生まれたところか長く住んでいたところかは人によりけりだが、そこへ来ると安心できる場所、懐かしい思いに浸れる場所こそ我が故郷なのだ。
かく言う私にも故郷はある。しかし私の場合は生まれた場所よりも、子供の頃長く住んだ場所が私にとっての故郷なのだろう。
時折、ほぼ月に一度、馴染みの理髪店に行く時に少し見に行くことがある。

しかし、私はその故郷に足を踏み入れられない。車や人の通れる道路のそこかしこに「関係者以外の入場を禁ずる」旨の看板がそこかしこに金網にくくりつけてあるのだ。
かつて私が遊んだ小さな公園も、駆け回った広場も、入学式に親と一緒にとった駐車場そばの桜の木にも、もう手が届きそうなところにあるのに、近付くことができない。もう私は関係者(住民)ではないからだ。下手に入れば、私は怪しい人扱いになるだろう。
昔はこうではなかったはず。団地の人達もそうでない近所の人達も普通に遊んでいたはず。少なくとも私が離れることになった20歳の時には、そんな看板はなかった。昨今の事情が、故郷をまるで刑務所のような『閉鎖都市』にしてしまったのだろう。


その雰囲気は重厚的ながらも非常に明るく広く開放的で、かつての面影は全くない。しかし、その開放的な雰囲気こそ私のいた故郷とは全く対照的で際立ててしまっているのだ。

ふと何気に子供の頃によくパンを買ったりサンドイッチを買ったりしていた店に寄っていった。近くの別の古い団地(市営住宅)の中にあるその店。子供の頃からの馴染みの店の一つだった。店の広さは1・2坪あるかどうかだ。それでも子供の頃には大きく感じたあの店。
もう何年立ち寄っていないだろう。通りかかってはいるものの、どこか入れずにいたあの店。でも、変わりゆく街を見て、なぜか素直に足がそこに向かった。
何気なく思い出のサンドイッチに手を伸ばし、会計を済まそうとする。そうすると、店番のおばさんがふと一言漏らした。どうやら私のことを覚えていたようだ。
そのことに動揺・狼狽しながらも、そのことを悟られぬよう変わりゆく街のことやあの頃のことを堰(せき)を切ったように話す。
しばらく話し、またいつか来ることを言い店を後にするとすぐ、止めどなく涙があふれてきた。ただ覚えていたことだけ、子供の頃の面影があるというだけのこと、それだけなのに、止まらないのだ。
ことさらに思うことがある。
人から見れば、単なるコンクリートジャングル、無機質の固まりでしかない都市の町でも、人によっては故郷なのだ。
そして、町は移ろいゆくものだ。
町はいずれ大きく変わることもある。しかし、人の想いまでは決して移ろいゆかないでほしいものだ。
そして、故郷に戻れるのは幸せなことなのであると。中には戻りたくても戻れない人がいるのだから・・・。
ちなみに、私が住んでいた団地も含めた8棟ある団地いずれ取り壊され、跡地は全て公園になるのだそうだ。近くの大きな公園ではまかないきれなくなる可能性があるかららしく、地震等何か起こった際の避難場所として使われるそうだ。
もうしばらくすると、私の故郷は心の中でしか思い出せなくなるのだ・・・。