2017年09月27日

のうりんおじさん、引退へ

FC岐阜のゴールキーパーを務めている高木義成選手が今シーズン限りでの引退を表明しました。
2000年に大学を中退してヴェルディ川崎(現在の東京ヴェルディ)に入団。東京V在籍中に挙げた、史上4人目のゴールキーパーの得点、しかも最長距離(89m)での得点は、恐らく未だ破られていないものになっていることでしょう。
社会貢献活動にも篤く、与論島を故郷と述べてオフシーズンには必ず訪れることでも知られています。そしてツイッター・フェイスブック・インスタグラムを得意技としているほど定期的に(主にツイッターで)自身の1日を報告している人でもあります。
何より、岐阜のファン・サポーターにとって高木選手といえば、「のうりんおじさん」自身が白鳥士郎さんが書いたライトノベル「のうりん」のテレビアニメを鑑賞したことがきっかけで、作者と対面。以降作者が「のうりんおじさん」と呼んだことで、公式になり、以降親しみを込めてそう呼ばれるようになりました。それ以外の、特に東京Vのファン・サポーターからはピンクのユニフォーム(高木選手在籍当時、東京Vはゴールキーパーユニフォームがピンク色だった)に愛着を持っていたことから、「ピンク(さん)」と呼ばれることが多かったそうです。


岐阜に移籍した初年度は何度も窮地を救ってくれたという印象がすごく強かったです。初スタメンだったギラヴァンツ北九州戦のファインセーブ連発は今でも印象に残っていますし、ケーズデンキスタジアム水戸でのキレたあの時も印象に残っていますチームのことを考えている姿がまじまじと伝わって来ましたよ。やじって申し訳ないと同時に、チーム・ファン・サポーターへの愛情を感じさせてくれました
今年はビクトル選手が加入したことで押し出される格好になり、控えでの姿でしか見られなくなっていました試合前練習の時の姿を見ていると、去年見られたキレが見られなくなった感もあり、ビクトル選手がよすぎたということを差っ引いても、もう厳しいのかなと思って見ておりましたけど、やはり引退ですか・・・。寂しくなります。


お疲れ様でしたと言いたいところですが、まだまだ試合は残っています。そして、高木選手が所属していた名古屋グランパスエイト・東京Vとの試合もあります。しかも岐阜のホームでです。勝って花道を飾ってあげたいと思います。どの試合までメンバーに連ねるのかわかりませんが、恐らくホーム最終戦になる湘南ベルマーレ戦までではと思っています。それまでに岐阜がプレーオフに行ける順位まで上がってほしいものです。


さらなる高みに向かう私達が、今そこから降りんとする高木選手に心配を掛けさせないためにも、彼を笑顔で送り出そう!


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2017年06月20日

1990年代を知るダイエー戦士、引退へ

1990年代の福岡ダイエーホークスを経験し、大リーグでも活躍した千葉ロッテマリーンズの井口資仁(ただひと)選手が今シーズン限りでの現役引退を表明しました。まだ交流戦も終わったばかりでシーズンは半ばだというのに・・・。


井口選手は1996年のドラフト1位で福岡ダイエーホークスに入団。当時のダイエーは南海時代から引きずる負け癖(万年Bクラス)の付いた球団になっていて、井口選手がドラフト会議に掛けられた年は、負けの込んだチームに怒り狂ったファンが、王貞治元監督の乗ったバスに生卵をぶつけるという出来事まで起こっています。

まさにどん底を漂っていた時期を知っている井口選手は、当初は確実性の無い選手として見られていました「恐怖の9番」と言われた時期もあったものの、下位打線を任されることが多く、上位やクリーンナップに座っても、すぐに定位置に戻る・・・を繰り返していました。
しかし、ダイエーの上昇機運が高まると同時に、井口選手も主力選手として成長します。中軸として活躍することもあれば、1番でも活躍することもあり、功・走・守の揃った選手になりました。2000年代前半のダイエー躍進の立役者でもあります。

かねてから大リーグでプレーしたかった井口選手は、球団との交渉の末に2005年に大リーグへ移籍します。ホワイトソックス在籍時にはワールドチャンピオンに貢献するなど活躍しましたが、その後は低迷し、ケガしたこともあり、2008年のフィリーズ在籍を最後に、日本球界に復帰します。

2009年から千葉ロッテマリーンズに移籍。二塁手としてだけでなく一塁手としてもプレーしていましたが、徐々に年齢による衰えが目立ち始めていました。それでもロッテの主軸・代打の切り札として活躍し、2013年に日米累計150本・同2000本安打を記録します。


とにかくしぶといバッティングと足が速かった印象を持っています。ロッテ時代には走のイメージはないものの、ダイエー時代は結構速い選手だったんですねぇ。それで長打力もあるので、怖いバッターでした。


今でも往時の勢いはないとは言えども、低迷するロッテには欠かせない選手だと思います。まだ井口選手に頼っているようではいけない、若手がもっと伸びて来いとも言いたいです。それでも、まだ現状を考えれば、井口選手はもう数年頑張ってほしいと思っていました。
残り半分近くあるシーズン、井口選手にはクライマックスシリーズまで進めるように道筋を作ってほしいものです。まだお疲れ様とは言いません。最後まで全力で挑んでほしいです。


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2016年06月24日

室伏、現役引退へ

今日(6/24)から明後日(6/26)まで、名古屋市にあるパロマ瑞穂スタジアムで日本選手権が開催されています。リオデジャネイロオリンピックの最終選考会も兼ねているため、オリンピック出場の掛かっている選手には非常にセンシティブになっているのではないのでしょうか。


そんな中、今日男子ハンマー投げが行われ、過去4回オリンピックに出場した室伏広治選手が久しぶりに出場しました。しかしながら、1投目の64m74が最高で、参加標準記録の77mも越えられなかったばかりか、全体の8位にも入れず、4投目の権利を得らぬまま終了。この後行われたインタビューで、競技の第一線から身を引くことを発表事実上の現役引退となりました。
なお、インタビューの中では「オリンピックや世界を目指すには体力の限界。今後は後輩達に期待したい」・「気力体力やりきったというところで体力の限界を感じた。(中略)一つの区切り。これからは組織委員会に戻って、日本のスポーツのために尽力したい」とも語っています。


そうだよ、今室伏選手は、2020年の東京オリンピックに向けて組織委員会に入って活動中だったんだ。そのためにろくすっぽ練習ができない状態。ましてや41歳肉体的にも限界が近いのは言うまでもありません。

でも、ここまでやった理由は父親の影響もあるのでしょう
父親の室伏重信さんは40歳を過ぎても現役選手として活躍。経歴の中には、オリンピック4大会連続出場(ミュンヘン~ロサンゼルス。1980年のモスクワオリンピックは選出されていたものの、日本が不参加のため出場できず)、日本選手権10連覇、41歳でアジア大会で優勝するなど輝かしいものがあり、日本陸上界のレジェンドの一人(アジアの鉄人)として知られていました。
重信さんは、肉体的な衰えがあっても練習に工夫を加えれば、短い時間でも充実したものになると説いていました。ゆえに、時々室伏広治選手が見せる素っ頓狂なトレーニングは何かの目的や工夫があって行われていたのです。父の教えを的確に守っていたんですね。


ちなみに、今回室伏選手がこの日本選手権を優勝していれば、室伏家通算50回目の優勝になるとされていました。父親が12回、娘の室伏由佳さんがハンマー投げで5回・円盤投げで12回の計17回、そして由佳さんの兄である室伏選手が20回(しかも日本選手権20連覇(1995年~2014年)の記録持ち)。これだけ見ても室伏一家の記録はすごいと思わされると同時に、父と息子・娘がどれだけ偉大な選手なのかを思い知らされる結果でもあります。この先広治・由佳の息子・娘に引き継がれることになるでしょうから、室伏家の記録はまだまだ伸びて、さらなる栄誉が付くかもしれません


室伏選手、本当にお疲れ様でした。2020年のオリンピックに向けていい仕事を期待しております。将来的には世界陸連やオリンピックの組織委員会の会長になるほどの立派なスポーツマンになってほしいです。


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2015年12月16日

女子サッカー界のレジェンド、引退へ

日本の女子サッカー界をけん引し世界一にまで導いた、なでしこリーグ1部のINAC神戸レオネッサに所属する澤穂希(ほまれ)選手が今シーズン限りでの現役引退を表明しました。丁度アメリカ代表のアビー・ワンバック選手も引退するということなので、女子サッカー界の一つの時代が終わったとも言えます。


澤選手は中学入学と同時に読売サッカークラブ女子ベレーザ(現在の日テレベレーザ)に入団し、1993年から日本代表に参加しています。中でもワールドカップは史上初の6回連続(1995年~2015年)で参加し、代表通算83得点は日本サッカー界ではNO.1となっています(男子の最高得点は釜本邦茂さんの75得点)

何より澤選手自身が日本女子サッカー界の酸いも甘いも見てきた数少ない人物であるということは特筆すべき点でしょう。当初は読売サッカークラブに所属していたものの、不況でLリーグ(当時の女子サッカーのプロリーグでなでしこリーグの前身)に所属していた球団が次々と廃部になるほど観客が集まらなかった時代には、日本でサッカーが気無くなると危機感を感じアメリカのプロリーグに武者修行に行っています。アメリカではサッカーはあまり人気が無かったとはいえ、日本以上に土壌は広く、アメリカ女子サッカーの強さの礎になっていました。
その後再び日本とアメリカを行き来し、三度日テレベレーザに移籍したものの、今度はリーマンショック後の不況に揉まれ、経営難から戦力外になってしまいます。しかし、彼女の実力を買って移籍を推し進めたのが、現在所属しているINAC神戸レオネッサです。彼女が所属してからはリーグ優勝3回(2011年~2013年)・皇后杯優勝4回(2010年~2014年)を誇る強豪になりました。
私生活でも今年8月に元ベガルタ仙台の選手と結婚を公表しています。引退後は夫との充実した生活を送ってほしいものです。


ただ一つ残念だったのは、来年のリオデジャネイロオリンピックには出るものだと確信していたので、ピッチに立ってほしかったなぁということくらいでしょうか。ただ、もしかすると佐々木則夫監督のコーチやサポートとしてピッチのそばにいたりするのかもしれない、いやいてほしい(笑)。


いつか、監督として女子サッカーを率いる日を楽しみにしております。お疲れ様でした。


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2015年09月26日

遂にマサ引退へ

朝のニュースでそれを知った時には衝撃と共に、やっぱりかというあきらめの思いもにじみ出たのは言うまでもないことでしょう。


中日の山本昌選手が現役引退を表明しました。現役でいるか引退するかは試合の全日程が終わるまで・・・としていたものの、年下ながらもベテラン選手が次々と引退を表明する事態になったことで、山本昌選手も覚悟を決めたと言っています。

ご存じの通り、最後の1980年代選手50歳まで現役選手として活躍した日本プロ野球界でも唯一の人物になったことでしょう。
今年も登板はしたものの、2回表で左手の突き指で降板。その後も復帰を目指していたものの、突き指していた箇所がじん帯損傷になっている可能性もあることや先述の通りベテラン選手が引退を次々と表明し、谷重選手兼任監督でさえも選手としての活動を辞めることを表明したこと、ホーム最終戦で若返りを図るチームを見て、自分自身が残ることは場違いと感じたことなど、内外さまざまな事象が重なって引退を決断したようです。引退を決断しても、自身はまだやれるという思いはあるようで、自慢だったスクリューで三振を奪ったことから、あの時突き指をしていなかったらどうなっているのだろうとも語っていました


私自身は、確かに衰えは隠せなかったけれども、まだやれるんじゃないのかなと思ってもいました。いみじくも山本昌選手自身が述べていたスクリューが今年唯一の1軍での登板だったヤクルト戦でも決まっていたからです。失点も1点とまだまだ分からない中で起こったアクシデントだったので、もう1回どこかで投げさせてやりたいなとも思っています。しかし、まだ突き指を起こした箇所はまだ完治していないとのことなので、投げさせたくても投げさせられないんでしょうね。惜しい限りです。


引退試合は、来年の春(恐らくオープン戦内)を予定しているとのことです。かつてのプロ野球選手が行ってたことを山本昌選手は行うんですね。今ではその年の最終試合(ないしはそれに近い試合)に出て、引退セレモニーという流れが一般的になってきたので、このような流れは珍しいですし、もうこうやって選手が送り出されることはそうそうやらないと思いますね。


32年間お疲れ様でした。これからは盟友だった山崎武志さんと一緒に趣味のラジコンで楽しむもよし、自身の趣味だった昆虫採集に勤しんで、プロ野球選手時代とは違った意味で子供達に羨望の眼差しを受けてもいいんじゃないかなと思います。


山本昌という生き方
山本昌という生き方



覚悟を決める心 山本昌語録
覚悟を決める心 山本昌語録



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2014年09月11日

WBC戦士の一人がまたいなくなる・・・

千葉ロッテマリーンズの正捕手として長い間君臨し、2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)代表の一人でもあった里崎智也選手が現役を引退することになったそうです。先日の日本ハムの稲葉選手もそうでしたが、WBC世界一に貢献した戦士の一人がまた一人消えることになりました


里崎選手は1998年にドラフト2位で入団し、2005年と2010年のロッテ日本一に貢献したのは有名な話。共にリーグ優勝は果たさずにクライマックスシリーズでの勝ち上りだけで日本一になっています。これは短期決戦に強いという証でもあり、投打共に一気呵成で攻め上がって行ったことをも示しています里崎選手はその短期決戦で投打(投の部分は捕手としてのリード面)共に活躍した素晴らしい選手だったのです(通算成績は890安打と少ないのに、打った記憶が多いのはそのためだろう)

引退に至ったのは、今年手術した膝ではないかと思います。故障の多い選手でもあったので、そのあたりで選手生命を縮めてしまったのでしょう。それでも38歳までやっていたのはすごいことですし、もう里崎選手は38歳だったのかと思ってしまったほどです。
応援歌にあった、『歓声の渦巻いて、大きく放り込め、歌え踊れ打ちまくれ』は彼の代名詞といっても過言でないでしょう。正に観客の歓声を大きく力に変えて、ここぞという時に頼りになった選手でした。


お疲れさまでしたと言いたいところですけど、まだ試合はあります。最後まで頑張って頂きたいものです。


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2013年08月25日

小さな大打者、宮本慎也引退

ヤクルトの最年長選手で打撃コーチも兼任していた宮本慎也選手が引退を表明しました。周囲はまだ続けられるのではないかと慰留していたそうですが、本人が現役続行を断念したため、今回の引退劇になりました。引き際の美学というのを知っていたのでしょうね・・・。


宮本選手は1994年にドラフト2位でヤクルトに入団。以降引退するまでヤクルト一筋19年、ルーキーイヤーは主に守備固め、その後遊撃手のスタメンとして主に守備面で活躍しました。
1990年代のヤクルトというのは野村克也さんが率いるヤクルト全盛期でもあり、宮本選手の堅守がリーグ優勝や日本一に大きく貢献しました。

また、宮本選手はヤクルトだけに留まらず日本野球界でも大活躍しました。
選手としてはアテネ・北京の2回のオリンピックで主将を務め、アテネでは銅メダル獲得に貢献しました。WBCでも追加召集ながらも川崎選手のケガによる交代以降、当時の本職だった遊撃手として活躍しています。
野球をしていない時には、選手会長として2005年~2008年まで務め、球界再編後の難しい時期ながらも渡り歩いてきました。

その後、年齢面などで遊撃手から三塁手にコンバートされ、2009年から選手兼コーチになってからもスタメンとしてヤクルトの要、かつ若手の指南役として支え続けていました。また自らうるさ型に徹し、先述の若手(負けたのに若手が風呂場で談笑していたのを一括したという話が有名)だけでなく、球団(主にスコアラーの増員・2軍の本拠地である戸田球場の室内練習場建設の懇願。特に戸田球場のフェンス張り替え費用を自身が提示した減俸分との差額でねん出させたのは有名な話)、球団マスコットのつば九郎(FC東京などから移籍交渉が飛び交った際、「出て行きたければ出て行けばいい」と一喝している)にまで苦言を呈したそうです。ここまで言う人は、なかなかいないと思います。それだけヤクルトという球団を愛していたんでしょうね。


打撃面に関しては、当初は野村さんからぼやかれるほどからっきし(実際、選手層の厚さもあったが、8番を打っていたほど)でしたが、徐々に向上させ、2012年には史上最遅の2000本安打を達成しています。また犠打の技術も徐々に向上させており、2000本安打を達成した同じ年に400犠打を達成しています(名球界入り選手としては史上初)

実は、この年で引退を決意していたそうですが、球団に慰留され今年も選手としてプレイしていたわけです。
その今年はケガをしたことや球団成績の低迷もあり、徐々に若手の育成に充てるためスタメンを譲ることが多くなり、次第に活躍の場を失っていました。そんな中でも今年のオールスターでファン投票で選出され、まだまだ宮本選手を必要としていることをファンも訴えていた中での今回の引退劇、誠に残念でもあります。


今後は愛していたヤクルトを離れ、グラウンドの外から野球を見つめていくとのことだそうですが、いずれ監督として戻ってくることを待ちわびつつ、残り少なくなった野球生活を見ていこうと思います。華麗な守備・シュアなバッティングをその目に焼き残して・・・。
引退試合に行きたいけど、いつになるんだろう・・・。平日だろうなぁ・・・。無理だよなぁ・・・(泣)。


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2013年07月29日

現役復帰断念とジャーマン引退

今日が丁度支配下選手登録関連の最終週にあたるため、試合のない今日に重大な発表をする選手が出てきました。


まず、ソフトバンクの斉藤和巳リハビリコーチが現役復帰を断念し、退団することになりました。

斉藤コーチは恐らくホークスが福岡に移転して以来、最強の投手の一人と言ってもいいほど印象深い選手でしょう。本格的な右腕投手として名を馳せ、20勝(2003年)・プロ野球記録タイの開幕15連勝(2005年)・最多勝・最優秀防御率・沢村賞をそれぞれ2回(いずれも2003年・2006年)を記録しています。
しかし、2007年に右肩を痛めて以来、投球に精彩を欠くようになり、翌年には投げられなくなる状態に陥りました。もっとも、斉藤選手は右肩を何回も痛めていた経緯があり、2007年に痛めたのが致命傷になったのだろうと今となっては思う次第です

今年まで支配下選手再登録のために必死になってリハビリを行ったものの、1軍の戦力になるイメージが沸かなくなったということで涙の引退会見になりました。

正直すごい選手だったので、ケガがなければ・・・と思ってしまい、本当に惜しいです。何らかの形で残ってほしいものでしたが、とりあえず今はゆっくり休んで下さい。お疲れ様でした。


そして、もう一人、現役最年長野手でもある中日の山崎選手も引退を表明しました。地元では引退の意向というのがお昼のニュースで流れたほど大騒ぎとなっていました。

山崎選手は中日に入団した当初は泣かず飛ばずで、9年目でやっと開花しました。10年目になる1996年に本塁打王を獲得し、以後中日の打線の要として活躍していました。
ところが、ナゴヤドームに本拠地を移して以降、広い守備範囲に適用できなくなり、打撃成績もその広さが仇になり、徐々に下降線をたどっていました
2002年には当時の監督とのいさかいによって事実上干された状態になり、この年のオフにオリックスに移籍になりました。

しかし、オリックスにいた2年間もある種不遇の時期とも言え、2004年には引退も考えたそうです。それでも、山崎選手は工藤さんと家族の説得で新球団として誕生した楽天に移籍します。

楽天に移籍以降は、当時の監督だった田尾さん・野村さんの指導の下で復活を果たし、2007年に本塁打王・打点王を獲得し、再びピークを迎えます。40歳になった後も2ケタ本塁打をマークするなど、中年の星の一人として数えられるようになりました。

その山崎選手も2011年、奇しくも東日本大震災でこれから東北を盛り上げようとしていた矢先で戦力外通告を出され、現役の執念を燃やしながら移籍先を探していたところ、古巣の中日が手を上げ、復帰するという運びになりました。
一時はスタメンを実力で勝ち取ることもあったものの、年齢による衰え・相次ぐケガなどで出場機会が減少し、7/27に一軍登録を抹消されたことをきっかけに引退を決意しました

楽天時代に辞めていればとか昨年のうちに辞めておけば・・・とか色々思うところもあったのですけど、本人が完全燃焼したという思いがあるのならば、(引退会見では少々未練のあるような言い方をしていますけれども)恐らく悔いはないと思っています。何せ記憶に残る選手であることは間違いありません。特に楽天で復活した彼の雄姿を見た中日ファンの人達は驚いたことでしょう。強烈なインパクトを残して去って行こうとしています。
まだ山崎選手は時間があります。頑張れば1軍に上がれると思います。今後の動向を見守っていきたいと思います。ゆえに、まだお疲れ様とは言いませんまだやれると信じて見守っております。


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Posted by alexey_calvanov at 23:37Comments(0)TrackBack(0)

2012年09月28日

辞めない人、辞めさせられる人

秋風が冷たくなるにつれて、表面化するのは来シーズンに向けての戦力構築。その中で現役引退選手や戦力外通告が起こったりします。


今シーズンは、(以下敬称略)小久保・石井・田口・金本、そして今日発表した城島と例年以上に大物が、そして今岡・小林・清水・カブレラ・スレッジ・ブラゼルといった一時期活躍した選手が引退表明ないしは戦力外通告をされました。今後ポストシーズンに進むチームからもさらなる引退表明や戦力外通告が出てくるものと思います。


そんな中、よくわからない動きをしているのが中日。3人の選手が現役続投を要請された一方、3人の選手が戦力外通告をされました。
現役続行を要請されたのは、山本昌・山崎・川上の3選手。逆に戦力外通告に至ったのは、平井・小笠原・ネルソンの3選手

正直ふに落ちないのが今回の件。他の選手に関しては正直そうなってもおかしくない理由をはらんでいますが、中日に関しては、どうしてこうなったのかわからないことだらけ。
まず平井選手に関しては、若手に押し出される格好とケガの影響、次に小笠原選手に関しては肩の故障がきっかけの力の衰え、最後にネルソン選手はケガと不振で今シーズン棒に振ったのが原因、そしてトラブルメーカーの側面でそれぞれ戦力外になったのではないかと思われます。実際まだまだやれそうなのに切られるのがわからないところ。他の球団なら十分に先発や中継ぎをやっていけます。

対して残った山本昌選手は2勝2敗、川上選手は2勝1敗、山崎選手は.185 本1という成績
山本昌選手は16試合投げてこの成績。たいていは援護ないままか点を取ってた(ないしは取られていた)のにチームがひっくり返しされて(ないしは返して)負け(ないしは勝ち)が消えるというパターンがほとんど打線の得点能力が上がればそれなりに勝ち星を稼げるので、まだやれるかもしれないとは思いますが、正直綱渡り
川上選手は今シーズンを棒に振ってるのが原因で、まだ再起はあると見ているのでしょう。
問題は山崎選手この成績ではもう引導を渡されない方がおかしい。正直楽天で辞めておくかパリーグの他の球団のオファーがよかったのではないかと。
確かに序盤はブランコ選手との4番争いで大きく注目されたものの、飛ばない選手はただの置物・・・というのが一番しっくりくるくらい飛ばないホームランバッターとして期待されているのにこれでは普通に考えないといけないのではと。去就はクライマックスシリーズ後に明かすということですが・・・。


ただ、この3選手を置くために使える可能性のある3選手を戦力外に追い込んだのは正直わからない。ああ、高木監督の思考はわけがわからないよ・・・


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Posted by alexey_calvanov at 23:59Comments(0)TrackBack(0)