この日和山は、明治時代(とはいっても20世紀の初め)に漁業関係者が天候を確認したいために盛り土をしたのが始まりで、仙台港ができたことで本来の目的が失われた後も、先述の通り、地元住民やレジャーに来た観光客の憩いの場となっていきました。
さて、なぜこの山が『元祖日本一低い山』という名称なのかということですが、当初(1991年)国土地理院が測定の結果、日本一低いと認定されたことから『日本一低い山』という看板を立てました。ところが、1996年に地元住民の要請により、大阪府大阪市港区にある天保山が4.53mで日本一低い山と認定されたことから日和山は日本一低いという屋号を名乗れなくなり、慌てて『元祖』という名称を付けることになりました。
そんな経緯をたどった日和山は、2011年に起こった東日本大震災による津波で、近くにあった神社と共に消滅したと言われていました。しかしながら、今年4月の調査で3mの標高があることが確認され、18年ぶりに日本一低い山として認定される運びとなりました。
とはいえ、この日本一低い山というのは定義があいまいで、天保山のようにきちんと山としての基準(二等三角点以上の設置)があるため、山の形を成していないながらも日本一低いとされていました。
これ以外にも『日本一低い山』を自称する山はいくつかあり、大阪府堺市堺区にある蘇鉄山(6.84m)は一等三角点のある山の中では最も低く、徳島県徳島市にある弁天山(6.1m)は自然に存在する山の中では最も低い山になります。対して、秋田県大潟村にある大潟富士は標高0mながら、海抜ゼロメートル地帯にあるためにそうなっており、実際は富士山の1/1000、3.776mあります(しかも、標高が0mになるように調整されている)。
いずれにしても、日和山が震災の津波にも耐え、周りが無くなってしまった中でも、山の高さを残し、地元の人達へ共に頑張ろうと無言のエールを送っていた事実は変わらないでしょう。これはたとえ日本一低い山としての認定が無くなったとしても、いつまでも残るかけがえのない事実なのですから。

