2019年05月06日

平成最後の東北に向かう④ 島越駅にて

SHV39_4873十府ヶ浦海岸駅からおよそ50分、今度は島越(しまのこし)駅で途中下車島越駅は、三陸鉄道の被害(旧JR山田線区間を除く)の中で最も酷かった区間にあり、再建までおよそ3年掛かっています

写真は2014年に再建された駅舎(正式オープンは2015年)。初代の面影を残したものになっております。この建物は、クウェートとクラブツーリズムの援助によって再建されています。
駅周辺は震災後にかさ上げされた地域になっています。



SHV39_4887駅舎の中には展示室があり、震災の模様とその復興の展示、そして在りし日の島越周辺の模型が飾られていました。



SHV39_4874この駅から歩いて数分のところにあるのが、島越ふれあい公園
ここは旧駅のあった駅前広場にあたる部分でした。かさ上げ工事と共に整備された公園です。



SHV39_4875公園名標の横には、これまた在りし日の島越の写真が掲載されています。
かつて島越地区は海水浴場が設けられるほどの大きな海岸がありましたが、東日本大震災で流出し、その後河口に設置される水門の工事のため利用できなくなっています



SHV39_4876ここには、明治・昭和・平成に襲った大地震によって発生した津波で犠牲になった人達を弔う追悼記念碑があります。
右が「明治・昭和大津波追悼記念碑」、左が「東日本大震災津波記念碑」になります。
ちなみに、東日本大震災の際、島越地区の震度は4だったそうですが、その後に襲った津波が17.9mだったそうです。津波による被害がいかに甚大だったかがわかる話です。



SHV39_4878その隣には、旧島越駅の階段が残されています
東日本大震災の津波に駅舎などが壊滅した中でも奇跡的に残った、震災遺構の一つです。



SHV39_4879そのさらに隣には、宮沢賢治の詩碑(「発動機船 二」)が残されています。こちらも震災遺構の一つで、旧島越駅の階段と同様に奇跡的に残ったものです。



SHV39_4884この公園には、「津波高表示塔」というモニュメントのようなものがあります。
先程17.9mの津波が襲い掛かって来たと書きましたけど、イマイチピンと来ないと思った方もいたことでしょう。しかし、このモニュメントを見れば、いかに津波が大きかったのかが一目瞭然です。しかも、このモニュメントの先端が鉄道のかさ上げした部分からでも見えるのです。いかに東日本大震災の津波が大きかったのかが本当にわかります。



島越駅の駅前はある程度再建が進んでいるものの、まだ河口の水門や堤防など一部で工事が残っています。本格的な再建はまだまだ先の話になってしまっているのかなと感じました。


およそ1時間の待ち時間も、なぜか短く感じられるほどあっという間に。本当に駅周辺を見ただけなのに、駅舎の売店で温かい飲み物ないかなとか探していた(結局無かった)だけだったのに・・・。

それでも少し遅れながらも列車はやって来る。これに乗って先に進みます。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  

Posted by alexey_calvanov at 22:45Comments(0)