2009年01月26日

要は信頼性の問題 おまけ

かの人は、相変わらずなどころか、事情をよく飲み込めていない人物を焚き付けて更なる煽りを加えているようです。
嘘偽りだらけの主張であるとはいえ、周りに伝播し理解していただける人物がいたことだけ、かの人には前進なんでしょうけどね。まぁ、同じ穴の狢(むじな)が擦り寄ってきただけかもしれないですが。


さて、そんなかの人に対して以前投げかけたコメントを再度今回投げようと思います。全くわかってないので。
今度は、かの人にもわかるように『翻訳』して差し上げましょう


以下は、かの人が指定拒否をすり抜けて書き残してきたコメントに対してのレスポンス(2008年5月20日分)を抜粋し、そしてカッコ内に詳細追記したものです。


君のやってることは社会主義国家に当たり前のようにあった秘密警察と一緒。
下手に(かの人のブログ内で)会員名で語らうものなら、そこで(コメントを残した対象者を)絨毯爆撃して駆逐するんでしょうね。だからあそこ(注:au one GREEのこと)では隠匿してやってるんじゃないの?それに君のように秘密主義で動いていないから。ただ匿名性(注:ニックネーム等のこと)なのを除けば、オープンだから。


史書を紐解け(注:かの人が『史書を紐解くことを希望する』と言ったことより)とあったので、こういう史書をば。
君のような人が集まった社会主義国家はほとんど滅んでいる。一部の社会主義国家は何とか生き永らえているけど、たいていが共産主義を修正せざるを得なかった。
だが、君はどこかの社会主義国(もしくはメディア統制をしている某国)のように秘密・弾圧(注:言い換えるならば、記事の隠匿・不都合なコメントの削除・自分勝手な閉鎖および開設の行動など)を繰り返しているね。


そのことを思いながら、1989年に起こった東欧革命で消えていった社会主義国のことを思い浮かべてほしい。
政権を握っていた彼らに対して、何と言われたのか。
今でも是か非かわからない部分もあるが、少なくとも、これから取り上げる言葉が何を意味するのか考えて下さい。


以下、http://svjyk65.hp.infoseek.co.jp/page001.htmlより後半部分(壁崩壊の年1989年)を抜粋。


※ここから先は、本文掲載の後、下部に真意を載せたいと思います。
なお、真意を伝えやすいように数字を振っておきます。



①1989年1月、ホーネッカーは次のような演説をした。
「ベルリンの壁は、それを必要とした理由がある限り、今後100年は残り続ける」

②1989年10月7日、東ドイツ建国40周年記念日。
「東ドイツの同志の皆さんが、理解するべきことがある。
世界が変化していることを、認識せねばなりません」
(同式典における、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長<当時>の演説)

③1989年8月31日
「われわれの決意が、揺らぐようなことはない。
あなた方が考えることは、たった一つ。何千もの国民が国を棄てる決意をするような、そんな国を造ったあなたがた自身の罪の重さだ」
(ハンガリー外相ホルンが東ドイツ人の西側出国決定を東ドイツ外相に伝えた際、抗議する東ドイツ外相)


①ある時、かの人は次のような記事を挙げてきた。
「ぼくちんのブログは、(ネカマ行為・著作権侵害・画像盗用をうるさく言われないという)理由がある限り、ず~と(閉鎖開設を繰り返しながら)続けていくんだお」


②そしてある時(かの人の誕生日が妥当だろうか)。
「かの人と同志の皆さんが、理解すべきことがある。
au one ブログとそのユーザーの考えが変化している(かの人の行為は悪であるというのが広がっている)ことを、認識せねばなりません」

(名も無きいちユーザーが発したコメント)


③そしてまたさる時
「われわれの決意が揺らぐことはない。
あなた方が考えることはただ一つ。何千もの会員およびそれについていったユーザーがこのブログを離れる決意をするような、そんな悪質な幾数多の行為を是正しないというブログの意識を晒してしまったあなたがた自身の罪の重さだ」

(かつてau oneブログのユーザーが、相次ぐ会員の『脱出』に対して、問題行動を起こした人物によって引き起こされたことを表すための例示として使ったため、抗議するかの人に告げた言葉)






Posted by alexey_calvanov at 22:00│Comments(0)TrackBack(0) 真面目なモノ 

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