台から飛び降りる感じで、その運転手にお願いすることに。

この方が非常にいい方で、気仙沼の状況等々詳しく教えてもらいました。運転する道すがら、ここはああだった、ここは夏の間はヘドロが悪臭を放って大変だった、このあたりが火災に遭ったところだ等々本当に懇切丁寧に語って下さいました。この場を借りてまず御礼を申し上げておきたいです。ありがとうございます。


ISW11F_0267先程、気仙沼市街は概ね復旧していると言いましたが、唯一市街地の中でも復興が立ち遅れているのが、鹿折(ししおり)地区
震災以降起こっている地盤沈下の影響で、満ち潮になったり、今回のような大雨が降ると、あっという間に周辺が水浸しになってしまう。状況によっては道路も冠水するらしい。



ISW11F_0268そして鹿折地区で最も目を引くのがこの漁船
これも震災の津波で打ち上げられた漁船の一つ。これを見るたびに震災の津波の恐ろしさを肌で感じざるを追えない。
ちなみに、この日は鹿折地区の住民がこの船の周辺にひまわりの種を撒いて、彩りを取り戻そうという活動を行っていました(もっとも、それを知るのはその日の夜のNHKのローカルニュースだったのですが)。



鹿折地区から気仙沼バイパス(国道45号)を経由して陸前高田に向かうのですが、その道すがらで海岸側の国道45号が通行止めになるなど嫌な知らせが道路の掲示板で入ってくる。本当に否が応にも入ってくるので、先行きが不安になる。
その不安が的中するかのように、1つ目のトンネルを抜けると雲行きが怪しくなり、2つ目のトンネルを抜けると、謀ったかのように打ちつける雨。その雨が車で走っていると打ちつけるほどのもの。普段ならそう大したことないないと思っていたのかもしれないが、被災地でこの雨に遭うと、少々心配になる
しかしながら、山一つ越えるだけでこうも天候が変わるのかと、改めて天候の変わり方の速さに驚く。

やがて、国道45号の通行止めの知らせが飛び込み、嫌な予感が当たったとは思いつつもここじゃないだろうと、互いにこの知らせはウソであれと思っていたのだが、数百m走っていると、丁度パーキングエリアっぽい簡易休息所になっているのだが、そこから追い返される車の数々。そう、ホントのことだったのだ。
タクシーの運転手が交通整理員の人に何とかならんかと交渉して頂き、何とかその先に行けることに。


ISW11F_0276この写真ではわかりにくいかもしれないが、丁度陸前高田の市街地に入ろうとする道が冠水(恐らく川の水があふれ、橋が渡れなくなっているのだろう)してしまったらしい



ISW11F_0269それでも、奇跡の一本松から数百mのところまでは寄ることができたのは何とも奇跡なのかもしれない
左側にあるのが、恐らく陸前高田ユースホステル。



ISW11F_0270近くにある中学校。
津波でやられたとはタクシーの運転手の話。



ISW11F_0274この日は本当に激しい波しか見ていない。
近くの防波堤や水門に激しい波が叩きつけているのだ。まだいたぶるのか、まだいたぶるのかと波に対してどうしようもない憤りのようなものを覚えてしまった自分が悲しい。



ISW11F_0275周りの波風に揉まれながらも、生き残った一本の松。最早死に体になっている一本松は、この激しい風雨にも何も言わずに耐えている。
あの日、仲間達は全て波にさらわれ、自らはもはやこれまでの状態になりながらも立っているこの松は、この町に住む住民達の心情と重なるものがあるのかもしれない。彼らにとっては、たとえ無くなってもいつまでも支えてくれるだろう。そして、一本松の子孫達が、いつか海岸線を埋め尽くすほどに育ってくれることを願って、陸前高田を後にする。



本来なら、市街地の様子と名古屋市の支援というのがどう役に立っているのか、市民の一人として見に行きたかったのだが、市内には全く入れなく残念至極である。


ともあれ、当初の目標を達せられたのには変わりない。その点においては、今回ここまで連れて行ってくれたタクシー運転手には改めて感謝したい


そんなタクシー運転手とは、気仙沼駅でお別れ。
その後は、遅い昼食を食べ、時間になるまで気仙沼駅で待機
お土産や間食を近くのキオスクで買う。とにかくそこで入り浸れるほど重宝させてもらった
入り浸れると言えば、駅構内ではNHKが流れており、たまたま日本ハム×オリックスの試合がやっていたので、これがまたいい時間潰しにもなった
JRに関してもほぼ動いていたのだが、気仙沼線に関しては大雨で鉄橋が冠水したため半日動かなかったらしい14時台に動くはずだった電車は16時台になってやっと動き、その後きちんとダイヤ通りになったのかはわからない。というのも、その約30分後にはバスに乗って仙台に戻ったからだ

仙台に着いたのは19:24。色々寄ってホテルには20時頃。この後寝オチし、夜中に起きて晩ご飯を食べ、翌日の準備をしながら1日を過ごすのだった。


次回は2日目の様子を書いていきます。


いっぽんの松いっぽんの松



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Posted by alexey_calvanov at 23:25Comments(0)

2012年05月06日

1年経った被災地を巡る 気仙沼 -仙台から120km-

5/4~5/5まで、宮城県を中心に回ってきました。
5/4は、仙台から気仙沼を経て、岩手県の陸前高田へ、再度気仙沼から仙台に戻るというルートで回ってきました。
東日本大震災から約1年、被災地の現状がどうなっているのかを見て、私なりに色々考えてみたいと思っています。


ホントは当初、飛行機でいわて花巻空港から一関を経由して陸前高田に入ろうと思っていたのですが、チケットを取った後に夜行バスが取れることが発覚。キャンセル料を考えると少々痛かったですが、それでもフライト料と比べれば安かったので、急遽変更。当初考えていた仙台起点で動けるようになりました。

結果、この変更が大いに機能したのは言うまでもないですが。


5/3に名古屋を出発。てっきり新潟経由で行くのかと思ったら、まさかの東京経由。
牧ノ原・海老名、そして栃木県那須町にある那須高原サービスエリアを経由して、仙台に。

実は、この日、日本を縦断した爆弾低気圧とも言える発達した低気圧の影響で、5月に入ってから西から順番に全国的に大雨になり、私の住む名古屋は5/2、これから向かう東北方面は5/3から大雨になり、その影響がわずかながら残るという状況でした。途中東北道の一部が速度規制をかけられるくらい路面が冠水しておりました。雨自身は確かにひどい部分もあったものの、思った以上に天候は良い。曇ってはいましたけどね。


7:15仙台(広瀬町一番通)に着。
ダイヤ通りの時刻に到着。あの天候の中よく着けるものと驚愕。
ここで、気仙沼経由大船渡行きに乗るか南三陸経由気仙沼行きに乗るかで迷っていたのですが、時間に余裕のある南三陸経由で行くことに
結果1時間余裕ができるので、近くにあったマックで朝マックすることに
マクドナルドのアプリを落としておくと、朝マックの一部が安く頂けたので早速活用。スマホでよかったと思う瞬間である(もちろん、ケータイでも可能なのは言うまでもない)。

しかし、今回は○時間待たされることが多く、その際どうやって時間を潰そうか・・・となると思っていたのですが、実際のところあまり時間が無いんじゃないかと思わされる次第。特にこの先向かった杉ノ下地区ではそれを思い知らされることに・・・


ISW11F_02508:10の定刻通りに南三陸経由気仙沼行きの高速バスに乗れたのですが、これまた大雨の影響で南三陸町に行けないとのこと。そのため、南三陸町部分の停留所はショートカットして一気に気仙沼方面に向かうことになりました

写真の通り、雨は時々降るというレベルだったものの、河川は濁り普段よりも多いと思われる状況に。よく見てもらうとわかりますが、木々が水に漬かっています



今回のルートは、三陸道の登米インターチェンジから一般道に入り、赤牛海岸・大谷海岸を経由し目的地である階上(はしかみ)公民館に向かいました。


ISW11F_0264階上公民館から歩いて5分ほどで目的地の入口になる岩井崎入口に。
ここから車で5分(徒歩でおよそ20分)で行け、状況によっては吹き潮が拝めます。
岩井崎あたりは石灰岩の岩場になっており、古生代の化石が採れるほど(ただし公園かつ天然記念物なので、採取は不可)



ISW11F_0263そのすぐ先にある踏切。
鳴らない、踏切。休止中となっているのが何とも切ない。



ISW11F_0262レールはこの踏切の先で無くなってしまっている。
津波で流されたのか、一時的に撤去してしまったのか、ここから見た限りではわからない・・・。



ここでの滞在時間が約1時間半。十分回れる時間だと思っていたのだが、場所がわからずさまよっていたら、予定時間を大幅にオーバー。大変なことになってしまう。
実のところ、素直に舗装された2車線の道をまっすぐ歩き、途中(突き当たりとも言える)にあるお寺の角を曲がって、道すがらに行けばよかったのだ。しかしながら、途中で入れる道があると思って曲がってしまって、文字通り泥沼にはまる


ISW11F_0253しかし、その泥沼にはまることで被災地の現状を見られたと思う
少し歩くと、目に見えるのががれきの山
しかもご丁寧に「墓石」・「布団」などと種類ごとに選別されて



ISW11F_0254道路に関しては、津波の影響かアスファルト面が剥がされているところが多く、道はぬかるみになっているところも多々あるというふう。大雨の影響でそのあたりが如実に表れ、歩くのには非常に骨を折ることになる。
写真のように、元々住居だったところや田畑だったところにがれきが置かれ、写真下のようにふたが無くなっているマンホールもある
人々の営みがあったのだ。



ISW11F_0255さらにそれを見せつける証左がこの写真。
家の塀が人々の営みがあったことをさらに強め、津波の大きさと悲惨さを伝えてしまう結果に。
写真には写っていないが、井戸もあり、長いことここで生活していたのだろうと思われる



慰霊碑が見つけられず、文字通り泥まみれになりそうに、道なき道をさまよいながら、ここではないかと思うところを見つけ出し、やっと見つけ出す。


ISW11F_0257これが、その杉ノ下地区(正確には波路杉ノ下地区)にある慰霊碑。場所(経路)は先程書いた通りなので割愛。
この慰霊碑の経つ場所はおよそ標高18mにある。のにもかかわらず、震災後の津波がここを襲い、全てをなぎ払ってしまったのだ。

以下、この慰霊碑に刻まれた碑文を全て記載する。


絆 あなたを忘れない

『ここに居れば大丈夫だ』
しかし、無情にも第一波で
下手から家や車が押し寄せ
そして、第二波、第三波が・・・
九十三名の尊い命と
全ての財産が海へと散った
あの一声が無情の叫びに
私たちはあなたを忘れない
今までありがとう
こころやすらかに



ISW11F_0260同じ慰霊碑の裏面。
この後紹介するこの一文を見たいがために行ったようなものなので、実際見た時には、あまりに圧倒され、感慨深くなり涙が溢れそうになる
同じく全てを記載する。


東日本大震災の爪痕

平成二十三年三月十一日(金)
午後二時四十六分

マグニチュード九・〇
津波の高さ十八メートル

千年に一度と言われる大地震と
巨大津波に襲われた杉ノ下地区は
壊滅的な被害を受けた

地区民三百十二名、八十五世帯の
家屋は、巨大津波に飲み込まれて
土台を残してすべて流出

七十五世帯、二百十九名が
避難生活を余儀なくされた

平成二十三年十二月十日
残されていた全壊家屋が取り壊され
杉ノ下地区から全ての家屋が消えた

この悲劇を繰り返すな
大地が揺れたらすぐ逃げろ
より遠くへ・・・より高台へ・・・



ISW11F_0258この日は低気圧の影響で荒れてはいるものの、普段は恐らく穏やかな波なのだろう。
この景色を見て、ここまで津波が襲ってくることはないだろうとタカをくくってしまう気持ちがよくわかる
そして、この景色を見て、ここまで津波が襲ってきたのだと、思うとやるせない気持ちにも切ない気持ちにもなり、再び目から涙が止まらない



実は、道に迷った時、昔からある慰霊碑も見たのですが、慰霊碑の前に骨(まさかとは思うのですが、人骨ではないことを祈る)が置かれており、あまりのセンセーショナルさに目を背けそうになったほどだ(もちろん写真を撮れる気にもなれない)。
ただ、その慰霊碑にはどうも昔から大きな波が押し寄せることが書かれており、地区名を見る限り、大波が襲ってきてもおかしくない場所だったのだ。
普段から対策を練れば・・・と言ってしまえば、それは後の祭りだったのだろうけど、これらの慰霊碑を見て、後世の人達が地震や津波に対する策を一つでも施してくれればと思ってならない


さて、バスに乗り遅れた私
道すがらにタクシーの停留所があったので、わらをもすがる思いでそこに向かう。
気仙沼駅までと言ったらOKだったので、行ってもらうことに。予定外の出費だったが、織り込み済みでもあった。


次回は気仙沼から陸前高田に向かう話をしていきます。


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Posted by alexey_calvanov at 23:54Comments(0)TrackBack(0)

2012年05月05日

三陸柳津

ISW11F_0320先程、柳津駅に着きました。

柳津駅というと、どうしても地元の柳津駅(岐阜県柳津町にある名鉄名古屋本線の駅)を思い浮かべてしまうんですよ。
でも、この辺りの人達には、こちらの柳津駅の方を思い浮かべるのかもしれませんね。

なお、写真は気仙沼線を走る列車(ワンマンカー)



4d0949be.jpg気仙沼方面を望む。
この先にはまだレールが残っている。
しかし、この先を走る電車は1本もない



  
Posted by alexey_calvanov at 12:09Comments(0)TrackBack(0)

仙台の晩飯は牛タンだけじゃなかった

思った以上に早く仙台に着いたので、ホテルで休憩(という名の寝オチ(笑))
気が付いたら、夜中近く。腹が空いていたので、ホテルからほど近いところにある国分町へ。

今回行った国分町は仙台随一の歓楽街。下手をしたら名古屋よりも人(特に若者)が多いんじゃないかと。


ISW11F_0280そこで食べてきた店が、仙台☆つけめんらぁめん六朗 一番町店
元は岩手県盛岡市にある店で、つけ麺以外にも串屋(居酒屋)をやったり、宅配ピザ屋のストロベリーコーンズを営業委託(フランチャイズ)したりなどしています



ISW11F_0278ここで頼んだのが、辛味噌つけ麺
辛味噌の中にはたれとごま、そしてチャーシューとメンマが入っています。よ~くかき混ぜて食べるようにとのこと。

このつけ麺、大盛りも普通盛りも値段は変わらないので、どうせ食べるなら大盛りがベター(理由は後述)
なお、麺はあつもり・ひやもりどちらも可能



ISW11F_0279せっかくだから(笑)、メンマ盛りも頼んだ。200円でこの量なら十分。



味に関しては、辛味噌つけ麺に関しては病みつきになる味辛味噌はそんなに辛くないのにコクがあり、クセになりそう。中のチャーシューのとろみ加減も絶妙だし、ごまの風味も十分。そして麺の弾力ある太麺なので、スープによく絡みます。大盛りで大丈夫かなと思っていたのがウソのようにペロリとイケました。
なお、お好みで魚粉・唐辛子粉(カエンペッパー)・酢・マヨネーズなどをトッピングしてアレンジ可能になっていますが、そのままでも十分だと思いますよ。

メンマ盛りは、メンマのシャキシャキ感と味付けの辛くもなくかつ薄味でもない丁度いい塩梅に仕上がっています。それでいて筍の風味も十分味わえますし、これは久しぶりに美味しい物に当たった。
市販品によくある、味がしっかり付いてかつ柔らかいのもいいけど、このシャキシャキ感も捨てがたい。おつまみにもいいかもしれないけど、つけ麺の箸休めにもいいかもしれません。


しかし何より驚くのが営業時間。
11:30から店を開け、閉店は29:00、つまりは翌朝5時まで。それだけ、仙台の人達はエネルギッシュというのか夜更かし好きというのか(ニヤニヤ)。ともあれ、〆の一杯でも夜食代わりにも小腹が空いた時にも、お昼や夜ご飯にもどんな時にも合うものだと思うので、盛岡や仙台に行った時は是非に。


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Posted by alexey_calvanov at 02:26Comments(0)TrackBack(0)