2010年04月13日

映画「カティンの森」から見るポーランドとスモレンスクでの飛行機事故

先日、ポーランドの空軍機がスモレンスク郊外で墜落し、レフ・カチンスキ大統領をはじめ、ポーランドの政府要人の多くを失うという大惨事が起こりました。
このカチンスキ大統領の向かったスモレンスクというのは、ロシア西部、ベラルーシ(古い人なら白ロシアというとわかりやすいか)との国境に近い街で、その郊外に、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線上最も残虐とされるカチンの森事件が起こった場所があります。

この事件を描いた映画が、今もいくつかの都市で公開中(昨年末に東京のミニシアターで公開され、現在も一部で公開中。名古屋では2月にミニシアターで公開)で、5月にDVDが発売予定の「カティンの森」です。


では、このカチンの森事件というのがどういうものなのかを絡めてあらすじを。


1939年、ポーランドにある港湾都市グダニスクがナチスドイツに侵攻されたのがきっかけで、独ソ不可侵条約に基づくポーランド分割、ひいては第2次世界大戦が勃発
クラクフに住んでいた史上最年少でポーランド軍大尉に就任したアンジェイの妻アンナと娘ルカは追われるように東に逃げていた。そしてとある橋で同じくソ連軍に追われた人々と鉢合わせになり、偶然アンジェイの上司になる大将の妻に出会い、クラクフに戻るよう諭されるが、夫に会うために頑として戻ろうとしなかった

2人はアンジェイと友人のイェジに出会うものの、それが夫妻にとって今生の別れになろうとは知る由もない。それを知ってか知らずか、アンジェイはこの日以降、つぶさに手帳へ日記を書き記すことになる
アンジェイとイェジはソ連軍によってソ連に連行されるものの、ある時、アンジェイと一部の軍人は、別の場所に移送されることになったイェジは風邪をひいていたアンジェイに着ていた服を貸すものの、これがその後に大きく関わるのも知る由はない。

アンナとルカは、その後ソ連軍に通じていた人物の手助けもあって、クラクフに戻れたものの、夫はいまだ戻って来ない。

ソ連軍に連行された軍人を夫に持つ婦女子や親達が彼らの帰りを待っていた時に一報が届く。何とカチンの森でポーランド将校など多数の軍人が銃殺され埋められていたのだ。
その中にあるリストを見て涙する人々。しかしアンナの夫は名がなく、代わりに友人のイェジの名が記載され安どと哀しみの複雑な境地に陥る。一方、アンナの上司にあたる大将夫人は夫の死をナチスから知らされる。

そして1945年、ナチスドイツからクラクフが解放される。それと同時にポーランドはソ連の衛星国としての一歩を歩むことになる

奇跡的にソ連から帰ってきたイェジはポーランドの秘密警察の署員になっていた。彼はアンナにアンジェイは死んでいるのではないかと告げる。皆目信じられないアンナ。しかしイェジはアンジェイの遺品があることを突き止め、秘密警察に押収される直前、アンジェイに渡すように学芸員に託す
大将夫人にも彼は直接会うものの、彼女は『ソ連の犬』になった彼の話に耳を傾けようとしない

そして、カチンの森はソ連のプロパガンダによって、ナチスドイツが行った残虐行為とされ、『公然の事実』となっていった。そうなった後も、若者達がその事実を否定し続けたものの、その末路は言うまでもなく悲劇的なものとなる
そんな中、イェジに頼まれた学芸員が、アンナにアンジェイの遺品を渡しに来る。渡された遺品の中には、あの手帳が入っていた。そして、手帳から事実が浮かび上がってくる。

カチンの森で起こった出来事、それはソ連軍がポーランドの将校など軍幹部や知識人をスモレンスクにかき集め、その郊外にある森で彼らを次々と虐殺していったということのだ。軍の幹部の中でも位の高い者は暗い部屋の中で殺され、アンジェイなど『一般の人物』は掘られた土の前に立ち前のめりに倒れるように撃ち殺されていったのだ・・・。


以上、ネタバレ的な書き方になっていますが、カチンの森事件を伝えるためにはどうしても書かなければならない『事実』であり、その後旧ソ連が行った出来事や虐殺の風景は、実際見てもらった方がよりわかりやすいかと。それだけいかに凄惨(せいさん)な行為だったかがわかります。
そのあたりは物語後半、戦後のパートからになってですが、もう本当に凄惨血がドバドバ出るので、そういうシーンの耐性がない人は、あまり見ない(目を伏せた)方がいいかもしれません
あとはかなりザッピングの要素が強い作品で、人物の転換が激しいので、追いかけるのが難しい部分もありますけれども、上手く人物整理ができればドキュメンタリー映画としてもよくできているなぁと思えたのですけどねぇ・・・残念です。そのため、かなり予備知識を要したほうがいいかと


その後ポーランドは、途中民主化運動(ポズナン暴動)が起こったもののソ連の衛星国として歩み続けたわけです。

カチンの森事件の真実が公になるのは、1981年のグダニスクで起こった独立自主管理労働組合「連帯」の合法化から端を発した1989年のポーランド民主化運動で起こった民主政権が誕生するまで待つことになります。そしてその「連帯」で『ひげのワレサ』ことワレサ元大統領と共に民主化運動を率いていたのが、レフ・カチンスキ大統領だったわけです。
カチンスキ大統領は、双子の兄弟でありながら共に政治家という極めて珍しい関係、そして双子で大統領と首相に就任したことでも世界でも話題になりました
また保守派の論客として、また『モノいう政治家』としてEU内でも存在感を示していました。これは大国に翻弄されたからという理由もあるからでしょう。

ちなみに、なぜカチンの森事件が起こったのかは様々言われていますが、ポーランド自身がロシアに対して抵抗的であったことそれに手を焼いたスターリンが、ポーランドのブレーンになる人物を捕らえて殺してしまえば、その後の国家建設の際、ソ連に有利に働くのではないかと考えていたからとされています。


1つの事件を巡る人間ドラマ、そして凄惨な事実。この戦争で起こったことがいかにむごく残酷化で、その後の彼らの人生に影を落としていったかがわかります。
難しい映画ではありますが、ぜひとも見て欲しい作品の一つです。



Posted by alexey_calvanov at 22:16│Comments(0)TrackBack(0) 真面目なモノ 

この記事へのトラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字