2006年08月07日

県政は誰のものか?(前編)

昨日(8/6)、現職知事の任期満了に伴い、長野県の知事選挙が行われ、元衆議院議員で国家公安委員長を務めた村井 仁氏が、現職の田中康夫氏を破り、初当選を果たした


はじめに、私自身は現職の三選が堅い以前書いていたが、これほどまで不支持が広がっていたとは思ってもいなかった
「今日の出来事」で、NNN系列局のひとつテレビ信州がおこなっていた調査によると、支持と不支持がほぼ半々(約40%)になっていたからだ。この点では、私自身、田中知事への認識が甘かったなと痛感させられた。


閑話休題。
では、今回の田中知事敗戦と、これからを考えてみたい。


まず言われるのは、県議会との対決姿勢・県内の市町村との対立に県民が辟易(へきえき)していたことだろう。

田中知事当選の頃からずっとつきまとっていたのが県議会との対立。一度それにより不信任を出され、辞職→出直し選挙という形まで取り、県政との対決姿勢を明確にしていた
この時は、旧態依然な県議会に愛想を付かせていた県民が知事を圧倒的に支持する格好になったが、今思えば、これがいけなかったのかもしれない
その後は、後々少し重複することになるが、独善的行動が目立ちだし、その対立が遂に市町村にまで飛び火する格好にまでなってしまった。

それにより、財政は回復基調に向かったかもしれないが、県政が滞りがちになり、毎度毎度の不毛な争いは県民に「無能な人間」と見られた節はあるかもしれない


2番目はパフォーマンスを意識しすぎ、過剰になっていたことだろう。
似たような点で、周辺幹部の話を聞かなくになり、独善的・独裁的になりつつあった事も含め指摘したい。

特に2選を果たして以降、あまりにも私利的な言動が目立ち始めた。前述した県議会や市町村の対立はもとより、頑張っているからと長野県南部の泰阜(やすおか)村に住民票を移したり同旧山口村と岐阜県中津川市との越県合併の時のあまりにも時代錯誤な発言(山口村は信州にあるから良い、という地域住民の経済活動圏を無視するような発言と私は捉えている)などがその例だ。
これらの言動は知事の幹部や後援会、特に田中知事擁立(ようりつ)の核となった元八十二銀行頭取の茅野氏の離脱は大きい。

また、県外での活動が活発になり、県政がおろそかにされているのではないかという危惧が県民を知事支持から離れさせたのだろう。

聞かなくなったという点では、こういうことがあった。
知事が隔週で出ていた「バトルトークラジオ・アクセス」の中で、オープニングやコーナー等でコメントすることがあるのだが、このコメントが非常に長く、ダラダラしており、さらにたまに相手のコメントを制させてしゃべることがあったりもした(いわゆる『朝生』状態)。悪く言えばムキになってしゃべっていることがあったということだ。


それ以外にも、政権長期化を危惧する声告示直前の水害により、脱ダム宣言が正しかったのかというので決定打が出せなかったこと、同じく水害で、県政に翻弄(ほんろう)されたことなどがあげられるだろう。


さて、今回の知事選で村井新知事になったわけだが、現状を見る限り、昔の体制での当選としか言えない。地盤・看板・カバンを総動員した自民党お得意の政治選挙がフル回転した最も保守的な選挙だったと思う。今回の選挙は自民党は直接関与はしていないが、実質自民党のサポートがあったと言ってもいいだろう。

前にも書いたが、今回の選挙は県議会派の勝利。県議会の傀儡(かいらい)知事が誕生してしまったわけです。
しかし、民意は田中県政の終焉を望んだだけかもしれません。過去の地盤・看板・カバンな政治を望んでいるわけではないのかもしれないのです。
村井新知事は県民の声に耳を傾けるということですが、どこまでできるかが見ものではあります。


後編に続く。


Posted by alexey_calvanov at 21:27│Comments(2)TrackBack(0) 真面目なモノ 

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この記事へのコメント
夜神正義さん>初めまして。
いくつかに分けてレスします。
旧山口村の移転>結局、この件は村議会で決められたものだったと思います。
この山口村自身も、元々は大きな村だったのが、昭和の大合併の時にその村内で大揉めに揉め、村内が二分された結果生まれたのが山口村なんだそうです(一方は中津川市に編入されたそうです)。
土建屋絡みであろうとなかろうと、住民にはその苦い経験がトラウマになって積極的に言えなかったと推測しています。
経済的理由で移転が可能であれば、与論島は台湾編入が筋>おそらく与那国島だと思いますね。いぜんから台湾の交流を活発にしたいと言ってましたし。
茅野元頭取は自分がオリンピック絡みの不正支出に関わったことが明るみに出たため反田中康夫信州知事になりました。>この件は確かにそうかもしれません。
どうも、オリンピックの不正支出問題が出た時に、決裁印を押したのは頭取であるという話をラジオ等で聞いていたので、書こうかと思っていましたが、字数の関係で書けなかったんです。
でも、ここで村井新知事を推した理由がいまだに解せません。
改革を望むなら、また新しい候補を立てるべきなのでは・・・。
オリンピック招致>確か、国と長野県が旗振り役だったと思います。そこに地元経済界が乗っかる・・・というお決まりのパターンではないかと。
そうなると、八十二銀行や信濃毎日新聞もご利益に預かれますからね(苦笑)。
かいつまんでコメントレスさせてもらいました。
Posted by アレックス at 2006年08月23日 23:33
初めまして。旧山口村の移転は土建屋たちが仕掛けたものです。移転に賛成の村民は土建屋絡みの者たちです。村民の意思とは言っても村民投票が行われた訳では無く、土建屋絡みの者たちが駅前で署名を求めたり回覧板で集めたものです。村の有力者たちに逆らえ無い者たちが署名に応じただけです。田中康夫信州知事は少なくとも村民投票をするように求めましたが「村を二分させたくない」という土建屋絡みの村長や村会議員等により拒否されました。また、経済的理由で移転が可能であれば、与論島は台湾編入が筋です。軽井沢が「経済的に東京圏だから世田谷区に入りたい」と言ったら認められますか?経済的理由により県からの離脱や国からの離脱が認められる何て余りにも文化地理を無視しています。信州の文化人たちが反対広告を信濃毎日新聞に出しました。何も反対したのは田中康夫信州知事だけではありません。田中康夫信州知事とは反対のことをすることを仕事としている県議会議員こそ国賊ならぬ県賊です。末代までこいつらの悪事を語り継いでいかねばなりません。茅野元頭取は自分がオリンピック絡みの不正支出に関わったことが明るみに出たため反田中康夫信州知事になりました。公職選挙法違反の意見広告を信濃毎日新聞に出さざるを得ないところまで追い込まれていた、と思われます。今回落選したのは6年間田中康夫信州知事の悪口だけを書き続けた信濃毎日新聞による県民の洗脳が効いたからです。自民党の小坂健司参議院議員が筆頭株主をし、息子が社長(だったと思います)をしている新聞が、何故今までしたことのない「知事追及記事」を書き続けたのか?それまで知事の悪口を書いてこなかった信濃毎日新聞が、何故歴代知事の中で田中康夫信州知事だけを執拗に悪く書いたのか、検証が必要です。ヒントは「誰がオリンピック招致を言い出したか」です。ここの流れはご自分で調べて下さい。長野県政の、否、「さわやか信州」とは裏腹の「ドロドロ信州」の実態が分かります。信濃毎日新聞が闇を解く鍵です。「何をするかでなく誰がするかが問題だ」と公言した県議会議長(長野市長?)の言葉が、この信州という自治体の本質を表しています。今回有権者は、信州百年の大計を誤りました。所詮山猿は山猿でした。田中康夫信州知事の反省点は「話が長い」こと。それと、後継者作りをしてこなかったことです。彼のカリスマに勝る後継者がいなければ結局元に戻ってしまいますから。兎に角信州は終わりです。
Posted by 夜神正義 at 2006年08月23日 19:16

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