今年はケータイの歴史の中で様々なターニングポイントが起こる年と思っていたんですが、これほどまでに激動になるとは思ってもみませんでした。
1月にはドコモPHSの停波。
2・3月には端末製造メーカーの三洋電機と三菱電機が撤退を表明(三洋は事実上の撤退。ブランド名は京セラの下で残る)。
3月にはMVNOという形でディズニーモバイルの参入(通信・流通網はソフトバンク傘下)・イーモバイルの音声通話サービス開始といった明るい話題があったものの、今回は、ケータイの歴史に大きなターニングポイントになるツーカーの終了の日でもありました。
ツーカーは、元々は日産自動車とDDI(第二電電。今のKDDI)が母体になって始まった通信会社で、関東・東海ではこの2社の合弁企業であるツーカーセルラー(東京・東海)として設立。既にDDIセルラー系の関西セルラーをDDIが設立していた関西では、ツーカーホン関西として日産自動車が独自に設立しました。
ツーカーは当初から東名阪のみのエリアで事業展開していたものの、その他地域で事業展開していたデジタルツーカーと提携を結んで全国でサービスを利用できるようにしていきました。
ちなみに、そのデジタルツーカーの『デジタル』というのは、同じく東名阪で事業展開をしていたデジタルホングループ(今のソフトバンク)だったわけです。
ところが、親会社である日産自動車がバブル崩壊後の深刻な経営危機によって倒産寸前にまで追い詰められたことで、携帯電話事業の資本を撤収。
それにより、デジタルホングループと日産自動車・日本テレコムの合弁企業だったデジタルツーカーはJ-PHONEとして全国ブランドに統一されることになり、その枠内に入る予定だったツーカーグループは、その後のゴタゴタによって、もう一つの親会社だったDDIに引き取られ継続することになったわけです。
そのため、ウェブはEZweb(auブランド)、SMSはスカイメール(ツーカーブランド名はスカイメッセージ。ソフトバンクブランド)といういびつな形になっていたわけです。
この日産自動車の撤退が、今日のサービス終了の引き金になった遠因でありまして・・・。
独自展開で残ったツーカーはというと、写メールのブームに乗り遅れ、浜崎あゆみさんをイメージキャラに据えたものの、施策と内容のちぐはぐさに契約者の減少が止められない状況が続くこととなり、一時期はプリペイド式ケータイ(プリケー)やシニア向けケータイのツーカーSを初めとした、使いやすいシンプルなケータイで巻き返しにかかったものの、総じて第三世代ケータイに移行していたドコモ・au・ボーダフォンへの流出を止めることができませんでした。
遂には経営意思疎通の迅速化ということで、KDDIグループの一員(子会社化。のちに吸収合併)として活動することになり、程なくしてサービス終了が報じられ、auへの草刈場として細々と生きながらえて、今日を迎えたわけです。
ほとんどのニュースがガソリンの暫定税率で一辺倒になっていたため、遂にはフラッシュニュースにまで挙がらなかったわけですが、これもツーカーらしい静かな最期だったと思います。
ツーカーが遺したものは、終盤に見られたシニア向け路線と今日の主流契約になっている2年契約(東海地域で言えばBEST)に尽きると思います。
今でこそ主流になっているこの2つのトピックを真っ先に始めたのがツーカーでした。契約数減少に伴う苦肉の策だったのが、今日のMNPの囲い込みに繋がる秘策になったというのは言いすぎでしょうか?
でも、何よりツーカーで一番覚えているのは、人当たりのいい営業さんが多かったことですね。
一生懸命契約を伸ばそうと真剣に取り組んでくれていました。
端末の操作でも機械の操作でも親身になって説明してくれていました。
機種変更であれ1件でも契約が取れただけでも感謝してくださいました。逆に1件しか取れなくて申し訳ないと思えたくらいでした。
今、MNPで厳しい争いをしている各社営業は、『機種変更であれ1件でも取れること』に対して真摯に向き合うべきだと思います。当時ツーカーが苦しんだことは、どの会社でも将来現実味を帯びてくる可能性があるからです。