
これは「希望の船出」という外国へ移民しようとする親子を彫ったブロンズ像。
飛行機が主流になるまで、神戸港は横浜港と共に大勢の移民を送り出した港でもありました。
今の人達には意外に思われるかもしれませんが、かつて日本は大勢の移民を送り出していました。その行き先は多くは中南米(ブラジルやドミニカ共和国。以下ドミニカ)、そしてアメリカ西海岸でした。
特に熾烈だったのはブラジル・ドミニカで、ドミニカでは1950年代後半に大規模な干ばつに見舞われたばかりか、約束された土地とは違う、やせた土地の開墾に従事し苦労されたと言います。後に政変によって開拓地を放棄し帰国事業が開始されましたが、政府を相手取って大規模な訴訟になったのは言わずもがな。
アメリカ西海岸に移民した人達も、第2次世界大戦(太平洋戦争)の過程で差別され、収容所送りになるという苦難の歴史を送っています。
この大規模な移民事業(船によるもの)は1973年まで続けられています。
実は、うちの母方の祖父母が一時期ブラジルへの移民を考えていたことがあったらしく、そのことを簡単ながら聞いたことがあります。結局は思い留まったものの、状況が状況なら、私自身日本ではなくブラジルで生まれていたのかもしれません。

1995年に起こった阪神淡路大震災で崩壊した神戸港の一部を保存し、震災以降の神戸港の復興の模様を映像・物品・写真展示している屋外施設。

何としても生の震災の遺恨を見ておきたかったため、長田の商店街にあった「震災ミュージアム」同様、当事者(経験者)達が語る大変貴重な経験をこの目で見させてもらいました。


写真は東の入口長安門。



写真はジャンボ餃子。ケンドーコバヤシさんがオススメしていたものらしい。
やっぱり焼き立てゆえか美味しいのぉ。中のあんは少々薄味だが、他にたくさん食べたいならこれでも十分だろうなぁ。

ここで頂いた餃子は先程のものとは違い、神戸ではポピュラーなみそだれのかかったもの。みそだれはもう少し濃くてもいいかなと思うのは赤みそ文化ゆえか(苦笑)。
しかし、餃子が中々来なかったので、小龍包が冷めやがった(泣)。まぁ美味しかったけど、ここの店の人達は中国出身者からか少々横柄な・・・おっと誰か来たようだ(汗)。
他にもラーメンとか揚げものとかいろいろ食いたかったけど、時間をそこそこ使っていたのと、お腹いっぱいにしすぎると次に差し障りが出るので、このへんで。
前にも書きましたが、やっぱり暑かったので、あずま屋には大勢の人がすし詰め。涼を求めて冷しパインを食ったが、まだちょっとぬるかった(苦笑)。甘酸っぱくて美味しかったけどね。
この後JR元町駅まで出て、大阪に向かうのでありました。