2009年05月19日

徹底的に弾圧しても、得るものは憎しみだけだ

スリランカの四半世紀(長い目で見れば独立後の半世紀)に渡る内戦が終結するとのことです。
最後は相手側の徹底的弾圧とも取れる猛攻で終わったらしいです。


ところで、今回の内戦の背景というのは、大多数の仏教徒であるシンハリ人(元々スリランカに住んでいた人達)とスリランカ北東部に住むヒンズー教徒のタミル人(インド系民族で、インドのタミル州近郊から移り住んだ人達)との長年の争いで、民族紛争・宗教紛争の体もあったものでした。

タミル人は独立志向が強く、将来的にはインドに住むタミル人との統合も視野に入れていたといいます。
そうなったのも、植民地時代にこの少数派のタミル人に優遇策が敷かれていたために、独立後シンハリ人の人達がタミル人に対して差別的な政策を執ったのがきっかけとされています。

その民族対立の過程で生まれたのが「タミル・イーラム解放のトラ」だったわけです。
彼らの勢力が増長した1983年にに内戦が勃発。独立を一貫して求める彼らの主張が内戦を激化させたものの、2002年には大幅な自治権を与えるという政府の譲歩策を受け入れたことで停戦がなされていた時期があったのです。
しかし2006年突然反故になり、再び激しい内線になり今に至ったのです。



この弾圧された組織、「タミル・イーラム解放のトラ」というテロ組織にももちろん問題があるわけです。
主なところでは、少年兵を使い自爆テロを強要させたこと。地域住民を脅して強要したこと(終盤に見られた「人間の盾」行動がその最たる例)。そして今回殺害された議長が独裁政治を敷き、反対派の知識人を粛清しタミル人のまとまりを欠かせたこと、また地下組織化させたこと・・・など挙げればきりがないでしょう。


しかし、双方7万人の死傷者を出したとされるこの紛争政府軍の徹底的なタミル人への迫害も由々しきことなのではないのでしょうか。互いの憎しみが憎しみで叩きのめす旧式の内戦だったと思います。そして国際世論の意向を無視して、敵の議長を殺害したばかりでなく、いまだ残存勢力を叩きのめさんとするその姿勢に、こう言いたい。「徹底的に弾圧しても、残るのは憎しみだけだ」と。


今後、和平プロセスが政府主導で進められるものと思われますが、勝者の論理で一方的な抑え付けの和平案にならないか心配です。
彼らは戦いたくて戦ったのではないのです。自由と平和と人間らしさを求めて戦っていたのだということを忘れてはいけません。やり方が悪かっただけなのです。


実は、日本の戦後賠償がなくなるきっかけを与えたのは、他ならぬこのスリランカ
後に大統領になったジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナさんの言葉にそのヒントが隠されていると思います。その言葉とは、「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」
ただ皮肉にも、彼の大統領在任中にその内戦が起こっているばかりか、タミル人への差別政策を止められなかったことは、この言葉の無力さを感じずにはいられません



Posted by alexey_calvanov at 23:44│Comments(0)TrackBack(0) 真面目なモノ 

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