2012年08月09日

壮絶な競技人生の中で掴んだ金メダル

女子レスリング・フリースタイル48kg級、同じく56kg級で3連覇を果たした伊調姉妹の妹、馨(かおり)選手の陰に隠れて、最初で最後のオリンピックに挑んだ選手がいました。それは小原日登美選手


小原選手は、妹の清水真喜子さんと共にレスリングを始め、妹は48kg級で、姉は51kg級でチャンピオンになりました。

女子レスリングは2004年のアテネオリンピックから正式種目になったものの、姉の所属していた51kg級は公式の階級として行われないことになりました。そのため、姉は妹のいる階級に進むか、他の階級に上るかの選択を迫られたわけです。

共に優勝を目指した姉は、妹との争いを快く思わず、55kg級にランクを上げてオリンピックを目指しました。ところが、そこに控えているのは、女カレリンとも言われたこのクラスのガリバー、吉田沙保里選手2002年の全日本選手権決勝戦。その試合の結果は、25秒フォール負け。あっという間の勝負だったそうです。

この試合をきっかけに、小原選手は大きく暗転することになります。吉田選手との一戦が大きなトラウマになり、眠れない夜が続くことに。一時はうつ病に陥り、自殺まで思想になったほどに追い込まれていました。父親の介抱で何とか立ち直ったのですが、この間の成績は、51kg級ではほぼ無敵状態だったものの、55kg級では吉田選手の壁が越えられず、アテネ・北京両方の出場を逃すという結果に終わっています。

2008年に一度現役を引退。妹のサポートに徹していましたが、「自分のために48kg級を断念した姉を裏切りたくない」と頑張った妹の成績は振るわず、妹は結婚を機に引退をすることになりました。その際、妹は姉に一時は妹のために断念した48kg級での現役復帰を促したと言います。

現役復帰後、過酷な減量に耐え、結婚を経て、小原選手はロンドンオリンピックの出場権を獲得。予選・準決勝では試合巧者ぶりを見せ、順当に勝ち上がってきました。
決勝ではアゼルバイジャンのマリヤ・スタドニク選手に先制されたものの、今までの経験と落ち着いた対応で第2・第3ピリオドを奪取。苦労した末で掴んだ涙の金メダルになりました。


この試合を最後に競技生活を終えるとのことです。正直もったいないなと思う部分もありますが、逆にこれまでの波乱万丈の競技生活を見てしまうと、ゆっくり休んで後進育成に励んでほしいなとも思いますこの苦労と挫折と栄冠までの道のりは、きっと後進の血肉になってくれるはずです。


お疲れ様でした。そして、金メダルおめでとうございます。今後の生活に幸あれ。


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Posted by alexey_calvanov at 23:11Comments(0)TrackBack(0)