
イベント用列車も6000形の2両編成ですが、単騎で運行できるようにもなっているのです。しかし、かなりボッコい車両になってしまっているなぁ・・・。こちらも平成元年(1989年)の製造なので、いつ廃車になってもおかしくない。

なお、この札はお土産代わりに持ち帰り可能とのことだった。
今回のイベントでは、和尚が司会となって、自身のよもやま話・家族の話・鹿島臨海鉄道の話・茨城県の話・今回の旅の小ネタなどなどを話しておりました。和尚は、車両後方のマイク(とはいっても受話器だったので、まるで電話(苦笑))でしゃべるというふうでしたが、先述の通り、単騎運行もできる車両なので、マイク無しでしゃべってみよう(近江鉄道のイベントで、マイクが5分ほど使えなかった事態が発生したらしい)と思い立ってしゃべったものの、揺れの酷さとディーゼルの爆音で、やっと聞こえるレベルだった(爆)。本人も「やめよう」と即刻あきらめた(ニヤニヤ)。ただ、トンネルで入った時に聞こえなくなるんじゃないかという懸念は、杞憂に終わったかなとも。それでも、念のためトンネル内ではしゃべらない方向でイベントは進んでおりました。
個人的に印象深かったのは、父親の威厳が示せなくてもどかしい思いをしている和尚が、『鐵坊主推し』のうちわを持ってきた人がいたので、そいつを娘のLINEに送って、「すげぇ」と言ってくれたことにご満悦だったところです(ニヤニヤ)。

なお、顔が隠れているのは偶然であり、肖像権の配慮ではない(ギャハ)。

鹿島神宮駅はJRの駅ですけど、鹿島臨海鉄道が臨時駅になっている鹿島サッカースタジアム駅で折り返さず、全てこの駅で折り返しているため、相互乗り入れの駅になっているのです。
鹿島アントラーズの最寄り駅の一つなので、鹿島の歴代ユニフォームが飾られていました。青いユニフォームは、まだJリーグが始まる前の1991年、住友金属時代のものだそうな。この年にジーコさんがやって来たんだって。

Jリーグと共に歩んできたので、完成から約30年経ってるんだねぇ。一部リフォームを施しているとはいえ、海に近いことから老朽化が避けられない状況になっているとの話を聞いたことが。
鹿島の前身である住友金属がJリーグ入りしたいと申し出た時に、川淵三郎初代チェアマンが軽い気持ちで「15000人収容の屋根付きスタジアムができればいいよ」と言ってしまったため、茨城県が本気を出して作ってしまったという逸話が残っています。着工から完成まで1年ほどでできたのがまずすごいし、全席個席という仕様は日本初の快挙というのもまたすごい。

近江鉄道・鹿島臨海鉄道・室蘭市のイベント共通のクリアファイル。沿線が印刷されたものになっています。併せて名刺も頂いています。

およそ2時間半、生坊主を堪能させて頂きました。なかなかYouTuberとか有名人と戯れることなんて少ないですから、いい機会になりました。欲を言えば、ゆっくり話せる時間と場所が欲しかったかなとも。列車に乗って一緒に揺られるのも悪くないんですけどね。
そういえば、ライブ配信は孤独との戦いと聞いて、昨今のリモートワークもそんな感じなのよねと思って聞いておりました。コロナ禍でリモートワークやってた人は、結構辛かったらしいですから。そりゃ病むわ(ニヤニヤ)。だから、フェイス・トゥー・フェイスなイベントはうれしいんだってさ。
次回もやることがあれば、伺いたいものです。最後にイベントお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

