2011年08月08日

苦労人が掴んだ1球勝利

今日の楽天×日本ハム戦、今日唯一のプロ野球の試合だったことと、ルーキーの斎藤佑樹選手が投げたという点、相手も同じくルーキーの塩見貴洋(しおみたかひろ)選手が投げたという点、そして共にドラフト1位ということで、いつも以上に注目を浴びたのではないかと思います。
しかし、試合は斎藤選手があまりピリッとしないために、5回途中で走者満塁の状態で降板(4回1/3)、代わった石井裕也選手がその後をピシャリと抑え、その後、榊原・増井・武田久3選手の継投リレーで勝利(2-4)を収めました。
その斎藤選手の後を引き継いだ石井選手、実はたった1球で勝利が決まるという、いわゆる1球勝利投手になりました。この1球勝利は相当難しいことで、時には大ピンチを抑えないと達成できないものです。
なお、これより上もあり、0球勝利と言われるものもあります。これは牽制球でアウトにした時のみ達成できるもので、これは1球勝利よりさらに難しいです。また1球敗戦というのもあり、これは基本的に走者を出していない時にホームランで逆転されてしまった場合に起こるものです(これ以外でも色々あるのだろうけど、一番多そうなのはこのケースかと)。
さて、石井選手、うれしい1球勝利ではありますが、実は相当な苦労人です。
石井選手は先天性難聴で、左耳は全く聞こえず、右耳は補聴器でわずかに聞き取れるというふう。そのため、常に選手とは指差し確認をしているだけでなく、一瞬の映像から判断するという能力が極めて高いため、選手の一瞬のサインを見逃さないという集中力で、聞こえない聴力をカバーしていました。
そんな石井選手は、プロ入りを反対されながらも、自身の熱意で中日にドラフト6巡目で入団。貴重な左の中継ぎとして活躍したものの、要所でもろいという欠点と中日の投手層の厚さで、4年目のシーズン途中に(2008年)に横浜へトレードされました。
横浜時代は、移籍1年目はセットアッパーとして活躍。2年目は当初抑えとしてデビューしたものの、すぐに炎上するクセが響いてほどなくして抑えの役を下ろされることになりました。その後目立った活躍ができずに、3年目のシーズン途中(2010年)に日本ハムへ移籍になりました。
日本ハムへ移籍後も、やはり左の中継ぎとして活躍。現在も勝ち負け関係なく登板する隠れた大黒柱になっています。
実は、中日時代から、「コイツは化ける」と期待していた選手の一人で、実際中継ぎでの活躍を見るにつけ、すごい投手を中日は獲ったなぁ、何でこんないい投手が中日ではあぶれるんだ、何で横浜は長い目で見てあげないんだ・・・とほぞをかむような思い(愛憎半ばというやつ)で見ておりました。だからこそ、今日本ハムで活躍している姿を見て、時々涙腺が止まらないこともありますよ・・・。
あとどのくらい活躍できるかは正直わかりませんが、1年1年を常に勝負の年として1イニングを投げてほしいものです。


サイレントK 沈黙のマウンド―野球に生きる横浜商工難聴の左腕エースサイレントK 沈黙のマウンド―野球に生きる横浜商工難聴の左腕エース



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Posted by alexey_calvanov at 23:35Comments(0)TrackBack(0)