2009年06月24日

イランの人達、今の体制いらん?

今激しい抗議運動の起こっているイラン。


かつてはペルシアと呼ばれ、古代からさまざまな王朝が栄えてきました
古くはアレクサンドロス(アレクサンダー)大王が支配したかの地には古代ギリシアの末えい達との混血による王国が、イスラム教が勃興した時代には、イスラム帝国の一部になり、後にイスラム教主体のペルシア帝国へと繋がっていきます

しかし19世紀にはロシアの不凍港を求めた南下政策の脅威に怯え、そしてそれを阻止線とするイギリスとの政争の道具にされ、一時は緩衝国(保護国)的な立場に陥っていました。
1925年、最後の王朝となるパフレビ王朝が興り、白色革命という親欧米路線へ舵を切り、国号も現在のイランに変更されたわけですが、20世紀より産出され始めた石油を欧米の石油業者(いわゆるメジャー。例えばモービルやシェルなどの会社がそう)に搾取させることを条件とするものだったそうです。
その不満は資源ナショナリズムに端を発した民衆革命に繋がり、1979年にパフレビ王朝の打倒によるイラン革命で共和制が成立したのですが、主権在民ではなくイスラム法(シャリア)に則った共和制(イスラム共和制)として成立しました。側面的には石油産業の国有化を行っているので、イスラム教に則った社会主義(イスラム社会主義)的な面があるとも言えるでしょう。悪く言えば、アフガニスタンで興ったタリバン政権を(タリバン政権が成立した)約15年先に興したと言えるでしょう(政教一致色は強くないとされているが、イスラム法が国の中に溶け込んでいる点では似ていると思う)。

イスラム共和制成立後のイランはというと、序盤は戦争の歴史イラクと10年近く戦争をしていたのはご存じのとおりでしょう。今日問題になっている核兵器を持ちだそうとする理論はこの頃生まれたとされます。イスラエルの脅威だけではなかったのです。
戦後は地道に復興を目指しながらも、イラン革命後のアメリカの関係が冷却ししていたため(イラン国王を『かくまった』ことで民衆蜂起が暴走、アメリカ大使館を襲撃した「イラン・アメリカ大使館事件」が断交のきっかけとされる)、また核開発疑惑のために起こった経済制裁で思うような復興もできず、あまつさえソ連の崩壊も相まって、経済はどん底だったとされます。そのため一時期改革派によるアメリカとの国交回復を期待されたものの、イスラム体制が仇となり、保守強硬派が勃興。そして今回問題となるアフマディメジャド大統領による政権が誕生したのでした。


歴史の紹介で非常に長くなったのですが、これだけイランという国は複雑な事情があったのだと言えるのです。


で、そのアフマディメジャド大統領は貧民層や寒村地帯に手厚い政策を行い、彼らの層を底上げしていく過程で経済成長を促そうとしていたとされます。逆に金持ち層(特に汚職を起こした人物には手厳しい)や反体制派には徹底的な弾圧を行い、時には彼の持つ民兵組織を動員したほどとされます(元々彼自身が親衛隊の隊長という側面がある)。
急進的なイスラム社会主義政策を行っているともされているため、インフレが激しく噴き出したばかりか、改革派政権中に興った中流層や自由を謳歌した世代にはイスラム法での締め付けが大いに不満を持っているとされていました。またアメリカとの関係が進展するどころか大きく退行することになったことも重なって、大いなる不満が渦巻いていたとされます。

そこに改革派の候補が国を変えようと積極的に選挙活動を行い、一時は現職を逆転せんとしていたのですが、結局は現職の圧倒的な勝利に終わりました。


結局のところ、待遇格差と急速な締め付け、そして一向に良くならない国の状況が、『(実際あったかは不明ですが)不正があった』という大義名分で爆発したというのが真相だと思っています。
それを抑えようと民兵組織を刈り出して弾圧し、それが逆に不正疑惑の正当性に拍車をかけているとも思えます。


イラン政府や政府よりも上にあるとされる聖職者達は、再選挙を公正な監視下で行うことを認めるしかもはや道はないかと思います。これだけ疑いの目を向けられ、大勢の影響がなかったとはいえ大きな不正があった事実は間違いない(注:一部の不正を政府は認めている)ので、全国民を納得させるには、そうしかないと思います。
そしてイランは情報統制を一刻も早く解き、シーア派・スンニ派関係なく、イスラム勢力の英知を発揮してこの情勢を監視し解決へ向かわせるべきだとも思います。


ちなみに、国内のデモと国外のデモではその色合いが大きく違うことを憂慮しなければなりません。
基本的に国内のデモは、あくまで不正の是正ひいてはアフマディネジャド大統領の辞任を求めるデモであって、イスラム共和制の打倒を叫んでいるわけでないとされています。
ただ、国外で起こっているデモは、いわゆる亡命イラン人のデモで、イスラム共和制に反感を持っているデモ、イスラム共和制打倒のデモであることを理解しないといけないわけです。
それだけ温度差があるので、国内外のデモが連携するということはまずあり得ないということを理解したほうがいいかもしれません。



Posted by alexey_calvanov at 21:43│Comments(4)TrackBack(0) 真面目なモノ 

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この記事へのコメント
日本在住のさん>それを言っては・・・(汗)。
国の中に溶け込もうと一生懸命頑張っている人には罪はないんですから。

むしろ犯罪に手を染めている人達のほうが悪いわけであって、そういう人達がイラン人であろうとなかろうといらんわけですよ。
Posted by アレックス at 2009年06月25日 01:29
隼人さん>モサデク政権はパフレビ王朝の時の政権ですね。この政権が倒れたことで特にアメリカとの関係を強化するに至った経緯があるふうだったかと。

少なくとも(イラン国民が政府の操作なく真に)イスラム共和制を認めている限りにおいては、アメリカとの関係は大きく進展しないのかもしれませんね。それこそ過去の経緯が経緯なだけに国家賠償請求をしかねないなとも。

CIAの報告に関しては初耳ですが、仰るとおり民生利用に重きを置いてやっているものと思います。
やましいことがなければ公開してもおかしいとは思わないですし、逆に包み隠さず公開することでプラスに働くのではないかとも思います。
ただ個人的な意見ですが、あまり核(放射性物質)を(日本も含め)積極的に扱うのは好ましいことではないんですけどね。特に安全性の面で。
Posted by アレックス at 2009年06月25日 01:27
いらん人が一番イランね・・・・
Posted by 日本在住の at 2009年06月25日 00:54
今晩はオバマも認めたけど、民主的に誕生したモサデク政権をCIAが転覆させた怨みがイランにはあるんでしょうね。それにCIA報告だとイランは軍事用核開発は放棄したらしいですね。
Posted by 隼人 at 2009年06月25日 00:16

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