とか言われながらも、2人とも笑顔で、先代からはようかんを、桂歌丸さんから崎陽軒の「横浜チャーハン」を勧められて、頂いていることでしょう。
「笑点」メンバーの一人で、毒舌で名を馳せた6代目三遊亭円楽さんが、今日肺がんで亡くなったそうです。以前から体調が悪いとは言われていましたが、あまりの急な逝去に驚きを隠せません。
6代目円楽さんは、青山学院大学在学中から落語家として活躍し、当初は三遊亭楽太郎の名で活躍していました。「笑点」時代も楽太郎名義で出ていることが多かったので、未だに6代目円楽さんを楽太郎さんと言ってしまうことが、私はたまにあります。現在の名は2010年に真打ち襲名で名乗り始めています。
27歳で「笑点」に入ったものの、当初は上手くいかないことが多かったようです。その時に救いの手を差し伸べたのが、6代目円楽さんが先代の円楽さんと共に親のようだと慕っていた歌丸さんだったのです。この時に、毒舌と罵倒という代名詞が付くようになり、歌丸さんとの丁々発止のやり取りは、歌丸さんが司会の座になった時にも発揮されました。歌丸さんに向けられた「やるか、ジジイ」は6代目円楽さんのあいさつ代わりなんじゃないかと思えるほど言われましたね。もちろん、時事ネタを絡ませた批評も面白く、頭の回転の速さとウィットに富んだ語り口も相まって、6代目円楽さんの評価に繋がっています。
歌丸さんが亡くなった後は、「笑点」を引っ張っていくと思われましたが、皮肉にも歌丸さんのように体調不良に襲われ、肺がんや脳卒中に襲われていました。
しかしあまりに早過ぎる。もう5年・10年は落語会を引っ張って行ってほしかった。そして何より、楽太郎時代の弟子だった伊集院光さんの悲しむ姿が想像できるだけに何とも言い難い。
伊集院さんは落語家として当時は楽太郎と呼ばれていた6代目円楽さんの弟子として就いたものの、タレント活動が忙しくなり、廃業という落としどころで落語会を離れたそうです。ただ、その時師匠だった6代目円楽さんは、伊集院さんの活動を擁護し、その後も目に掛けていたので、伊集院さんは師匠と呼んで尊敬していた経緯があります。落語の二人会も上がった仲なので、ツイッター上で何とも言えない心境を明かしていたのは、わかる気がします。
本当に惜しい。まだまだ高座に上がってほしかった。そんな最期になるなら、1回だけでも「笑点」の司会をやってもらいたかったですね・・・。6代目円楽さんのご冥福をお祈りすると共に、今までの功績に大きな賛辞を呈したいと思います。
・・・こんな人に国民栄誉賞を与えるべきなのよ、政府の皆様。