今回紹介するのは書籍「新モダンタイムス 電脳社会の落とし穴」です。
この書籍は中日新聞社会部が編集し、同新聞社が発売したもので、今から11年前の1996年1月から7月まで朝刊(北陸中日新聞のみ夕刊)の特集記事で掲載されていたものを一部加筆修正して出版したものです。
内容は4部構成で、第1部は日本のパソコン社会を取り上げたもの、第2部は外国(欧米とアジア)の現状を、第3部は携帯電話・インターネットなど高度情報化社会がもたらした弊害を深く掘り下げ、第4部ではハイテク製品の良し悪しを見ているという構成。
先程も話したように、この書籍はもう11年前のもので古臭ささえ感じるかもしれないが、今読んでもネット社会の本質と問題点を見事にえぐり出していると思う。決して十年一昔では切り捨てられない要素が非常に多いのだ。
例えば、第1部冒頭の仮想の街では、ニフティサーブ内にあったハビタット(富士通ハビタット。元はアメリカのルーカスフィルムが作ったもの)を紹介しているが、今でもセカンドライフに置き換えれば十分通用する。
また今では社会問題化しつつあるネット(当時はパソコン)依存症の話や言葉の暴力・ネットを利用した詐欺事件等も出てきている。
ちなみに、アクアゾーンやプリンセスメーカー・ときめきメモリアルなどの育成(恋愛)シミュレーションゲームの弊害も取り上げている。
私自身、この連載を読んで深く思ったことがあった。
当時まだパソコンといえばまだまだ高価で、インターネットなんてまだ夢の道具でしかなかった(ちなみに、その夢の道具であるインターネットに触れたのは大学に入ってからである)。だからこそこの作品で出てくる事例は極端でこそあれ、とても怖かったことを記憶している。
今でもこの書籍を読んで思うのが「感情論で動いてはならない」ことである。
言葉でしか描かれないパソコン(ネット)の世界ではただ一言書くだけでも大きく苦労させられる。言葉の一つ一つのニュアンスが読み間違えれば、大きくフレーム(炎上)しかねないのだ。要はボタンの掛け違いが取り返しのつかない出来事にまでなってくるのだ。
それによく似た出来事もその書籍では紹介されている。ニフティサーブ内で94年末展開されたいじめ論争のの一幕で、初めは私立高校教師が教師の会員を引っ張り出そうとしたところ、とある一文がきっかけで反感を買う結果に終わる。
そこで、教師ではなく、ただのおっさんとしたところ、女性会員に噛みつかれ、そのおっさんは卑猥な言葉まで用いて反論してしまう。
また別のとある言葉に対して切れてしまった彼は感情をあらわにやり返し、しまいにはいじめに対しての本質的な問題に触れるどころか、互いの文面の揚げ足取りに終始してしまったという。
まるでどこかの深夜の討論番組みたくなってしまってるが、これを読んでいたので、実際ネットを始めた時でも、ネットの掲示板等で書き込みを行うようになってからも、一息置いて見つめ直せるようになったのかもしれないと思っている。
文面一つ一つでも吟味し、文章を「描いて」いかないといけないのだと思ったほどだ。
今でもこの書籍はインターネットを始める者、始めた者への参考書籍になるのかもしれない。恐らく既に絶版になってるのかもしれないので、近くの図書館で置いてあることを切に願いたい。
またはアマゾンで古書の中に入ってないかなぁと・・・。
さて、今回この書籍を取り上げたのには大きな訳がある。
いまだに相手を偽り己までも偽る「あの人」にぜひとも読んでもらいたいのである。
正直この話は幕引きしたいのだが、いまだに「あの人」はサイト内で自分を偽っているという。
今はそのサイトをたたみ小康状態になっているが、またいずれ自らを偽るのではないのかと思う。そんな状況が続く以上幕引きはできないし、これからも苦言を呈し続けなければならないと思う。私も被害者だし、同じ被害者を出さないためにも。
さらに相変わらず盗用もしているそうで。その盗用で偽りの君を演じ、カモを誘い出すなんて、どこの食虫植物やラフレシアなんだ・・・。
今回、そんな「あの人」に、以下の文章を引用、紹介したい。そして偽り続ける「あの人」に反旗を翻してくれたとある方に敬意を表したい意味をこめてだ。
もう一つ「あの人」に贈りたいのは「私のページ」という文章だが、機会があれば紹介したい。
最後に、ほぼ丸写しの引用になることをお許し願いたい。そうでもしなければ「あの人」には伝わらない。ミイラ取りがミイラになってでも伝えなければならないくらい事態はひっ迫しているのかもしれないからだ・・・。