先月末(1/31)、たまたま見ていたTBS系の「ワンステップ!」というドキュメンタリー番組で、山梨の山奥の村(丹波山村)が取り上げられていた。
その村は隣は東京、といっても23区ではなく奥多摩ではあるが、ではあるものの、街(大きな街は同県内にある甲州市)に出るのにものすごく時間がかかるとのことらしい。
この村には家電屋といわれるものがなく、前述のことも相まって、操作に困った・壊れたものが直せないという住民が後を絶たないらしい。そこで村に移動家電屋になった若者達が修理・操作のハウツーなどを施していくというその村での苦闘を描いたものだった。
その中では、カセットテープレコーダーが壊れてお気に入りの歌が聴けなくて困っている老人、冷蔵庫がおかしくなったので修理してほしいと頼みに来た老夫婦など色々あくせくして難問題を解決させた若者達が紹介されていました。
しかし、その中で一番印象的だったのが、洗濯機の脱水が壊れて動かなくなったので、修理してほしいというおばあちゃんの依頼。
実は脱水関連の配線が切れていたらしく、そこを繋ぐことでことは簡単に解決するのだそうだ。しかしそこを繋ぐことで、本来ふたを開けたら止まるべき脱水が止まらなくなり、そのまま回転しっぱなしになってしまう。そしてこの行為はいわゆる改造行為になってしまい、自分自身が注意して使うならいいものの、第三者にそれを施すのはいいことなのか・・・そのことでこの修理を担当した若者は思い悩んでしまう。
最初は修理状況を説明し、改造を施した部分は絶対に止まるまで手を入れないでほしいと留意したものの、改造を施したことがおばあちゃんにとって本当にいいことなのか思い悩んだ末、改造を施したところを「危ないから」と元に戻してしまう。
確かにおばあちゃんの喜ぶ顔は彼にとってもうれしいのかもしれなかったが、危険を伴ってまで直すことが本当にいいことだったのか悩んだ末の苦渋の決断だったと番組内では締めていた。
おばあちゃんにとって長いこと愛着のある機械だったものなので、本人としては直したかったのだろうと思う。それが危険でも使えるようにしたという一つの結果に導き出したのかもしれない。しかし、本当に自身がおばあちゃんの立場に立って幸せなのかを考えた末の結果が脱水は使えないままにするということだったのかもしれない。
私自身も非常に考えさせられることだった。私自身は家電を修理できる人間ではないものの、似たシチュエーションはいくらでもある。その立場に立った時どういう答えを導けるのか。
悩ましい。