2007年10月28日

新モダンタイムス 電脳社会の落とし穴

今回紹介するのは書籍「新モダンタイムス 電脳社会の落とし穴」です。
この書籍は中日新聞社会部が編集し、同新聞社が発売したもので、今から11年前の1996年1月から7月まで朝刊(北陸中日新聞のみ夕刊)の特集記事で掲載されていたものを一部加筆修正して出版したものです。

内容は4部構成で、第1部は日本のパソコン社会を取り上げたもの、第2部は外国(欧米とアジア)の現状を、第3部は携帯電話・インターネットなど高度情報化社会がもたらした弊害を深く掘り下げ、第4部ではハイテク製品の良し悪しを見ているという構成。


先程も話したように、この書籍はもう11年前のもので古臭ささえ感じるかもしれないが、今読んでもネット社会の本質と問題点を見事にえぐり出していると思う。決して十年一昔では切り捨てられない要素が非常に多いのだ。

例えば、第1部冒頭の仮想の街では、ニフティサーブ内にあったハビタット(富士通ハビタット。元はアメリカのルーカスフィルムが作ったもの)を紹介しているが、今でもセカンドライフに置き換えれば十分通用する
また今では社会問題化しつつあるネット(当時はパソコン)依存症の話や言葉の暴力・ネットを利用した詐欺事件等も出てきている
ちなみに、アクアゾーンやプリンセスメーカー・ときめきメモリアルなどの育成(恋愛)シミュレーションゲームの弊害も取り上げている


私自身、この連載を読んで深く思ったことがあった。
当時まだパソコンといえばまだまだ高価で、インターネットなんてまだ夢の道具でしかなかった(ちなみに、その夢の道具であるインターネットに触れたのは大学に入ってからである)。だからこそこの作品で出てくる事例は極端でこそあれ、とても怖かったことを記憶している。

今でもこの書籍を読んで思うのが「感情論で動いてはならない」ことである。
言葉でしか描かれないパソコン(ネット)の世界ではただ一言書くだけでも大きく苦労させられる言葉の一つ一つのニュアンスが読み間違えれば、大きくフレーム(炎上)しかねないのだ。要はボタンの掛け違いが取り返しのつかない出来事にまでなってくるのだ。

それによく似た出来事もその書籍では紹介されている。ニフティサーブ内で94年末展開されたいじめ論争のの一幕で、初めは私立高校教師が教師の会員を引っ張り出そうとしたところ、とある一文がきっかけで反感を買う結果に終わる。
そこで、教師ではなく、ただのおっさんとしたところ、女性会員に噛みつかれ、そのおっさんは卑猥な言葉まで用いて反論してしまう
また別のとある言葉に対して切れてしまった彼は感情をあらわにやり返し、しまいにはいじめに対しての本質的な問題に触れるどころか、互いの文面の揚げ足取りに終始してしまったという。
まるでどこかの深夜の討論番組みたくなってしまってるが、これを読んでいたので、実際ネットを始めた時でも、ネットの掲示板等で書き込みを行うようになってからも、一息置いて見つめ直せるようになったのかもしれないと思っている。
文面一つ一つでも吟味し、文章を「描いて」いかないといけないのだと思ったほどだ。


今でもこの書籍はインターネットを始める者、始めた者への参考書籍になるのかもしれない。恐らく既に絶版になってるのかもしれないので、近くの図書館で置いてあることを切に願いたい。
またはアマゾンで古書の中に入ってないかなぁと・・・。


さて、今回この書籍を取り上げたのには大きな訳がある
いまだに相手を偽り己までも偽る「あの人」にぜひとも読んでもらいたいのである。
正直この話は幕引きしたいのだが、いまだに「あの人」はサイト内で自分を偽っているという
今はそのサイトをたたみ小康状態になっているが、またいずれ自らを偽るのではないのかと思う。そんな状況が続く以上幕引きはできないし、これからも苦言を呈し続けなければならないと思う私も被害者だし、同じ被害者を出さないためにも。

さらに相変わらず盗用もしているそうで。その盗用で偽りの君を演じ、カモを誘い出すなんて、どこの食虫植物やラフレシアなんだ・・・
今回、そんな「あの人」に、以下の文章を引用、紹介したい。そして偽り続ける「あの人」に反旗を翻してくれたとある方に敬意を表したい意味をこめてだ。
もう一つ「あの人」に贈りたいのは「私のページ」という文章だが、機会があれば紹介したい。


最後に、ほぼ丸写しの引用になることをお許し願いたい。そうでもしなければ「あの人」には伝わらない。ミイラ取りがミイラになってでも伝えなければならないくらい事態はひっ迫しているのかもしれないからだ・・・。




以下問題の文章の紹介です。
実際に「あの人」にそんな気持ちを抱いてたなんでさらさらありません。念のため。
ここで書かれていることが、あまりに酷似しているので掲載している。それだけのことです。


「架空の恋人 『女装』の男に本気の愛」より一部抜粋。


パソコン通信(筆者注:今ならインターネットか)は、実名も性別も職業も明かさず、いわば覆面でできる。その気になれば変身願望だって満たせる。手掛かりは画面に現れる文字情報しかないから、架空の人物を演じるのも、それを信じ込ませるのも難しくはない。(中略)


93年6月、河野(筆者注:仮名。最終的に相手に家にまで乗り込まれ、傷害未遂事件を引き起された)は自分でパソコン通信網を開設した。(中略)面白半分に女性に扮して仲間と通信を始めた。その名が「久美」。「ネットおかま」の誕生だった。(中略)


ネットの掲示板で中絶論争になった時、『久美』は「中絶は絶対いやです」と書いた。これに賛同した谷口(筆者注:仮名。最終的に河野の家に乗り込み、傷害未遂事件を引き起こす)に「久美は本名で、札幌在住」と知らせたのがきっかけで、電子メールでのやり取りが始まった。

谷口は『久美』が好きになった。毎日のように電子ラブレターで思いをつづり、「会いたい」と書き送った。(中略)『久美の兄』と称して谷口と通信したり実際に会い、やがて友達づきあいまで。

しかし、『久美の兄』には次第に谷口がうとましくなったらしい。事件(筆者注:谷口が引き起こした傷害未遂事件。きっかけはパソコン通信仲間がネットおかまをバラしたこと)の1週間前には「母の病気」を理由にネットの閉鎖を一方的に宣言。怒った谷口が河野の仕事場に押し掛け、殴りつける一幕もあった。(中略)


逮捕後、(中略)「だました者には当然の仕打ち。河野に謝る気はない」と繰り返した。加害者として罰金刑を受けた谷口だが、河野の手ひどい嘘にもてあそばれた被害者でもあったのだ。


たとえ覆面であっても性を偽るのは、パソコン通信で最も卑劣なエチケット違反とされる。(中略)
『性転換』までいかなくとも、、別の人格に、違った経緯で、といった変身なら珍しくもない。架空の自分を求め、架空の他者に魅かれるパソコン通信の世界。それは、本当の自分や他者をうまくつかまえられない現実の、いびつな写し絵に見える。



Posted by alexey_calvanov at 22:20│Comments(0)TrackBack(0) 真面目なモノ 

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