2017年05月18日

東北へ行く2017④ 震災遺構 荒浜小学校 前編

SHV32_0799地下鉄東西線からバスで15分ほど。終点の旧荒浜小学校に到着しました。



SHV32_0800荒浜小学校は1873年に設立されたものの、東日本大震災がきっかけで生徒数が激減今年の3月末で廃校になり、144年の歴史に幕を閉じました。その後は、震災遺構としての保存活動が進められ、4/30から一般公開を開始しています。
写真は、それを記録するために設置された碑。旧荒浜小学校の校歌が記されています。



SHV32_0802校庭には、津波で流された二宮金次郎像が置かれています
元々南西角に置かれてきたものが、津波で流され、8か月後に学校から南西100mほどのところで見つかったそうです。
見ただけで、その破壊力と威力がわかるものです。



SHV32_0801下層階の写真。
見てもらうとわかるように、2階の一部まで津波が押し寄せています。そして、津波が引き寄せたがれきなどがぶつかって、鉄柵がひしゃげています



SHV32_0804側面に回っても同じように、鉄柵がひしゃげ、津波の威力・がれきの破壊力がよくわかります
ちなみに、現在でもこの建物は、被災時の緊急避難ビルとしての役割を担っています



SHV32_0805中に入ると、がらんどうな部屋が続きます。
こちらは1階の教室1年生の教室になっていました。今でこそがらんどうな部屋になっていますけれども、震災当日の津波の押し寄せた後は、奥に車が詰め込まれるほどの力が掛かっているのです。



SHV32_0806その先は非公開部分になっていますが、天井のはがれている姿を見て、その凄惨さを伝えています



SHV32_08072階に上がってみます。
先程、側面で見ていたあのひしゃげた部分を間近で見られるばかりか、コンクリートの壁も破壊されていることがわかります



SHV32_08092階には、津波到達ラインというものがあります。証言の中にもあるのですけれども、足元まで津波が迫ってきたというのがあります。それを示す証拠でもあります。ただ、どうしてもわかりにくい。写真で見てもわかりにくいことでしょう。



SHV32_0810では、こちらをご覧下さい。
職員室に置かれていた用具入れが津波をかぶり、そのかぶった跡だけがさびついているのです。
こちらははっきりと目視で確認できるので、津波がここまで来たのかとわかりやすいのではないのでしょうか。



次回も荒浜小学校を取り上げていきます。


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Posted by alexey_calvanov at 23:24Comments(0)TrackBack(0)

2013年05月11日

2013年、今年も東北に向かう③

石ノ森萬画館から石巻でもう一つ行きたいところへ向かおうと思ったものの、その石ノ森萬画館で結構な時間を食い、さてどうしよう・・・となっていたわけです。
頻繁ではないものの、タクシーを捕まえられないか、もしくはバスがないかなと思ってさまよっていたら、奇跡的に空車のタクシーを発見。乗ることになりました。


ISW11F_0433今回の旅で是非とも向かいたかったところ、それは石巻市門脇町にあるこのモニュメント石ノ森萬画館から直線距離で約3・4kmほど。歩いたら「ひと山(日和山を)越えないといけない」(乗ったタクシーの運転手)そうな。

元々はここで営んでいた配管工の会社があったところ。震災後、流された自宅兼会社の中から見つかった工具とがれきから作りだされたのが、このモニュメントなのだそうな。奇跡的に生き残った製作者でこの家の主と仲間達が、生きようという思いの中で生み出したのだ。
ちなみに、その下には、「復興するぞ!」という力強いメッセージが書かれています



ISW11F_0434丁度この時期は、こどもの日が近いということもあって、鯉のぼりが掲げられていました。
昨年(2012年)は津波の高さまで上げて掲げられたそうです。



ISW11F_0435被災地のがれきを集め、それを種火にした慰霊の灯篭。



ISW11F_0436あの日の被災地の写真が掲載されていました。改めて、被害の甚大さがわかります。そして、この場所も・・・。
石巻市は沿岸のほとんどが津波で流されています。流されなかったのは、駅前周辺と石ノ森萬画館のような頑丈な建物のみでした。



ISW11F_0437当時の自宅兼会社の中で残った基礎の柱。実際の津波の高さを記したシールと当時の自宅兼会社の写真が貼られています。



ところで、この時タクシーに乗っていったのですが、色々話を伺うことができました。
写真には収めていませんが、途中門脇小学校を通りましたそこは津波には耐えられたものの、途中流れついた車の中に残ったガソリンによって火災が起こり、門脇小学校は半焼したそうです(実際2階より上が真っ黒焦げになっている)。この地にあるモニュメントといい、いまだこのあたりはむごたらしい記憶が生々しく残っています。
ただ、壊すのは簡単です。辛いのもわかります。賛否両論ある中、それらが簡単に無くなるのはいかがなものなのでしょう。震災の記憶がたった2年で風化していっているのが報じられましたが、それを加速させそうな気がしてならないのです。


タクシーのおかげで、無事に石巻の目標の場所は回れ、再び石巻駅に戻ってくることに。
乗りたかった電車にも乗れ、次の目的地である松島海岸に向かいます。


ISW11F_0438仙石線は仙台にあるあおば通りから石巻までを結んでいるのですが、高城町(たかぎちょう)~陸前小野まではいまだ不通。復興は2015年の予定だそうです。
写真は、その石巻側の終点の一つ、矢本駅。
陸前小野から先にはレールがあっても電車は走れない。



それゆえに、高城町駅・松島海岸駅までは代行バスが走っていました。再度乗れるかどうか心配でしたが、今回は希望者全員乗れました。
しかしこのバス、高城町から先、つまりは松島海岸駅までが非常に混んでました
理由は簡単、観光客でごった返しており、観光バスも含め車がたくさん来ていたからです。


次回は松島海岸とその先の紹介をば。


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Posted by alexey_calvanov at 23:26Comments(0)TrackBack(0)