この「100メガショック」というキャッチフレーズを聞いて懐かしいと思ったらもうおっさんの領域に片足突っ込んだようなものです(笑)。ちなみに本当の意味(発売当初)でのキャッチコピーは「凄いゲームを連れて帰ろう」。
というのも、そのキャッチフレーズを生み出したハード、NEOGEO(ネオジオ)が今年で20年になったそうな。
正確には今年の4月で20年だそうですが、今SNKプレイモアでは、その20年の歴史を振り返るメモリアルサイトが立ち上がっているのだそうな。
「ネオジオってなぁに?」って人の方が恐らく多いと思うので、簡単に話すと、高額だった(もちろん今でも高額なのだが)アーケードのゲーム機を安値にしてコンシューマーに提供したゲーム機・・・というとわかりやすいのでしょうか?
当時としては珍しく、メモリーカードを利用できる点が大きなポイント。とはいっても主にスコア登録ができるレベルの簡単なものですが、当時はこういう記録媒体が小型化しただけで狂喜したそうです。そもそも家庭用ゲーム機でアーケードのものと寸分たがわぬもの(に限りなく近いもの)ができるのはファミコン時代から追いかけられていたことだっただけに、この理想と現実が大きく近付けたという点では、とても大きな貢献を果たしたと言っても過言ではないでしょう。
そして何よりも語り草になっているのは稼働年数。
アーケードのネオジオもコンシューマーのネオジオも14年とそれまでの稼働記録(注:発売ソフトが最後に出た年までを稼働年数として計算)だった国民的ゲーム機のファミコン(1983~1994)の11年を大きく抜き去る記録を打ち出しました(この記録は据え置き機では最長。携帯ゲーム機を含めればゲームボーイと同年)。後にファミコン以降での国民的ゲーム機と言われたスーパーファミコン・プレイステーションでさえも10年ということから考えれば、いかにネオジオが長く愛されたかがわかります。
しかも、ネオジオが生産終了に追い込まれたのは、プロテクト対策が施せなかったためということだけで、その対策さえ施せたのならば、今でも現役ハードとして登場している可能性もあったわけです。
もっと言うと、後に大容量をうたい文句にしたネオジオCDも登場していますが、そのネオジオCDをも打ち破って作った記録なのですから、もう何を言えばいいのやら・・・。
発売していたSNKの倒産、アーケードブームの下火をも乗り越えてその存在感を放ち続けていたネオジオ。その輝きは今もなお、かつての名機とともに神々しさをもって放っていると私は思います。