2021年10月07日

すぎやま御大、逝く

すぎやまこういちさんが亡くなりました。今日、9/30に敗血症性ショックにより亡くなったと発表されました。


すぎやまさんほど世代によって印象の変わる方はいないと思っていいでしょう。戦後すぐの生まれの方々には、フジテレビで放送していた「ザ・ヒットパレード」のテーマ、ザ・ピーナッツといった昭和歌謡の数々。もう少し世代が下がれば、ザ・タイガース、ヴィレッジ・シンガーズ、ガロといったグループサウンズ。そして私くらいの世代になると、JRAのファンファーレやドラゴンクエストシリーズの楽曲に行き着くのではないのかなと。それだけ多様な音楽に関わり、作曲された方だったのです。

ぎやまさんは東京出身の方ですが、幼い頃(小学校時代)は各地を転々としており、一時期は名古屋にもいたそうです。しかも、清水尋常小学校(現在の清水小学校)に在籍していたことがあるとのことなので、そこの卒業生でもある私にとっては、いまだに驚かされる出来事でもあります。ちなみに、すぎやまさんが音楽の作曲を始めたのは、名古屋に住んでいた頃からだそうです。
大学は、音大ではなく東大(東京大学)だったというのも意外な話として語られます。卒業後は、父の紹介で務めた会社に勤めていましたが、文化放送に勤めていた方に注目を受け、文化放送に転職したももの、音楽番組にかかるコストをラジオでは賄えなくなると考え、1958年にフジテレビに転籍しています。
フジテレビに転籍してからは、構成作家(ディレクター)として数々の番組を手掛け、その合間にCMソングの作成を行っていました。しかし、ミュージシャンへの楽曲提供を始めた頃から、フジテレビに在籍しているのに自分のクレジットが出てしまうのに違和感と苦慮を感じるようになったため、1965年にフジテレビを退職し、フリーのディレクターを経て、音楽活動を本格化させます。
1970年代はアニメ音楽を手掛け、1980年代からはゲームミュージックに関わるようになります。その際に一番関係を深めたのがエニックス(現在のスクウェア・エニックス)で、ソフトの中に入っていたアンケートはがきを送ったのがきっかけだったと言われています。そこで培った信頼は、音楽で行き詰っていた「ドラゴンクエスト」の製作陣の中にすぎやまさんを送り込むこととなり、ファミコン音源という最大3音までしか出せない中で作られたクラシック調のBGMで奏でられた『聞き減りしない音楽』が、今年開催された東京オリンピックの開会式に採用されるまでに至ったのです。
「ドラゴンクエスト」の成功後は、主にエニックスの作品のゲームミュージックを手掛け、1990年代以降は、ほぼドラゴンクエストシリーズの楽曲制作のみを行うふうになりました。


日本の音楽界に多大な影響を与えただけでなく、先述の通りあらゆる世代に影響を及ぼす稀有な人物でもありました。今聞いても新鮮さを感じる曲が多いのも、『聞き減りしない』というのが特徴としてあるからなのでしょう。
そして「ドラゴンクエストXII 選ばれし運命の炎」が、すぎやまさんの遺作になります。恐らく発売は数年先のことになるでしょう。プレイできずに亡くなられたのが本当に惜しい・・・。


心よりご冥福をお祈り致します。


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Posted by alexey_calvanov at 23:01│Comments(0) ゲーム系 

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