
写真はナゴヤ球場と尾頭橋駅へ向かう案内版。この案内板にはナゴヤ球場周辺の歴史が凝縮されています。
今日の試合はというと、中日側は何と川上選手が登場。5回を無失点とほぼ危なげないピッチング(危なかったのは1回のみ)をしておりました。ほとんどランナー出してなくて、格の違いを見せ付けていましたね。どうやら近日中に1軍昇格ということなので、このピッチングができれば、中日の投手陣は盤石になるのでしょうけど、これを若手ができないといつまでたっても厳しいだろうなぁ・・・。
打線もそれに呼応するように定期的に得点でき、いい意味で先制・中押し・ダメ押しができていたんじゃないかなと思います。

打撃練習後、中日か巨人の守備練習になるのですが、その際ボールボーイだけでなく両チームの選手が一丸になって球拾いをしております。いかにも2軍らしい一コマとも言えますね。新人もベテランも関係なく拾う姿は1軍の試合では全くと言っていいほど見られないですね(見たことがない、なしいは見逃しているとかいうのは無しで(ニヤニヤ))。
さて、ナゴヤ球場の周辺をこの場を借りて紹介していきましょう。
ナゴヤ球場は中日スタヂアムとして1948年に開場。その後火災による全焼・運営会社の倒産を経て、1975年に現在の名称になりました。1軍の試合は1996年まで。それ以降はナゴヤドームと同じようにプレイできるよう改修される事態を経て、1999年から2軍の本拠地として生まれ変わりました(1997年から不定期で使用していたが、あくまで別の場所で本拠地を構えていた)。

山王駅は1944年に開駅。1956年に中日スタヂアムの通称だった中日球場を冠した中日球場前駅に改名。1975年にはナゴヤ球場前駅に再改名したものの、ナゴヤドームへの本拠移転後急激に乗降客が減ったことで、2005年に再び当初の駅に戻ることになりました。
現在使っている駅は往年の面影はあまり感じられず、ごく普通の駅としての面影しかない、名古屋では珍しい田舎くさい駅でもあります。
しかし、そこから数百メートル歩いたところには、全く寂れてしまっていますが、旧南口、ナゴヤ球場への最寄り口があります。

どうしてこのようなところがあるのかというと、後述する事態が発生したためです。

JRがナゴヤ球場の集客力を当て込んで急ごしらえで作った臨時駅でした。ナゴヤ球場まではその名の通り徒歩数分という場所にあり、山王駅からだと7分ほどかかるため、結構なアドバンテージを取っていましたね。それゆえに、名鉄も慌てて南口を作ったのでしょう。
駅のあった場所は、新幹線高架の向こうにあった単線の貨物線。そこに路線としての申請をして仮組みのホームを作ったのが1987年。営業を終了したのが1994年。実に7年しか運営されていなかった幻の駅とも言えます。しかしながら、営業終了した日があの10.8決戦のあった日だったため、大勢の客が押し寄せたと言われています。
その場所は現在跡形も無くなっており、現在の最寄り駅である尾頭橋駅への案内看板が掛かっております。
しかしながら、わずかながら当時の痕跡があります。柱のペインティングがその名残の一つですね。



元々この駅は歩いて5分ほどになるウィンズ名古屋(場外馬券場)の客を見込んで1995年に作られた東海道本線の駅。1軍本拠地がナゴヤ球場がナゴヤドームへ移転する数年間も含め、期せずして最寄駅の役割も与えられたわけです。
実はここからだと徒歩7分ほど。そうです、名鉄の山王駅とあまり変わらないのです(笑)。ゆえに1995年だったんでしょうねぇ。
次回はナゴヤ球場およびその周辺のご飯でも紹介しましょうか。

