今回からおそらくしばらく、思いついたらやっていきたいと思います。
ほぼ(というより100%)趣味の世界です。おそらく誰もついて来れないと思います。軽くスルーしてもらっても構いませんので(爆)。
で、1回目は『モンテネグロ独立』。
・・・たぶん、「モンテネグロってどこだよ!?」と突っ込まれるだろうと思いますので(苦笑)、まず場所を。
モンテネグロは旧東欧諸国の一つだったユーゴスラビア連邦(以下ユーゴ)で構成されていた6共和国のひとつで、アドリア海に面したバルカン半島にある地域です。暴力的に表現すれば、海を挟んだ隣にイタリア、斜め向かい(正確には隣国なのだが)にはサッカーやバスケで有名になったクロアチアがあります。
で、歴史・・・旧ユーゴも絡んでくるのでそのあたりも。
中世末期からオーストリア=ハンガリー帝国とオスマントルコ帝国との間に置かれていたバルカン半島、モンテネグロは後者のほうの領土になっていた。
19世紀末、弱体化したオスマントルコ帝国から自治権を獲得して、モンテネグロ王国として独立。以後、第1次世界大戦終結まで独自の国家を持つ。
第1次世界大戦終了後の混沌期に、オーストリア=ハンガリー帝国側にあったクロアチア人地域と既にオスマントルコ帝国から独立していたセルビア王国とモンテネグロ王国が国家連合を組むことになり、「セルボ=クロアチア・モンテネグロ王国」、それが後の「ユーゴスラビア王国」となる。
第2次世界大戦中、ナチスドイツの保護領下に入ったユーゴをパルチザンの指導者チトーがソ連の力を借りず独自の力で解放。以下戦後のユーゴはチトーを中心とした社会主義体制をとる。
しかしながら、旧ソ連を中心としたコミンテルンとは一線を画し、アジア・アフリカ諸国と共に、非同盟諸国の一員として積極的な働きをした。
絶対的権力を持っていたチトー大統領も1981年に死去。その後は6共和国による集団指導体制を執ったものの、経済不振・モノ不足と旧東欧諸国の民主化に翻弄。遂に1991年、経済的に豊だったスロベニアとクロアチアが独立。クロアチアと92年4月に主権宣言したボスニア=ヘルツェゴビナは数年間激しい内戦状態(旧ユーゴ内戦)に陥る。
その後、マケドニアも独立したことで旧ユーゴは崩壊。セルビアとモンテネグロによる新ユーゴを形成するが、2003年、緩やかな国家連合「セルビア・モンテネグロ」となり今に至る。
で、今回、そのモンテネグロが独立したいという気運が高まり、住民投票をすることになったわけですが・・・。
賛成派はかつての旧ユーゴ内戦の戦犯問題で揺れるセルビアと一緒ではEU(ヨーロッパ連合)の一員になるのが遅れ、孤立するという不安感と既にユーロが出回っているという経済的依存からなど。
反対派は人口の割には経済力が乏しい(目立った産業が観光くらいしかない)ので首が回らない、セルビア人とモンテネグロ人は人種的に同じスラブ民族だからという理由からなど。
実はこの国は過半数の人種がいない状態で、モンテネグロ人が約4割、セルビア人が約3割、その他アルバニア人・クロアチア人・マケドニア人が約1割ずつという民族構成。
結局、モンテネグロ人と少数民族が中心となった賛成派が承認される55%を辛うじて取って独立を決めたわけです。
これで独立になれば、ユーゴは完全に解体されることと、モンテネグロと同じ大きさの面積を持ち、アルバニア人を多数抱え、セルビア人にとってはセルビア正教の聖地でもあるコソボ自治州の独立問題に火をつけ、新たな政情不安定をもたらすのではないのかと言われているわけです。
ただ、モンテネグロの独立が平和的に解決すれば、楽観視はできないですが、その先の問題も平和的に解決できるでしょう。欧米諸国はモンテネグロの独立承認に傾いてますし、コソボ問題も早いこと終わらせようとする動きもあるみたいです。
ところが、モンテネグロ内のセルビア人が不正ありと騒いだり、『隣国』のセルビアが認めないようなことになれば、また大きな内戦になりかねないでしょう。
いずれにせよ、この地域の動向は今後のヨーロッパを占う上で重要です。
ちなみに、仮にモンテネグロが独立国になると、日本との外交関係は『回復』になる。実は、日露戦争から日本・モンテネグロ(当時ロシア側についていた)間は『戦争状態』のままなのだ・・・。