2019年06月18日

やっぱり3年目だった

今日、FC岐阜は大木武監督の退任を決めました。


このニュースを知ったのは、朝のNHKニュース「おはよう日本」の放送内でローカル枠になる時間帯があるのですがけど、朝7時前のローカル枠で知った次第です(恐らく6時半になる前のローカル枠が第一報になったのではなかろうかと)。しかもトップだったんだよね・・・(苦笑)。もう中日新聞の朝刊にはスポーツ欄で載っていたようですけど、1面しか見ずに会社へ行ってしまったので、それを知ったのは家に帰ってから。


大木監督は2017年から2年半チームを率いてきたんですけど、1年目が17位、2年目が20位想像していたよりも悪い順位で3年目を迎えました。特に2年目は夏から秋に掛けて10連敗という時期があり、晩秋に入るまでなかなか勝ち点が上がらない状況にも陥っていました。それでもフロントは大木監督の続投をお願いしたわけです。
その3年目は、これまでにない補強を行ったというふうで大々的にお披露目をしたものの、4月に入ってから勝てない状況が続き、5月はFC琉球戦で勝って以来、勝ちに見放されている状況(6連敗中)なわけです。


大木監督に関しては、愛憎半ばというふうです。
初めて大木サッカーを見せてくれたレノファ山口FCとの開幕戦(2017年)、パスサッカー・ポゼッションサッカーという新しい形を見せてくれて、華麗なパス回しは岐阜というチームの変わった姿を象徴しているかのようでした。当時J2に落ちてきた名古屋グランパスとも互角に戦い抜き、今年はやれると期待が高まったものです。魅力的なサッカーという点では、大木監督の功績は大きいですし、このサッカーが続けば・・・とも思ったものです。
しかし、現実はそれではダメだったということ。相手に読まれてしまう。そこで一回転ぶと、なかなか立ち直れない2年目まではターンオーバーをせず、使いっ放しの状態が続いてしまった。よく選手がケガしなかったなと思ったものの、2年目・3年目は主力にケガが出て、3年目はそれが相次いでいる状況。にもかかわらず、意固地とも取れる采配・運用で、使ってほしい選手は使われないまま干されるということもありました。岐阜から去っていった選手は、恐らく大木監督にノーと言った人や大木監督の采配・運用に納得がいかなかったのでしょう。結局残ったのは、イエスマンと大木監督を知らない若手(新戦力)だけという有様でしょう。

個人的には下関の試合(これも奇しくも山口戦)がターニングポイントになったのでしょう。選手に対して愚痴が出た珍しいインタビューだったのですけど、このあたりで彼の『独裁』が強まったと思っています。ここから出られなくなった選手が、ほぼほぼ岐阜からいなくなったのですから(そこで残った小野悠斗選手が活躍しているのが何とも皮肉)
正直なところ、2年目で大木監督を切っておくべきだったと思うのです。しかし、私達はペテンに掛けられてしまったと、厳しい言い方をすればできるかもしれません。悪く言えば、『大木信者』になったサポーターが、想像していた以上に多かった。かつフロントまでもが狂信的な信者になってしまっていたということです。あんだけ魅力的で攻撃的なサッカーができるのだから、いずれ花開くに違いない、いずれ強くなる、いずれ勝てる・・・その降り積もった無根拠な『信頼』だけで、彼は生き残れたのです。ジェフユナイテッド千葉・市原を解任されたファン・エスナイデル元監督の時のように、サポーターが強硬に反対を言わなければならなかったのです(実際はフロントが押し切って3年目も監督になったものの、水戸ホーリーホック戦後に解任)

面白いサッカーを見せてくれたことには感謝しています。ご自身が苦しい状況の中で采配をしてくれたことにも痛み入る部分があります。しかし、選手がやりたいこと・やっていきたいことを無視し、自身の理想ばかり追い掛けて現実を顧みなかったという事態には大変遺憾であり、チームの窮地を招いたことに関して早い段階で責任を取ってほしかったと思います。


この時期の交代は、遅きに失したとなりかねない状況。新しい監督次第ではそう思っておりました。で、決まった新しい監督が・・・というところで、そのあたりの話は、次回に書いていきましょう。


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Posted by alexey_calvanov at 23:12Comments(0)