飯野さん(よく呼ばれた通称はイノケン。以下イノケン)は、高校中退後からゲーム開発に取り組むようになり、その後自身で会社を興します。彼の興したワープから発売された「Dの食卓」は全世界で100万本売れるヒット商品となり、彼の名を一躍有名にしました。
ワープ時代には、「エネミー・ゼロ」・「リアルサウンド ~風のリグレット~」・「Dの食卓2」を発売し、スマッシュヒットを飛ばします。しかし、実力と発言が伴わないとしばしば言われることが多くなり、自身も挑発的な発言をしてよくも悪くも有名になりました。
一例として、PSの制作発表会の際、プレゼンテーションで登場した時にいきなりセガサターンへの移籍を発表したり、自身の作品のレビューが芳しくなかったことがしゃくに障ったのか、「俺の作品は10点か評価不能のどちらかにしろ」とぶちまけたこともありました。鈴木みそさんのマンガ「おとなのしくみ」の中でイノケンのインタビューを掲載していた時にも、ファミ通のクロスレビューへの不満を(そのファミ通の中で)語っていました。
売れっ子になっても、経営はかなり苦しかったそうで、ワープはスーパーワープ(後にフロムイエロートゥオレンジに社名変更)に変わり、ゲーム制作よりもコンピュータ関連の会社に変遷を遂げていました。またイノケン自身もゲームクリエイターよりも小説家・ティーン向け人生相談の回答者・バンドのメンバーといったマルチクリエイター的な路線にシフトしていました。
それでも、iPhone向けゲーム「newtonica」(2008年)やWiiウェア向けゲーム「きみとぼくと立体。」(2009年)で、ゲームクリエイターとしての存在感をアピールしていました。しかし、それらの作品が彼にとって最後の作品になってしまいました。
結局、300万本売れると豪語したRPGもイノケン自身が作りたかった3DO版の「Dの食卓2」も日の目を見ることなく、彼の頭の中だけで完結してしまいました。これでよかったのかよくなかったのかは正直わかりません。ただ、あふれんばかりの情熱とエナジーが、かつて元気だった1990年代のゲーム業界の中でひときわ輝いて見えたと今思えば感じています。そして、現状のゲーム業界をどう思っていたのでしょうか。そして彼ならどう変えるつもりだったのでしょうか。
奇しくも亡くなったことが発表された日は、PS4が発表された日でもありました。イノケンはどう思って見ていたのでしょう。かつての宿敵でもあり憎き相手としてなのか、懐かしいあの頃を思い起こしながら、新しい企画を考えていたのか・・・。
ご冥福をお祈り致します。

