2010年08月06日

3年経ったら芽を出した 中田翔選手編

今日も「サマーウォーズ」の繋ぎ的な意味で、これまた野球を見る。CSのGAORAでやっていた日ハム×楽天戦。


見始めた頃は楽天のリード。楽天の先発「ラズにゃん」(ネット上での呼称。なぜか「けいおん!」の中野梓からきている)ことラズナー選手。緩急の付いたピッチングで日ハム打線を翻弄。
日ハムはエースのダルビッシュ選手。しかしながら、エースと呼ぶには程遠く、既に4点も取られメッタ打ちの状態でした。

そんな状況下でも、何とか日ハム打線が繋がりだし、稲葉・小谷野両選手のタイムリーで1点差にまで詰め寄ると、ラズナー選手を引きずり降ろします。
そして、6回の楽天の継投の替わり鼻に、日ハム期待の星である中田選手が値千金の同点弾(ソロホームラン)
その後も7回の小谷野選手の犠牲フライ、糸井選手のタイムリー後に、再び中田選手がダメ押しの3ラン。ファイターズの主軸を担える存在でありながら中々結果の出せなかった中田選手が、名前の通り大きくグラウンドを『翔けた』瞬間でした。


中田選手は、2008年高校生対象のドラフト1位で4球団競合の末入団。彼がドラフトでかけられた年は、以前紹介した有由規(よしのり)選手のような期待の若手が多かった年だったものの、彼の高校通産87本というホームラン数は彼の怪物ぶりとその年のドラフトで際立った存在にまで押し上げたのです。

しかし入団後の中田選手は、辛酸をなめさせられ続けたのと彼の『若さ』が大きく災いし続けました
1年目は教育方針と木製バットへの対応の遅れの関係で2軍暮らし。
2年目には2軍で30本以上のホームランを放ったものの、1軍ではさっぱり。しかも毎年何かしらの素行不良行為(1年目は寝坊による遅刻、2年目は詳細は不明だがやはり遅刻)で制裁処分を受けていたこともありました
あまつさえ、守備面では大きな課題があり、三塁→一塁→外野とスタメン獲得の機会を得るためと併せて様々な守備位置にコンバートされていました。ちなみに、中田選手は元々140km/h以上の速球が投げられる投手でした。また挑んだ守備位置も、三塁は小谷野選手・一塁には高橋信二選手といった好選手がいたのも彼が中々スタメンを狙えなかった一つの大きな要因でしょう。

今年も最初の頃はあまりぱっとせず、開幕戦で外野手としてスタメンを獲ったものの、すぐに脱落してしまい、彼自身と日ハムの雰囲気が合わないのではないかと不安視する人もいました。


ただ、個人的に思うに、彼がケガをして以降大きく人柄が変わったのではないかなと思いました
再昇格後はそれを思わせるものになり、大振りになってもそれが悪い結果の大振りではなく、何かしらの明るい要因を持ったものに変わり始めていました『若さ』がいい具合に噛み合ってきたのではないかと思います。その結果がプロ初アーチであり、その後のハイテンポなペースのホームランに繋がっているのだと思います。

何より大きく変わったのは、彼自身が謙虚になったのではないのかと。今までどちらかというとお山の大将的な我の出すぎた選手のように映ることがありました。なかなか1軍に上がれなかったのもそういうふうなところがあったからかもしれません。
しかしながら、ケガ後は、ホームランを放った後でも、「まだ気を引き締めていきたい」といった発言に見られるように、実に謙虚でかつチームのことを思った行動が取れるようになったと思います。
我を出すことは決して悪いことではありません。でも出しすぎれば不協和音の要因にもなりかねません。特に日ハムは繋ぐことを重きに置いたチーム。つまりは個性だけでなくチーム内での結束力が求められるチームだと思っています。森本選手のように、個性が強くても、我をあまり出さず常にチームのためにまい進している姿こそ、それを端的に表わしているかもしれません。


『常に謙虚であれ』というその行為が続く限り、中田選手は大きく翔け続けられると思います。そして今年の日ハムが悪い成績で終わっても、彼の成績と併せて、来年が非常に楽しみに思える要因になってくれると思います。



Posted by alexey_calvanov at 22:55│Comments(0)TrackBack(0) スポーツ 

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