2012年04月23日

2012年の大型連休の計画を練り始める

今年も大型連休(ゴールデンウィーク)が近付いてきました。
今年は大型連休が前半3日、後半4日という編成になっているので、上手く有給がもらえれば9連休となるようで・・・。まぁ、関係ない話ですが(苦笑)。


とりあえず、今回は後半の4日間のうち2日間(夜行で乗って帰るので実質3日間)使って回っていくつもりです。
その回っていくところは、東北の被災地、特に被害が甚大だったとされる陸前高田・気仙沼・南三陸の3ヶ所と昨年回った石巻の計4ヶ所です。
ホントは行きも夜行バスで回って行ければよかったものの、既に完売状態。仕方なく、今回は岩手県の花巻市から入ることにしました。いわて花巻空港からならば、一関市まで新幹線で乗っていかなければならないものの、宮城県気仙沼市や岩手県陸前高田市にも一気に回れるようになる・・・んですけど、その接続の悪さと、接続できてもギリギリな部分もあるため、正直今回はかなりの綱渡り。そのため、今回だけは慎重に調べてスケジュールを組み立てて動くことになりました


初日で陸前高田市・気仙沼市を回って仙台市に。2日目で南三陸町と石巻市を回って仙台市に帰るという予定で動きます。

陸前高田では一本松を、気仙沼では杉ノ下地区に行って来て慰霊碑を見に行って来ます(気仙沼に関しては市街地を回れる時間ができそうなので、それなりに見て行けそう)。
南三陸では津波で壊滅的打撃を受けた町役場を見て参ります。あれほどまでの衝撃を生で見て、津波のすさまじさを感じてくる予定です。
石巻に関しては、去年見に行った石ノ森萬画館周辺を見に行きたいと思っています。ただ30分ほどしか滞在できないので、正直どこまで見て行けるのかわかりません


被災地を見て、現状を噛みしめ、復興が進んでいるのかを実際に見ていこうかと思います。


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Posted by alexey_calvanov at 23:56Comments(0)TrackBack(0)

2012年03月11日

東日本大震災、あの日から1年

今日で東日本大震災から1年になりました。今日は各所で半旗が掲げられ、閣議内で震災発生時刻には黙祷を捧げて頂くようお願いする呼びかけがなされていました。


被災地よりはるか遠くでも感じられた大きな揺れは今でも忘れることができません。それを思えば、被災地の揺れは相当なものだったと思うし、その後襲った津波に関しては、私達の想像を超えるものだったのかもしれませんテレビで流れる映像や報道写真でさえ、いまだに信じられないくらいにすさまじいものだと感じるのに・・・。


今日はテレビ(4大ネットワークとNHK)を中心に特別番組を編成するところが多いように思えました。その編成に賛否両論あるものの、私自身、あの震災を忘れないためにも今日は徹底的にあの日を検証し、今後起こるであろう災害に備えるための教訓にしていかなければならないと思います。それゆえに積極的に東日本大震災の検証・支援をするNHKの姿勢には頭が下がるばかりです。公共放送としての責務を十分に果たしていると思います。
ところで、今日の特番の中で流れる番組の証言や映像を見ても、その凄惨さはとても言葉では語り尽くせません
7時のニュースで流れていた、宮城県気仙沼市杉ノ下地区で、高台に逃げても津波が想像以上に高かかったがために避難した人が襲われ、地区の1/3近くの人達が犠牲になったことを教訓に建てられた慰霊碑の一言で思わずもらい泣きをするほどでした。
その一言は、「揺れが来たら、今すぐ逃げろ。より遠くへ・・・より高台へ・・・」。大丈夫だろうと思ったがために起こった悲劇。無念だったに違いありません。


今年の大型連休に行けるものなら再度東北へ訪れたいと思います。回れるなら、昨年訪れた石巻、ニュースで取り上げられた慰霊碑のある気仙沼、そして一本松のある陸前高田に。
本当ならすぐにでも行きたいものですが、3連休以上の連休が今年はないのがここまで痛いとはなぁ・・・


報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災



DVD 東日本大震災の記録〜3.11宮城〜DVD 東日本大震災の記録~3.11宮城~



河北新報特別縮刷版 3.11東日本大震災1ヵ月の記録河北新報特別縮刷版 3.11東日本大震災1ヵ月の記録



日本人の底力 東日本大震災1年の全記録日本人の底力 東日本大震災1年の全記録



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Posted by alexey_calvanov at 22:29Comments(0)TrackBack(0)

2011年07月07日

東北3県の地デジ化、来年3月末までに完了へ

今月24日まででアナログ放送が終了することになっている中、東日本大震災の被災地になった岩手県・宮城県・福島県の3県は、法律により最高1年までアナログ放送が継続できるようになっていました

そのアナログ放送の延長が、来年の3月末までで終了し、同日からデジタル放送に移行することになりそうです。
本来なら期限いっぱいまで伸ばしたいところですが、元々空いたアナログ放送の電波を新しい電波帯として割り当てる予定(主に携帯電話の新周波数)があり、それが来年に迫っているのと、アナログ放送延長によって生じるコストが莫大になり、東日本大震災以降元々減っていた収入がさらに減っていた3県12局の民放各局の経営を圧迫しているので、できるだけ早く終わらせたいという事情があるため、また東日本大震災の状況を考えれば、1日でも長くアナログ放送を続け、被災者の経済事情・自治体の運営状況に配慮してほしいという事情との間で妥協した結果、来年3月末に終了となったわけです。


正直、地デジにスムーズに移行できるのかどうかが心配なので、できることなら期限いっぱいまで・・・と言いたいところですけど、先述の通り、電波帯の件や民放の経営状況に大きな影響を与える可能性があることから、なるべく早く終わらせたいという事情もわかります
一応、アナログ放送を延長することで生じる経費は国の援助で補てんしてくれることになりそうですが、地デジ移行に際しても、経済的に苦しい家庭が多いと考えられるので、一刻も早く詳細な調査を行って、地デジ移行のための援助を行うべき世帯を割り出し、援助してあげてほしいと思います。自治体に頼る手もありますが、まだまだ震災復興で手が回らない時期。ここは国が被災地以外の自治体・ボランティアに協力を仰いで、総力戦で行っていくべきだと思います。


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Posted by alexey_calvanov at 23:57Comments(0)TrackBack(0)

2011年05月03日

石巻、その復興の途上

先日、仙台から石巻に向かったのは以前に話した通り。
今回は、その時の話をしていきたいと思います。


PA0_0932仙台に向かう途中、福島を通ったのですが、その時に撮った雪山の写真。
恐らく会津磐梯山じゃなかろうかと。



4/30の朝に仙台に着いたのですが、こういうのもアレですが、思ったほど仙台市内そのものに大きな被害はなく拍子抜けした思いでした。震度6強という震度を観測していたにもかかわらず、仙台市内のビルには目立った被害がないというのは、つくづく日本の耐震技術・耐震補強の高さを知らしめる結果になったのではないかと思えてなりません。
しかし、仙石線で東塩釜(注:この時は、まだ石巻までの直通電車がなかった状態)まで向かった際、だんだん東塩釜に向うに従って、住宅の屋根の上にブルーシートが乗っている確率が高くなっていたように思いました。


PA0_0922東塩釜に着いてからは代行バスで向かうことになりました(写真は石巻で撮った時刻表)。
東塩釜から石巻へのバスは基本1時間間隔での運行。観光バス(夜行バスや高速バスで使っているものと同じ)を路線バスにして運行しています。
もし石巻(ないしは代行バス区間)に向かう際は、SuicaなどのICカードよりも直接切符を買って向かう方がスムーズです。ただし、改札口には通さず、駅員に見せてから代行バスに乗るという方法になりますが。



石巻に向かう途中は、少し疲れていたため、ほとんど眠りっぱなしだったのですが、少なくとも起きていた時に見た限りでは、あちこちの建物が地震やその後に起こった津波でがれきの山になっていたというのは間違いありません。
私がかつて行った松島海岸周辺はきれいに整備されていましたが、お土産屋の1階は津波の影響で目茶苦茶になっているのが遠目からもわかったほどです。


東塩釜から1時間20分くらいで仙石線の終点である石巻に着きました。


PA0_0923石巻駅前にある「サイボーグ009」シリーズの像。駅周辺も浸水したそうですが、無事に立っていました。その先にあった009の像も無事でした。



PA0_0931この写真自身は、帰る時に撮ったものですが、その時の時刻がもうすぐ11時になろうとしていた時
街の至るところに時計があったものの、停電からかいずれの時計も止まっている状態で、動いている時計を見かけるのはほとんどありませんでした。それゆえに、現地で時刻を知りたい時には、自身の持っている腕時計や携帯電話の時計機能で確認しなければなりません



今回向かおうと思ったのが、石ノ森萬画館。どうなっているのかが気になっていたからです。
そこへ歩く途中の道は、何とも言えないものになっていました。
道はあちこちで砂塵が舞い、歩道の一部は凸凹になっていました。

マンガロードになっている商店街も、開いている店はほとんどなく、シャッター通り商店街になっていました。
元から活気がなく起死回生策でマンガロードという作品のキャラを利用してにぎわいを取り戻そうとしていた矢先だっただけに、この震災が商店街へのとどめにならぬことを祈るばかりです。


PA0_0924マンガロード途中のアーケードも、よく見るとわかるのですが、途中で崩壊しています。



PA0_0925仮面ライダーの像も、周囲が危険な場所になっているため、基本的にはサイドからしか見られないふうです。



PA0_0933マンガロードの先にある石巻港近くの交差点。
商店街や駅前は電気が通っているので、交差点の機能を果たしているのですが、この交差点より先は、電気が通っていないためか交差点の機能を果たしていない状況でした。
そのため、交差点には、警官が手旗信号をして交差点に立っていました



歩いていると、あちこちで復興への礎を作ろうと奮闘しているものの、まだ水道はおろか下水道でさえも復旧していないふうでした。
特に港に向かう途中、下水道が詰まっているのか、すえた臭いが漂ってきたのにはショックを覚えました。1日も早いインフラの復興を願いたいものです。

石ノ森萬画館の浮かぶ中洲にかかる橋は、津波の影響で橋の欄干が流されていました。半分は復旧工事の過程で付けられていましたが、半分はそのままになっていました。
その流された欄干を見るにつけ、改めて津波のパワーを思い知らされます。
また、このあたりは、がれきが方々にあり、まだまだ復興への道筋が経つか経たないかといった状況です。


PA0_0934駅から歩いて約30分。やっと着いた石ノ森萬画館。
は浸水したりがれきの山だったというものの、建物は健在でした。
力強く鯉のぼりが泳いでいました。



PA0_0935石ノ森萬画館のそばには桜の花が満開になっていました。もう散り始めにはなっていたものの、震災や津波の際に海水に浸ったにも関わらず、きれいな花を咲かせていました
しかし、その向こう岸には過酷な現実が写っています。
このあたりはマリーナがあるのか、プレジャーボートがあちこち打ち上げられていました。そのボートが写し出されているのです。



それでも石巻の人達や全国からやって来た支援者達が懸命に復興に向け奮闘しています
丁度この日、商店街でも笹かまぼこ屋やパン屋が営業を再開(オープン?)したようで、大勢とは言わないまでも、待っていた人達が行列を作っていました

正直、ここに来ることさえためらいを覚えました。
できることならボランティアなどでここを訪れたいとも思っていました。
それゆえに、ここに来るのもここにいるのも、最低限の時間(次のバスが来るまでの1時間)しかいないように・・・と配慮したつもりです。
だからこそ、復旧したら、真っ先に石巻や今回行けなかった塩釜・松島に行こう。そう堅く思ったのでした。


PA0_0936
最後に、駅すぐの交差点にある本屋。
一部が地震によって崩落しています。


PA0_0930その本屋に貼ってあったイベントの告知。日時は震災の前日。
この本屋の前だけ、まるで震災の前日で時が止まったかのような感にさいなまれたのは、私だけなのでしょうか・・・。



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Posted by alexey_calvanov at 23:35Comments(0)TrackBack(0)