2008年08月26日

かつて『鉄の女』と言われた人もこうなってしまうとは・・・

つい先日、イギリスのマーガレット・サッチャー元首相が認知症にかかっているということを近日同国で発売する彼女の娘が著した回顧録の中で明らかにしたそうです。

それによると、ボスニア紛争に関して触れた時に、サッチャー元首相はその扮装を自らが指揮して勝利に導いたフォークランド紛争(注:1982年に起こったイギリスとアルゼンチンとの間の領土紛争)と混同して(もしくは間違えて)いるそぶりを見せていたり、2003年に亡くなった自らの夫に関しても、彼が亡くなったことを理解していないようだと彼女の娘が発言
さらには自らの功績に関しても記憶が曖昧になっているという話もあり、事態は深刻なようです。


サッチャー元首相は1975年にイギリスの二大政党の一つ保守党の党首に就任1979年にはイギリス首相に就任し、当時国内に蔓延(まんえん)していたいわゆる英国病(行き過ぎた国有化政策による産業保護政策によって生じた国際競争力の低下およびオイルショック発生に伴うスタグフレーションがもたらした構造的不況を示したもの)をいわゆる今日の民営化や構造改革・大規模減税で乗り切り、同国経済を盛り返させた実績で名を上げました。

外交面では、1982年のフォークランド紛争で強硬なナショナリズムと保守主義を打ち出し、保守党党首就任当初のソ連に対しても時に物怖じしない態度を取ったという逸話もあります。


後にラジカルすぎた彼女の政策は、次々首相になるブレア元首相の『第三の道』(行き過ぎた民営化政策の抑制と公営企業の復活および崩壊寸前だった社会福祉事業・失業率改善のてこ入れなどを打ち出した政策の総称)で修正されることになるものの、1980年代から始まる強いイギリスの原動力になった彼女はその功績が称えられ、貴族院議員に任命されたり、銅像が建立されたほどです。


もし彼女がなたを振るっていなければ、今日のイギリスやヨーロッパはなかったのかもしれません
そしてその政策に行き過ぎた部分はあったとはいえ、次回のロンドンオリンピックを開催できるほどの活気と誇りを呼び起こしたかつての『鉄の女』が、このような形でいずれ人生の幕引きをしなければならないということに関して、一つの時代が本当に終わろうとしているんだなと感じさせられたのと共に、『鉄の女』と呼ばれた人も確かに人間なんだなと感じさせる一幕でもありました。
さらに言えば、西側陣営の盟友の一人だったレーガン元アメリカ大統領も認知症の一つアルツハイマー病になっていたことを考えると、歴史の何と皮肉なことかと思わずにはいられません。


最後に、マーガレット・サッチャー元イギリス首相の1日でも長くご健勝の程を遠い日本からお祈り申し上げます



Posted by alexey_calvanov at 23:00│Comments(0)TrackBack(0) 真面目なモノ 

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