それを語る前に、そうなったきっかけを話さなければならないかと。

その後ダガーナイフを持って、はねた人間や彼らの救助者、その付近に居合わせた人々を次々に殺傷するという凶行を起こす。
その後犯人は逃走するものの、数十分後、駆けつけた警官らに逮捕される。
写真は、その事件現場近くに掲示されていた事件の目撃者を探している旨の告知看板。
丁度目の前の道が、例の2tトラックが通り止った辺りの近くになる(トラックが止まったところは、すぐ隣のUDXビル付近)。

丁度そこを訪れた時、一人の男性が現場にじっと動かないで祈りをささげていたのが印象的でした。
この彼は、もしかすると事件の被害者の関係者なのかもしれないと思うのにはそう時間はかかりませんでした。
2ヶ月以上経っていたその日でさえも、彼にとってあの事件現場は『あの時のまま』なんだと感じました。私達が深く理解するにはあまりにも高く険しいものがあるかのように・・・。
犯人の経緯や、この事件が起こった社会的要因、そしてその影響に関しては、色々思うところもありますし、正直ここで語るには荷が重過ぎるくらいに深く暗いものがあるので、詳細は語りませんが、ここにたたずんで思ったのは、何でもないごく普通の街角で、あんな凶行が起こったとはにわかに信じられないということでしょうか。
そんな日常の中に、この非日常的なことであるこの事件が埋もれていくのは、様々な事象で忘れたい人がいたとしても、やるせなさを感じるのはおかしなことなのでしょうか?
現場近くには、いつかは不明ですが、慰霊碑が建てられるかもしれないという動きがあるそうです。
個人的な意見を述べれば、この動きは非常に賛成できることで、私自身何かしら微力ながらも協力したいとさえ思うほど、この事件の衝撃は計り知れないものがあります。
今の日本の様々な要因が黒いカオスになって吹き溜まりのように現れたこの事件を、これから起こりうるだろう社会のツケの中で埋もれさせないためにも。そして何でもない日常の中にまたこの深い闇を溶け込ませないためにも・・・。
つづく