広島旅行記 その3 原爆ドーム編
旧市民球場を後にして、平和記念公園に向かう途中、
広島の象徴の一つでもある原爆ドームに立ち寄りました。

この写真は旧市民球場に向かう際に先撮りしたもの。
原爆ドームができた過程は、よく知られていることなので詳細は割愛しますが、
1945年8月6日、アメリカ軍のB29が落とした原子爆弾から発した衝撃波(爆風)によって生じたものです。

別の角度から撮ったもの。この写真も旧市民球場に向かう際に先撮りしたもの。
思った以上に小さく、はかなげなものである。

相生橋そば(市電・原爆ドーム電停前)から撮ったもの。
原爆ドームは3度の補修工事を経ています。
もう一つの特徴としては、
世界遺産に認定されていること。そのため
非常に警備が厳重で、
柵を越えた時点で警報装置が作動します!そのため、
絶対にふざけて柵を越えないようにして下さい!貴重な世界遺産に泥を塗ることになりかねません。
被爆後の状態をほぼそのままに残しているため、
無残に残るがれきの姿が生々しくかつリアルでもある。
原爆ドームそばを流れる元安川をクルージングする観光遊覧船。
今でこそのどかな風景だが、
1945年8月6日以降しばらくは、水を求める被爆者や水を求め飛び込み、そのまま無念のうちに死んでいった人達の遺体が浮かぶ、もしくはうず高く積まれている地獄絵図だったことは言うまでもない。
ここからは原爆ドームのそばにあるモニュメントなどを紹介していこうかと。

原爆ドームから少し離れたところにある
動員生徒慰霊塔。
日本そして当時日本の植民地だった朝鮮および満州国と呼ばれた現在の中国東北部の都市から派遣され、被爆した生徒を追悼するもの。
原爆ドームから約100m、本来の投下目標だった相生橋より数百メートルほど離れたところにある
爆心地を示す碑文。
島病院(現在の島外科・内科)の真上に落ち、その病院の約600m上空で炸裂したとされています。

元安桟橋よりさらに南に数百メートル行ったところにある
原爆犠牲ヒロシマの碑。
原爆ドームで
日本が起こした戦争の結末のいたたまれなさを痛感した後、いよいよ
今回最も見に行くべき施設のある平和記念公園に足を踏み入れるのでした。
その模様は、次回に続く。
Posted by alexey_calvanov at 21:32│
Comments(2)│
TrackBack(0)│
│
とっくしゅ~で~す |
真面目なモノ
この記事へのトラックバックURL
カイズムさん>どうしても広島というとこの平和記念公園になってしまうわけで。
実は学生時代に修学旅行で行ったことがなかったので、よけいに行っておきたいというのもあってこういうふうになっているわけです。
今回は丁度宮島とセットで行けるようなコース取りをして行ってきましたが、意外とじっくり見に行くと時間がかかるのと高速船移動で片道1900円かかるんですけど、有意義に時間を使えるのはお勧めしたいところです。ただし車はどこかに置くことになりますが。
原爆ドームや平和資料館は是非とも行っておくべきですね。
ちなみに、マツダは広島市に囲まれた府中町ですね。広島駅からもかなり近いみたいです。
別の記事にも書いていますが、歴史を知るなら簡易的ですけど、マツダスタジアムのほうがいいかもしれないですね。
中身の濃い広島旅行すね(゜∇゜)
原爆ドームはちょっと大袈裟ですけど日本人であるいじょうは死ぬ前に絶対行きたい場所だとおもってます
あとはマツダ本社(^w^)
自分の車で行って拝んできたいす(笑)