2018年05月09日

これからもセリーグでも、大リーグでもありません、パリーグです!

今日のプロ野球は、すごいことが立て続けに起こっています。どちらもパリーグの試合なのが印象的です。


まずは、メットライフドームで行われた埼玉西武ライオンズ×福岡ソフトバンクホークスの一戦内川聖一選手の2000本安打が掛かった試合になりました。
しかし前日まで11打席連続無安打の中で迎えたこともあり、今日の試合も3打席凡退になっていました。
それでも第4打席にドラマが待っていました。西武2番手の武隈祥太選手から右への流し打ちがセンター前ヒットになり、見事2000本安打に。王手を掛けてから15打席目でやっと達成、そして史上51人目の達成者になりました。

2000年のドラフトで当時の横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)に入団。1年目から1軍に帯同しながらも、レギュラーを得るまで苦労が続き、8年掛かってやっと得られる格好になりました。そこからはワールド・ベースボール・クラシックに出場するなど強打者として定着し、遂にはフリーエージェントを行使して、故郷大分に近いソフトバンクに移籍することになりました。
ソフトバンクでは2017年にケガで出場数が少なくなった以外はほぼフル活動で、チームの中堅として活躍しています。そんなこともあり、今回の記録はDeNAのラミレス監督、巨人の長嶋茂雄終身名誉監督に次ぐものとなりました。
まだ35歳、今後もレギュラーに定着できれば、2500本や3000本も夢ではないと思います。ケガだけに気を付けて頑張ってほしいものです。


そしてもう一人、未来のヒーローになる選手にも大きな話題が飛び込みました。
北海道日本ハムファイターズの清宮幸太郎選手が、京セラドーム大阪で行われたオリックス・バファローズ×北海道日本ハムファイターズの一戦で、プロ初のホームランを放ち、原辰徳さんの記録を破る7試合連続安打となりました。
1軍デビューから1安打ずつとはいえ、着実に積み重ねられる点や1年目なのにクリーンナップを任されるというところでも、これまでの選手と違う、大物になるのではないかと感じさせるものを持っています。
まぁ、1本出れば、この先楽になるでしょう。気張ることなく、次の試合でベストを尽くせば、おのずと記録やホームランは出るものと思います。切れてしまっても落ち込まない。逆に気にすることで調子を崩しかねないので、先程も書いたようにベストを尽くす、平常心を保てば、いい結果が出ると思いますよ。チームを引っ張る若手となって活躍してほしいですね。


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Posted by alexey_calvanov at 23:56Comments(0)

2013年05月06日

プロ野球を象徴する2人が2000本達成

昨日(5/5)にDeNAベイスターズの中村紀洋選手、今日(5/6)は中日ドラゴンズの谷繁元信選手が2000本安打を達成しました。実は、5/5にも双方が2000本安打達成(もし実現していれば史上初の出来事だった)というメモリアルデーだったのですが、中村選手がお先にといった感じで先に達成するという経緯がありました(その時に花束を渡していたのが、皮肉にも谷繁選手)


中村選手は1991年に近鉄に入団。新人になる1992年から第一線で活躍(レギュラーを獲ったのは1994年)。以降持ち前のフルスイングで近鉄いてまえ打線の核になっていました

ところが、近鉄・オリックスの球団合併に伴い近鉄が消滅すると、大リーグへの移籍を表明することに。ただ、大リーグの1年は全くと言っていいほど活躍できず、事実中村選手にとって、この時期は黒歴史的な扱いをしているようです。

その後2006年に、近鉄消滅後の分配ドラフトで一時的に在籍していたオリックスに復帰したものの、ケガの扱いを巡る球団との対立で退団翌年の2007年になっても移籍先が決らず煮え切らない中、中日が手を上げ、テスト生として入団することになりました。ここでの活躍は神懸かり的なものがあり、中村選手の評価をさらに上げたとも言えます。

2008年にはフリーエージェント権を行使して楽天に移籍したものの、期待されていたほどの活躍ができず自由契約に。トライアウトなどを経て2011年に横浜(現DeNA)に拾われる形で入団することになりました。

時に奔放な発言をするなど中村選手は色々言われていますけれども、信念を曲げないところは一貫していると思います。それだけ苦労人の節はあるのですけど、今ではあまりいない職人的なプロ野球選手なのかもしれません。


一方谷繁選手は、1988年に大洋(現DeNA)に入団新人時代から正捕手として活躍し、横浜の優勝に貢献した名キャッチャーとして成長します。
2001年には大リーグへのフリーエージェント宣言を行ったものの、よい結果が得られず中日へ移籍。以降中日の正捕手として10年以上屋台骨を支える存在になりました。その間無くてはならない存在になったのは言わずもがな。

なお、今回の2000本安打達成で、昨年達成したヤクルトの宮本慎也選手を抜いて最年長達成選手となりました。

なかなか打てないポジションとも言える捕手で、ここまでやってのけたのは、野村克也さん・古田敦也さん以来3人目。伝説のキャッチャーの仲間入りを果たしたとも言えるわけです。


しかし、彼らはこれを通過点としてしか見ていないようで、更なる上を目指しているようです。
中村選手は自らのフルスイングの象徴とも言える本塁打の通算本数400本が目前に迫っており、谷繁選手は1000打点が同じように目前に迫っています。また谷繁選手は出場試合数で王貞治さんを抜く可能性をもっており、またさらに偉大なキャッチャーへ一歩進めようとしているのです。


ここまで来たら、さらなる記録を積み上げ、歴史に残る選手担ってもらいたいと思います。本当におめでとうございます。


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Posted by alexey_calvanov at 23:54Comments(0)TrackBack(0)

2012年06月24日

遂に達成

福岡ソフトバンクホークスの小久保裕紀選手が遂に2000本安打を達成しました。
日本ハムの稲葉選手もヤクルトの宮本選手もそうですが、40歳を迎えての達成(注:稲葉選手は8月に迎える)ということで感慨深いものがあったでしょう。


しかし、小久保選手は先に達成した2選手とは違い、順風満帆(まんぱん)とはいかなかったとも言えます。

まず小久保選手はケガとの戦いを強いられていました
過去に8度の手術を行っただけでなく、2003年には靱帯損傷という現役生活を左右しかねない大けがをしてシーズンを棒に振った経緯があります。今年も、昨シーズン末に手術した首の部分をかばいながらの出場となり、シーズン途中にも椎間板ヘルニアになるなど、満身創痍の中での達成になったと言ってもいいでしょう。

また、小久保選手は一時期球団との確執で巨人に無償トレードされた経緯もあります。後にソフトバンクに復帰したものの、『都落ち』したその時というのは、とても悔しい思いがあったに違いありません


それでも、幾多の苦難と困難を乗り越え、パワーヒッターとしての能力も十分に発揮した小久保選手今日打った安打は、彼の代名詞とも言えるホームランではなかったものの、見事なセンター返しで、まさにいぶし銀のような味わいのある当たりだったと思います。


この後、選手として何年やっていくのかわからないですが、人望の厚さがある限り、ソフトバンクで何年でもプレーして、勝利に貢献してもらいたいものです。


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Posted by alexey_calvanov at 22:45Comments(0)TrackBack(0)

2012年05月06日

おまえのバットは日本一

5/4にヤクルトの宮本慎也選手が2000本安打を達成しました。同じく元同僚で日本ハムにいる稲葉選手とは違い、少々産みの苦しみを味わった感がありましたけれども、地元(ホームグラウンドである神宮球場)での達成となってよかったんじゃないかと思っています。
なお、この2000本安打を達成した試合数が稲葉選手と同じ数だったのは何かしらの縁を感じずにはいられません


宮本選手は、1994年にドラフト2位でヤクルトに入団この年は稲葉選手も入団し、野村克也さん(当時のヤクルト監督)やスカウトの眼力には目を見張るものがあると思います。
入団直後から守備での評価が高く、1995年から2008年までは(オリンピックやワールドベースボールクラシックなどの国際大会を除き)遊撃手としてこなしていました。その後三塁手に回るものの、華麗なグラブ捌きは今でも衰えていません現在はコーチも兼任の選手になっており、いい若手の見本になっていると個人的には思っています


宮本選手に関しては異例の記録尽くめになりました。

まずは史上最年長記録41歳5ヶ月での達成は落合博満さんの記録を1ヶ月上回るものになりました。
社会人を経ての記録達成は史上2人目。なお、史上初の選手は、同じヤクルトに在籍していた古田敦也さんだったというのですから、ヤクルトは主軸に長くやれる選手が出やすい環境にあるのかもしれません。
通算本塁打数が少ないのも特徴で、これまでの86本を大きく引き離す59本で達成しました元々『自衛隊』と野村さんから揶揄されるほど守備の人で、打撃センスはからっきしとまで言われたほどです。
しかしながら、打撃面では粘り強いバッティングが大きな特徴で、得意の右打ちや目の覚めるようなセンター返しは相手の投手陣に大きなショックを与えたことでしょう。またバントの名手とも言われ、川相巨人2軍監督のシーズン記録を抜くほどでもありました。


これからも、守備で打撃で若手選手の見本となるよう精進して頂きたいと思います。本当におめでとうございます。


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Posted by alexey_calvanov at 23:58Comments(0)TrackBack(0)

2012年04月28日

おまえの底力、見せてもらったわ

早かった。実に早かった。
今年8月に40歳になる日本ハムの精神的支柱の一人、稲葉篤紀選手が2000本安打を達成しました。
彼自身は生え抜きの選手ではないですが、既に生え抜きのような活躍を見せている選手。そして日本ハムの選手としては2人目の偉業なだけに、実にすばらしいですね。
試合そのものは、稲葉選手の花を飾れるようなものではなかった初回にその稲葉選手の2000本目になる安打がタイムリーとなって先制したものの、楽天打線の粘りと斎藤佑樹選手が楽天と相性が悪いのか逆転されてしまうことに。しかしながら、先発のヒメネス選手の後続を担った投手陣が崩壊に至って同点に追いつかれ、そのまま引き分けになってしまったのが悔やまれますね。


稲葉選手は法政大学卒業後にヤクルトに入団野村監督がほれ込んで獲得に動いた無名の選手だったのは至極有名な話で、古田さんと並んで野村ヤクルト時代を語る上では外せないエピソードの一つになっています。

ヤクルト時代にも外野の一角として活躍したものの、度重なるけがに悩まされた経歴も併せ持っています。

転機になったのは2004年にフリーエージェント宣言したことから大リーグに行こうと画策したものの、どこも手が上がらず、日本国内の球団に移籍先を求めトライアウトも試みようとしていたのですが、その際に打撃センス・守備センスを見抜いていたのが日本ハム彼が大リーグ行きに頓挫した際、真っ先に交渉しようと画策していたのだから、人を見る目が凄いし、その後(というか日本ハムが北海道に移転して以降)後にも先にもフリーエージェントで選手を取らないほどケチ・・・あわわ節制を重ねる球団ですから、よほどの決断だったことは言うまでもありません。

日本ハムに移ってからは、持ち前の打撃に長打力を加え、力押しの多いパリーグの投手陣に対応していきました2009年頃から臀部の痛みや腰痛などに悩まされるものの、日本ハムの打線の核として今でも活躍しています。


打撃面で語られることも多いですが、守備でも強肩ではなくとも技術面でカバーするという巧の一面を持っており、かつ相手の癖を見抜いて守備位置を変えてくるという策士の一面を垣間見せています。
またベテランでありながら、若手の支えにもなっている選手でもあり、主将を外れた現在でも面倒見のいい選手として知られています。先日でも糸井選手が死球となった際にも、栗山監督に外野行きを直訴したほどでもあります。
これで、稲葉選手の同僚でもあるヤクルトの宮本慎也選手そしてソフトバンクの小久保裕紀選手の尻に火が付いたんじゃないかと思いますね。負けるもんかという気持ちと俺達もやればできるんじゃないかという気持ちに駆られているんじゃないかと。


さて、今後稲葉選手には、残り1本になった250号本塁打、残り8本になった400二塁打が控えています記録への重圧はまだ残っている中、好調を維持するのは大変だと思います(実際、2011年は6月と9月以降、大きく調子を崩している)。しかしながら、ぜひとも若手の見本となれる選手としてこれからもまい進してほしいものです。そして地元北名古屋市(旧師勝町)のヒーローとして活躍されることを願ってやみません


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Posted by alexey_calvanov at 23:54Comments(0)TrackBack(0)

2011年05月05日

2000本の重み

今日、巨人の小笠原道大(みちひろ)選手が、2000本安打を達成しました史上38人目、達成の早さで見れば川上・長嶋・張本さんらに次ぐ歴代4位の記録だということ。
丁度、地上波の中継が終わる直前に打ったもんだから、一部視聴者がブーたれたんじゃなかろうかと(苦笑)。恐らくBSが見えた人達は、慌ててBS日テレに変えたに違いない(苦笑)。


長いこと日本ハム時代のバッティングを見ていますが、豪快なバッティングは今見ても素晴らしいなと思います。
また、意外に知られていないのは、元々捕手出身で、後に内野手にコンバートされている点
これは中日にいる和田選手にも言えることなんですが、捕手というのは、投手への気遣いからか、なかなか打撃のことまで手が回らないために、好成績が残すのは難しい(それゆえに、かつての山倉さんや中尾さん、近年だと城島選手や阿部選手のハイアベレージな成績はすごいの一言)。捕手の『くびき』から解放されることで、これだけいい成績が残せるのではないのか、とうがった見方をすると思うのですよ(もちろん、捕手はそれ以上に素晴らしい成績を持っているのは言うまでもありません)。


いずれにしても、この成績がこの先達成できる選手がいるのかはわからない状況にあります。
フリーエージェントでアメリカのメジャーリーグに行く選手がこれから増えてくるでしょうから、2000本といっても日米通算という形での達成というケースが増えてくるからです。
日米通算が重くないという意味ではないですが、これから純粋に日本のプロ野球だけでの達成というのは少なくなるのは確実かもしれません。

同時に200勝投手というのも同じく難しくなるかもしれません。特に投手の場合は、ローテーション制が確立されたのと、先発・中継ぎ・抑えといった分業制の確立。そして先述のフリーエージェントでアメリカのメジャーリーグへ行く選手の増加も原因になってくると思います。
それゆえに、今回達成した小笠原選手やこれから2000本を達成しようとしている選手は、これまで以上に偉大な選手になっていくものと思います


ちなみに、2000本安打・200勝・250セーブを達成した昭和生まれの選手(日本人・外国人選手、日米のプロ野球の通産は問わない)ならば名球会に入れる条件とされています。


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Posted by alexey_calvanov at 21:25Comments(0)TrackBack(0)