1990年代の福岡ダイエーホークスを経験し、大リーグでも活躍した千葉ロッテマリーンズの井口資仁(ただひと)選手が今シーズン限りでの現役引退を表明しました。まだ交流戦も終わったばかりでシーズンは半ばだというのに・・・。
井口選手は1996年のドラフト1位で福岡ダイエーホークスに入団。当時のダイエーは南海時代から引きずる負け癖(万年Bクラス)の付いた球団になっていて、井口選手がドラフト会議に掛けられた年は、負けの込んだチームに怒り狂ったファンが、王貞治元監督の乗ったバスに生卵をぶつけるという出来事まで起こっています。
まさにどん底を漂っていた時期を知っている井口選手は、当初は確実性の無い選手として見られていました。「恐怖の9番」と言われた時期もあったものの、下位打線を任されることが多く、上位やクリーンナップに座っても、すぐに定位置に戻る・・・を繰り返していました。
しかし、ダイエーの上昇機運が高まると同時に、井口選手も主力選手として成長します。中軸として活躍することもあれば、1番でも活躍することもあり、功・走・守の揃った選手になりました。2000年代前半のダイエー躍進の立役者でもあります。
かねてから大リーグでプレーしたかった井口選手は、球団との交渉の末に2005年に大リーグへ移籍します。ホワイトソックス在籍時にはワールドチャンピオンに貢献するなど活躍しましたが、その後は低迷し、ケガしたこともあり、2008年のフィリーズ在籍を最後に、日本球界に復帰します。
2009年から千葉ロッテマリーンズに移籍。二塁手としてだけでなく一塁手としてもプレーしていましたが、徐々に年齢による衰えが目立ち始めていました。それでもロッテの主軸・代打の切り札として活躍し、2013年に日米累計150本・同2000本安打を記録します。
とにかくしぶといバッティングと足が速かった印象を持っています。ロッテ時代には走のイメージはないものの、ダイエー時代は結構速い選手だったんですねぇ。それで長打力もあるので、怖いバッターでした。
今でも往時の勢いはないとは言えども、低迷するロッテには欠かせない選手だと思います。まだ井口選手に頼っているようではいけない、若手がもっと伸びて来いとも言いたいです。それでも、まだ現状を考えれば、井口選手はもう数年頑張ってほしいと思っていました。
残り半分近くあるシーズン、井口選手にはクライマックスシリーズまで進めるように道筋を作ってほしいものです。まだお疲れ様とは言いません。最後まで全力で挑んでほしいです。